〈十五少女〉猿飼サキの場合(前篇)/小説:望月拓海
文字数 7,224文字
街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー
15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。
エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による
音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。
これは、2人目の少女の物語ーー
0
四月七日、午前七時。ここはあたしの部屋。
あたしは猿飼サキ。
これから高橋真梨愛に復讐を遂げる。その前に今の心境を記録する。
これからあたしの生まれ変わる過程を、このスマホで撮影していく。復讐の瞬間も隠し撮りするつもりだ。
なにから話せばいいだろう……そうだ。
はじまりは、小学校四年生の頃だった。
あの頃、あたしはバレエを習っていた。バレエ教室には、当時二年生だった可愛い女の子がいた。名前は戌井ラブリ。
ラブリとあたしは、バレエ教室の片隅でいつもコンサートごっこをしていた。と言っても、ラブリがアイドル役で、あたしは観客役。
あたしは小さい頃から容姿に自信がなかった。耳が大きく名字と同じで猿っぽい自分の顔が嫌いだった。
だから、アイドルになりたいラブリを眺めているだけで十分だった。キラキラしているラブリを可愛い妹みたいに思っていた。
でも、バレエ教室で女王様のように振舞っていた高橋真梨愛に言われた。
『猿飼さんはアイドルになりたいの?』
あたしはすぐに「違うよ」と否定して、隣にいたラブリに言った。
『あたしはアイドルを見るのが好きなんだよね』
ラブリは元気にこう言った。
『そうだよ! サキちゃんがアイドルになれるわけないじゃん!』
あたしの顔じゃアイドルにはなれないーーそう聞こえた。実際にそんな意味だったと思う。ラブリは純粋だったけど、残酷な正直さも持っていたから。
悪意はなかったと思う。それでも、顔にコンプレックスのあったあたしは深く傷付いた。同時に、ラブリへの劣等感と怒りも生まれた。
バレエ教室は辞めた。あたしは自分の顔をもっと嫌いになり、人と話すのも怖くなった。
追い討ちをかけるように、五年生になると状況が悪化した。
幼稚園から同じクラスだったリンとアクアとメメと分かれ、あたしだけ別のクラスになった。あたしはいつもあの三人の後ろを歩いていた。ただでさえ心細かったのに、初めて真梨愛と同じクラスになった。
そこから地獄の日々が始まった。
真梨愛からいじめられたの。きっかけは……今さらどうでもいい。
まずは真梨愛の指示でクラスメイト全員に無視された。真梨愛とその取り巻きの使いっ走りにさせられ、毎日お金を取られた。苗字から取った「モンちゃん」というあだ名を付けられ、猿のものまねもさせられた。真梨愛はとにかくあたしが気に食わなかったようで、毎日「キモい」と言われた。
真梨愛はクラスメイトに口止めしていじめを隠した。あたしはリンとアクアとメメとなるべく話さないようにした。あの三人には自分がいじめられていると知られたくなかったからだ。知られるのが恥ずかしかった。
いじめはどんどんエスカレートした。真梨愛たちに殴られたり蹴られたりした。傘でも殴られ石もぶつけられた。あたしを殴ってる最中に興奮した真梨愛に彫刻刀で刺されかけた。取り巻きに止められた真梨愛は生きた蛾をあたしの口の中に詰め込んだ。そのまま真梨愛に殴られて口の中で蛾が潰れ、あたしは嘔吐した。
このままだといつか殺されると思った。
そんな日々の中で、ラブリのSilicaチャンネルを見付けた。
ラブリはカラオケで歌っている動画をアップして、本格的にアイドルを目指していた。あの劣等感と怒りを思い出した。
気づいたら偽名でアカウントをつくり、「この顔でアイドルになれるわけないだろ」と書き込んでいた。あたしを傷つけたのに、自分は無垢なまま夢を叶えようとしている。それが許せなかった。
誹謗中傷の書き込みを続けた。文字にして怒りを吐き出すと、一瞬だけスッキリした。ざまあみろと思った。
でも、自己嫌悪にも陥った。卑怯な自分が許せなかったし、恥ずかしかった。自分をますます嫌いになった。
肉体的にも精神的にも追い詰められ、死のうと思ったこともある。このままだと真梨愛に殺される。それなら自殺したほうがマシだと思った。
ただ、死ぬ前にしたいことがあった。
……普通の女の子になりたい。
あたしには友達がいない。女の子の友達とおしゃれをして出かけたい。買い物に行ったりカフェに行きたい。スマホでいつも連絡を取り合ったり、写真を撮り合ってSNSにアップしたい。
普通の女の子みたいに生きたい。夢みたいなことだけど、どうしても……一度でもいいから、そういうことをしてみたい!
どうせ真梨愛に殺されるなら、一回くらい死ぬ気で戦ってやる。
その時を、不知火女子学園中等部の入学式に決めた。
小学校を卒業した日、母親から与えられているクレジットカードで整形をした。母親はやり手の社長だけど若い彼氏と遊んでてろくに帰ってこない。娘の整形にも気づかなかった。親は助けてくれないんだから、自分が変わるしかない。
今から中学校に行って、校舎前で真梨愛を待って声をかける。
そしてあの綺麗な顔を思い切り殴る。みんなの見ている前で土下座させて、今までのことを謝らせる。
そうすれば、この地獄から抜け出せる。
大丈夫。あたしは変われる。
1
「なあに?」
目の前で宿敵が笑った。
予定通り、入学日の登校時間に校舎前で声をかけた。あたしの命をかけた大勝負が始まったーーはずだった。
けどあたしは今、真梨愛を目の前にして固まっている。
いざ振り向いた真梨愛を見ると声が出なくなった。膝がガクガクと震え、心臓がパニクって暴れてる。
今すぐ逃げ出したい。覚悟を決めたはずなのに、命をかけてたはずなのに。
「もしかして、整形した?」
真梨愛にまじまじと顔を見られる。
間近で見るその顔は、相変わらず美しかった。あたしが整形しても足元にも及ばない。
「どっちでもいいか。中学でもよろしくね。モンちゃん」
その呼び方を聞いて、真梨愛はまだまだあたしを痛ぶるつもりだと確信する。
気づいたら逃げていた。
動揺していたせいだろう。花壇にスマホを置き忘れてたことに気づいたのは、教室に入ってからだった。
あたしはさっきのやりとりをスマホで隠し撮りしていた。真梨愛を叩きのめす瞬間を映像に残したかったのだ。置いたのは花壇のブロックの上。あれから数分が経っているから誰かに見つかってもおかしくない。
急いで教室を出て花壇に行った。
そこにはもう、スマホは置かれていなかった。
スマホには家で撮ってきた映像も入ってる。自分が生まれ変わる過程をすべて記録したかった。あれを誰かに見られたらやばい。
2
教室に戻ったあと、体育館で入学式に出席した。
最も印象に残ったのは生徒会だった。メンバー八人が壇上に上がり、三年の生徒会長が新一年生に祝辞を送った。
不知火女子のスクールカーストの頂点といえば生徒会で、彼女たちに認められた人物しかメンバーにはなれない。ネットで調べてそのことは知っていたけど、実物のメンバーたちは想像以上に自信に満ち溢れていた。
そんな入学式のあと、休み時間に教室の席に座っているとクラスメイトの久住花音(くすみかのん)に、
「猿飼さん、真梨愛と友達なの?」
と話しかけられた。
朝の真梨愛とのやりとりを遠くから見かけたらしい。久住はあたしと入れ替わるようにあのバレエ教室に通い始めたようで真梨愛とも顔見知りだった。
この不知火女子中学には市内のあらゆる地区から富裕層の子だけが集まるが、彼女はあたしと別の小学校の出身だった。
HRでの自己紹介もハキハキしてたし、気の強そうな顔つき。今も二人の取り巻きの女子たちが周りにいてリーダーシップがありそう。
あたしは何も答えられなかった。真梨愛に勝っていたら「いじめられてたけど昔のことよ」と鼻で笑えたけど、それができなくなった。
「友達ってほどじゃ……」
固い顔で答えるのが精一杯だったが、これがいけなかった。
久住は「仲がいいの?」とか「なんて呼び合ってるの?」とか、真梨愛との関係を探ってきた。
いじめられっ子だったと知られたらこのクラスでも最下層のポジションになる。そんな未来も頭に浮かんで一言も話せなくなってしまった。
なにを聞かれても黙っていると、久住が眉を寄せた。
「無視? 感じ悪いんだけど」
取り巻きの二人も「なんなのよ」「全然笑わないし」などとヒソヒソと話している。
目立ってるこの子たちと対立したくない。ただ、どうやってこの場を切り抜ければいいのか……。
あたしが恐怖に支配されかかっていた時だった。
「うるせえよ、ブス」
振り向くと女の子が座っていた。
さっきまで空いていた一つ後ろの席。遅刻してきたクラスメイトだ。
攻撃的な言葉を放ったにも関わらず彼女は微笑んでいた。その太々しい態度にも驚いたけど、髪も凄かった。
金髪のロングヘアだったのだ。
HRで担任教師が名前を呼んでいた。
たしか……光井聖(みついひじり)。
「その子はお前らと話したくないんだよ。空気読めブス」
再び聖が久住に言った。取り巻きの二人もあたしも唖然としていた。
「な……なによあんた。ナメてんの?」
久住が戸惑いながらも聖に詰め寄り、取り巻きも聖を囲む。クラスメイトたちも見ていたから、引くに引けないのだろう。
聖はあたしを助けようとしてる? それとも、虫の居所が悪いだけ? このクラスを支配したくて目立ってた久住たちにわざと絡んでる?
なんにせよ喧嘩が始まる。その事実を把握した怖さで心臓が跳ね上がる。
けど聖は少しも臆さない顔をして面倒そうに立ち上がった。
背が高くてスラッとしていた。久住も高い方だけど頭一つ分は聖の方が大きい。顔も綺麗だからティーンズ雑誌に出てるモデルのようだった。
聖はそんな風貌にまるで似合わない言葉を口にした。
「まずはあんたから一発殴って。そこから始めましょ」
殴り合う前提で話をしてる。中一女子の言葉じゃない。
久住が戸惑いの表情を見せると、聖は口の端を上げた。そして、さらに予想外なことをした。
ゴッという大きな音が鳴った。
自分の顔を殴ったのだ。聖の整った鼻からどばどばと血が流れる。
久住と取り巻きたちが目を丸くすると、
「その顔!」
聖は彼女たちを指差して狂ったように高笑いした。
そして久住に詰め寄る。
「気合いが入った。さあ、やろっか?」
久住は完全に飲み込まれていた。
鼻血を出して笑っている聖と怯えている久住。その瞬間、聖はこのクラスの頂点に立った。
「頭おかしいんじゃないの」
小さくそう言って久住は教室から出て行き、取り巻きもついて行った。
聖は呆気に取られているあたしを見つめ、ポケットからなにかを出した。
あたしのスマホ。
「持ち主を知りたかったから動画を見た」
あたしの名前と顔を知ってる。家で撮ってきた映像も見られた。復讐も、たぶんそれが失敗したことも知られてる。それに、あのことも……。
クラスの女子で一番目立っていた久住。その久住よりも遥かに強かった聖。その聖にあたしの秘密を知られた。
聖に使いっぱしりにされ、今まで以上の地獄になると瞬間的に思った。
けれど、聖はなにかを企むように笑い、思いもよらないことを言った。
「強くなる方法、教えよっか?」
そして自分の鼻にふれ、血のついた指先をペロッと舐めた。
血を舐める聖の姿は、とても美しかった。
けれども、あたしはその素直な気持ちをすぐに打ち消した。
3
学校帰り、聖にかなり離れた市の駅前まで連れて行かれた。
学園から電車で一時間近くかかるこの街は聖の地元だった。かなり遠いけど「自由な校風に惹かれた」という理由で不知火女子を選んだそうだ。同じ小学校から進学したのは聖しかいないという。
雑居ビルの前で立ち止まった聖があたしに言った。
「強くなるためにはなにが必要だと思う?」
「勇気?」
すぐに浮かんだ。自分には無くて一番欲しいものだ。
「惜しい。ちょっと違うかな」
「正解は?」と答えを知りたくて自然と口にする。
「自信よ。自信がなかったら勇気も出せない。出したつもりでも、ただのヤケクソになる」
……たしかに。今朝の真梨愛に挑んだあたしはヤケクソという言い方が正しい。それに、自信がなかったから結局は逃げ出してしまったんだ。
「自信には根拠が必要なの。あんたの場合は肉体的な強さね」
そう言って聖は雑居ビルの上を指差す。
見上げると空手道場の看板があった。このビルの三階だ。
「私の通ってた道場。一ヶ月も特訓すれば真梨愛を倒せる」
聖の自信の源は空手だったんだ。だから久住にも臆さなかった。空手を習えばあたしにも自信がつくかもしれない。でも……。
聖が雑居ビルの階段を上がっていく。
だけど、あたしは一歩も動けなかった。
振り向いた聖が「どうしたの?」と言う。
「……やれる気がしない」
どうやら助けようとしてくれてるから、正直に言わないと失礼だ。それに、聖にはあの動画も見られてるから嘘をついても仕方ない。
「人と話すことも怖いのよ?」
恥ずかしいけど言った。これが本当のあたしだ。いじめられて人が怖くなってしまった。
今朝までは変われると思っていた。でも、真梨愛と向き合ってわかった。
あたしは臆病者だ。空手なんてやっても、また逃げ出すに決まってる。
そんなあたしを聖は優しく見つめた。そして、あたしに向かってゆっくりと右手をさし出す。
「あたしが守ってあげる」
その微笑みを見た時、不思議と胸がすっと軽くなった。
希望が見えた。
今までみたいに無理やり言い聞かせていた希望じゃない。聖はあたしを守ってくれると直感した。一人じゃ無理でも、聖の手助けがあったら、あたしは変われるかもしれないと思った。
気づいたら聖の手を握っていた。二人で手をつないで階段を上がり、三階の空手道場の扉を開いた。
道場には子供から大人まで十人ほどの生徒がいて、二人一組で柔軟体操をしていた。
一人だけ黒帯をつけていた中年男性がこちらに気づき、「聖か」と軽く笑った。「聖ちゃんだ」と小さな女の子が嬉しそうに走ってくる。彼女と組んでいた男の子も小走りでやってきた。二人とも小学校三年生くらいだろうか。
女の子が「聖ちゃん、また通うの?」と言うと聖は「一ヶ月だけね」と答えた。
男の子が「聖ちゃん女の子っぽくなったね」と続くと、女の子が彼に肩パンして「失礼でしょ!」と頬を膨らませる。男の子がはっとして「ごめんなさい」と謝ると、聖は「あとから組み手でいじめてやる」と男の子の頭をなでた。聖がこの子たちに好かれているとわかった。
聖は黒帯の師範にあたしを紹介してくれた。聖は小三から小六まで通っていたそうだが、あたしのためにまた一ヶ月間通ってくれるという。その上で、「どうする。サキ?」と最終確認をされた。
聖があたしに優しくしてくれる理由はわからない。
いじめられっ子を助けるメリットなんてなにもないのだ。同情かもしれないし、ただの気まぐれかもしれないし、暇つぶしかもしれない。
でも、今はこの優しさに頼るしかない。弱いあたしは一人じゃなにもできないからだ。
あたしは「やる」と答えた。
4
聖と一緒に空手道場に毎日通った。
すぐに自然と学校でもプライベートでも聖と過ごすようになった。
聖は「一緒に付き合って」と言ってあたしをいろんな所に連れて行った。
街に服を買いに行った。聖のセンスがいいからあたしも自然とおしゃれになった。化粧も教えてもらい、ピアッサーでピアスの穴も空けてもらった。
聖の行きつけの美容室にも一緒に行った。あたしの希望でショートカットにして髪をシルバーに染めてもらった。金髪の聖に合わせたかった。聖みたいに強くなりたかったからだ。
二人で流行りのカフェに行き、写真を撮ってSNSにアップした。聖とスマホで連絡を取らない日はなかった。
あの入学式の日からクラスのカーストの頂点は聖だった。その聖と一緒にいたあたしもみんなから一目置かれた。みんなから話しかけられるうちに、いつの間にか他人と怖がらずに話せるようになっていた。
母親から「地位は人を作る」と聞いたことがある。人はそれなりの地位につくと、その地位に見合う人間に成長していくらしい。それを実感していた。
聖との日々は本当に楽しくて、あたしは夢にまで見た「普通の女の子」になれた。こんな幸せな日々を送れるとは思わなかった。計画とは違った形になったけど、真梨愛に復讐する前に夢を叶えることができたのだ。
ただし、普通の女の子にも苦労はある。
その一つがナンパだ。聖と街で歩いていると高確率でナンパされる。
ある日に聖が「たまには付き合ってみようか」と言って、声をかけてきた男子高校生二人組とカラオケに行ったことがあった。
彼らは部屋に入るなりあたしたちを押し倒そうとしてきたから、聖が殴り倒した。二人で走って逃げてだいぶ離れた道でヘトヘトになって大笑いした。
その時にあたしは聞いた。
「聖には怖いものはないの?」
どんな相手にも立ち向かえる聖の強さに、あたしは憧れていた。
「あるよ」と聖は笑った。
あたしに気を遣っているのだと思った。本当は怖いものなんてないのに、あたしに同じ人間だと思わせて安心させようとしているのだと。
あたしは聖を超人だと思っていた。
自分のことで精一杯で、聖の苦しみに少しも気づいていなかったのだ。
〈後篇〉は5月25日(水)公開予定です。