第34回
文字数 2,811文字
「北風と共に勢いが増しているコロナの感染状況は、
“第三波”との報道もあり、またまたひきこもり圧が高まりそうな日本列島。
街にイルミネーションが灯ろうと、気が早いクリスマスソングが流れようと、
トレンドは間違いなく“ひきこもり”!
脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、
困難な時代のサバイブ術!」
諸般の理由で掲載順がいれかわったので、以下若干古い話になるが、アメリカ大統領戦が一応終わった。しかし、なかなか終わらなかったので、もしかして、どんなに差がついても参ったと言うか、大将の首を獲るまで終わらないという将棋ルールなのかと思ったが、双方首がついたままで選挙自体は無事終わったようである。
しかし、終わったはずなのに敗北は認めず、「今度は法廷で戦おう」などと言っているのを見ると、改めて「切腹」を美徳と思っていたような日本がこんな国に勝てるわけがない、と再確認できた。
だが「そういうの」がありなら、今後は自分も打ち切りを宣告されるたびに「アクセス数やアンケートに不正があった」として争う構えを見せる欧米式を取り入れようかと思ったが、ドナルド(ノットハンバーガー)が「争う」と言ってセクシーな雌ヒョウの構えをしているのは、争える金があるからである。
日本でも、何かというと訴訟や「弁護士の友人」の存在をチラつかせる人が増えて来たが、おそらくそういう人は訴訟に金がかかるということを知らないし、友人でも弁護士には報酬を払わなければいけないということも知らないのだと思う。
もし「お友達価格で」などと言ったら、その弁護士は友人ですらなくなるだろう。
また、勝てば費用含めてプラスに出来るかもしれないが、当然負ける可能性もあり、むしろ自分の金で相手の方が正しいと法的に立証してしまうことにもなりかねない。
つまり「訴える」というのは「無双できる」という意味ではないので、ドナルドのように勝つまでやれそうな財力がなければ安易に言わない方が良い。
などといかにも米大統領選に興味津々な風だが、選挙結果というよりは己の株の行く末が心配なのである。
結論から言うと、6桁あったマイナスがなくなり(プラスとは言っていない)一安心したのだが、何故マイナスがなくなったのかはよくわかっていない。
どうやったら株価が上がって何が起これば下がるのか、理解していない時点で株はやめた方が良い気もするが、日本株の場合、企業の公式アカウントが悪ノリして燃えると下がるということはわかったので、ぜひ、今株が高騰している企業のアカウントは会議室で定期的に開かれているお葉っぱパーティの様子などをアップして、お手頃価格になっていただけると助かるし、社長がセンターで周りに新入女子社員という配置だとなお良い。
このように、人間は金が絡むとモラルが著しく低下してしまう。
自分もひきこもり生活が維持できなくなってきたら、犯罪に手を染めてしまう可能性が十分あるので気を付けなければならない。
何度も言うように、ひきこもりは家にひきこもっているのが本人にとって一番良く、社会のためにもなっている場合が多い
しかし、最終的に行政の世話にならずにひきこもりとして生きるというのが、難しいのも確かである。
読者の中にも、あきらかに自分はひきこもり向きであり、アシタカとはノリが違う人間ということも重々承知だが、それでも森ではなくタタラ場という名の社会で生きていきたいと思っている人は多いだろう。
それは実に正しい判断だが、あまり無理をしてアシタカの「元カノのプレゼント新カノにあげたったww」みたいな武勇伝に「すごいっすね~」と無理して合わせていたら疲れてしまうし、結局森にひきこもった上に、タタリ神という名の新聞に載るタイプのひきこもりになってしまう。
そういう、根はひきこもりだがタタラ場にも出ている人は、とにかくタタラ場でのストレスを減らすことが重要である。
社会でのストレスといえば大体人間関係なので、タタラ場でストレスを感じている人は自分のことを「コミュ症」と思っている人が多いと思う。
世の中には「自称コミュ症」だが、実際は「症」などというレベルではなくもはや「瘴」まで画数を増やすべきレベルの人もいるが、逆に自分をコミュ症と勘違いし、そう思い込むことでストレスを感じてしまっている人もいる。そういうタイプは、考え方次第でタタラ場での生活が楽になる場合もある。
そもそも、会社勤めが出来ている時点でそこまで重症ではない。
世の中には定時に会社に存在することすら無理であったり、あいさつも出来ないという、加藤鷹に言わせれば、コンドームをつけられない男レベルの中出し社会不適合者も大勢いるのだ。
さほどコミュ症でない人間が自分をコミュ症と思い込む原因は、自分の発言の「得点」ではなく、「失点」の方ばかりを見ているからという可能性がある。
職場での会話など、用件が無事伝えられれば100点なはずである。そこに「オフっ」とか「ファっ」などの奇声を入れてしまい、85点ぐらいに減点されたとしても十分上出来の部類だ。
ホンモノのコミュ症というのは、まず伝えなければいけないことすら伝えられないものだ。
しかし、家に帰って思い出すのは「15点の失点」だけで、85点取れたという部分には全く目を向けないので「今日の自分の発言はマイナス15点」となってしまい、俺ははなんてコミュ症なのだ、と思い込んでしまうのだ。
このように、タタラ場で生きづらさを感じている人間の中には、一日の終わりに「今日タタラ場であった嫌なこと」だけを思い出して、何度も反芻しているタイプが一定数いる。
本当に外で嫌なことしかないなら仕方がないが、楽しいこともあったのに嫌なことだけ思い出していたら、「外に向いてない」となってしまうのは当たり前である。
もし、苦痛で仕方がないが外で生きざるを得ないという人は、まず外であった嫌なことを「思い出さない」ことから始めてみてはどうだろうか。
そして万が一楽しいことがあったなら、そっちを味がなくなるまで、どころか、消滅するまで噛み続けてみよう。
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中