信長、義元、家康の視点で読む桶狭間の戦い/小栗さくら

文字数 1,231文字

歴史タレントや小説家として活躍している小栗さくらさんが『戦百景 桶狭間の戦い』の面白さについて語ります!

 桶狭間の戦いは、信長視点で描かれることが多いように思う。では本書は今川義元視点かと言われれば微妙に違う。視点は信長であり、義元であり、元康(徳川家康)であり、服部小平太でもある。

 その中でも信長と義元が中心に描かれ、やがてそれぞれが桶狭間に向かって展開していく。クライマックスはもちろん桶狭間の戦いだが、そこに至るまでの人物の掘り下げ方が新鮮だ。


 例えば信長は、家臣に対し感情のままに振る舞って描かれることが多いが、この信長は違う。まだ味方になりきっていない家臣に、内心とは違う労りの言葉もかけるし、側近の馬廻りたちには信を置いている。かと思えば、二度目の謀反を起こした弟を刺しながら、死の淵への興味を示して優しげに囁くという残酷なまでの好奇心も持っている。そして戦の時には本能的だ。


 対して義元は、追い求めるものが他の戦国武将たちと違い、その道の通じる場所はどこまでも師である太原雪斎に繋がっている。いわゆる公家的な義元ではなく、野心に溢れる義元でもなく、幼い頃から禅の修行をしてきたからこうなったのだという一本の筋が感じられる。信長と違い、戦に対しては非常に理性的だが、それこそが桶狭間の戦いで命運を分けたように感じた。


 しかし、この物語の本当の主人公はもしかすると元康(家康)なのかもしれないとも思う。老獪に描かれがちな彼も、この頃はまだ十九歳。非常に誠実・実直に描かれ、初陣を迎えた愛らしい本多忠勝とともに未来を感じさせる人物となっている。


 私は桶狭間の戦いの地を一日で(ほぼ徒歩で)巡ったことがある。鳴海城・丹下砦・善照寺砦、大高城・丸根砦・鷲津砦の距離感は思った以上に近い。今でこそほとんどが住宅地だが、坂の登り下りは積み重なると地味にきつい。あの地を駆け回るのは足でも馬でも厳しいところだし、目の前に見える砦が落とされる焦りも、行けばリアルに感じられるだろう。


 この物語は複数の視点で読めるからこそ、桶狭間巡りをする前に読むことをおすすめしたい。読めばきっと各砦で、攻める側・守る側両方の見方で史跡を堪能できるはず。そして一度行ったことがある人は、読みながら距離感や情景が詳細に思い浮かんでくることだろう。


小栗さくら(おぐり・さくら)

博物館学芸員資格を持つ歴史好きタレントとして活動中しているほか、歴史番組・イベント・講演会等で、講演やMCとして多数、出演している。また、歴史系アーティスト「さくらゆき」のヴォーカルとしても、戦国武将を中心に幕末志士、源平時代など様々な時代の人物をテーマにして日本全国でライブ活動中。「小説現代」にて、幕末をテーマにした作品「歳三が見た海」(2018年10月号)「波紋」(20年4月号)「恭順」(20年11月号)「誓約」(21年11月号)が掲載されている。22年春にはこちらの四編を収録した短編集を刊行予定。


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