第42話 宿敵・大河内に呼び出された立浪は、深々と頭を下げた

文字数 2,748文字

 八階。エレベーターの扉が開くのと入れ替わりに、立浪は回想の扉を閉めた。
 立浪はエレベーターを降り、黒革貼りのドアの前に立った。
 天井からは四台の監視カメラが睨(にら)みを利かせていた。
 インターホンを押すと、待ち構えていたようにドアが開いた。
 坊主とポニーテイル――百九十センチ近い二人の大男が現れ、無言で立浪の両サイドから腕を取り黒大理石貼りの沓(くつ)脱ぎ場へと引き入れた。
 二人とも身長だけでなく、ラグビー選手さながらに屈強なガタイをしていた。
「なんだ、いきなり?」
 立浪の問いかけには答えず、二人の男が立浪のボディチェックを始めた。
「盗聴盗撮防止のために預かるぞ」
 坊主が立浪のチノパンのヒップポケットから引き抜いたスマートフォンを掲げつつ言った。
「ついてこい」
 ポニーテイルが立浪に命じると、フロアの奥へ歩き始めた。
 二十坪ほどのスクエアな空間には毛足の長い絨毯(じゅうたん)が敷き詰められ、高価そうな白革のソファがL字型に設置されていた。
 壁際には酒棚が埋め込まれており、高級酒のボトルやバカラのグラスが並んでいた。
 空いているスペースには、サルバドール・ダリの絵画がかけられていた。
「ここで待ってろ」
 坊主が立浪にソファに座るように促した。
「『スラッシュ』の立浪がきました」
 ポニーテイルがスマートフォンを耳に当て、誰かに告げた。
 恐らく大河内に違いない。
 立浪の予想通り、奥の部屋――社長室からモスグリーンのスリーピーススーツを着た百八十センチほどの中年男性が現れた。
 新聞や週刊誌に掲載されている写真は見たことはあったが、実物と会うのは初めてだった。
 ツーブロックの七三分け、鷹(たか)のように鋭い眼――プロフィールでは五十歳となっているが、三十五歳の立浪より少し上くらいにしか見えなかった。
「俺を目の敵にしている立浪君から、会ってほしいと電話がかかってくるなんて夢にも思わなかったよ」
 大河内が皮肉っぽい口調で言いながら、ソファに腰を下ろした。
 入れ替わるように立浪は立ち上がった。
「このたびは、本当に申し訳ありませんでした」
 立浪は大河内に深々と頭を垂(た)れた。
「おいおい、お前が謝るなんて大雨が降りそうだな。俺は明日ゴルフなんだ。勘弁してくれ」
 大河内が人を小馬鹿にしたように言った。
 ただ座っているだけなのに、大河内の全身から発せられる危険なオーラに立浪は圧倒されそうになった。
「いえ。私のやってしまったことは、お詫びしてもしきれません」
 立浪は頭を下げたまま言った。
「虎のように牙を剝(む)いていた男から、急に猫のように謝られても信用できねえな。まずは、俺に渡すものがあるだろうが」
 大河内が手を差し出しながら、電子タバコをくわえた。
「失礼しました。昨日電話でお話しした、牧野さんの動画です」 
 立浪は上着のポケットから取り出したUSBメモリーを大河内の掌(て)に載せた。
「コピーは?」
 大河内は受け取ったUSBメモリーを坊主に渡し、立浪に訊ねてきた。
「コピーはありません」
 立浪は即答した。
 もちろん、別のUSBメモリーはある。
「まあ、愚問か。コピーしているなんて言うわけないよな」
「いえ、本当に……」
「とりあえず座れ」
 大河内に従い、立浪はソファに腰を戻した。
「言い訳はいらんよ。俺にとって重要なのは、お前が詫びる気になった理由だ。そんな大胆なことをやっておきながら、心変わりした理由を話してみろ」
 大河内が立浪を促し、右手でグラスを持つ仕草をした。
 ほどなくしてポニーテイルがテーブルワゴンを運んできた。
 テーブルワゴンの上には、二つのタンブラーとスペードのマークの入ったシルバーのシャンパンボトルが載っていた。
「飲むか?」
 大河内がシャンパンクーラーから引き抜いたボトルを掲げて訊ねてきた。
「いいえ」
「お前みたいなサラリーマン風情では滅多に飲めない、『アルマン・ド・ブリニャック』のシルバーボトルだぞ? キャバクラで飲めば、五十万はするブランドボトルだ」
 シャンパンを開栓する空気音が室内に響き渡った。
「ほら、遠慮するな」
 大河内はタンブラーになみなみと注いだシャンパンを立浪に差し出した。 
「本当に、結構です。私はお酒があまり得意ではないほうですから」
 立浪は噓(うそ)を織り交ぜ、丁重に断った。
「つまらねえ野郎だな。じゃあ、俺だけ飲むからよ」
 大河内がタンブラーのシャンパンを、まるでビールのように一息に飲み干した。
「社長、USBの動画です」
 坊主がノートパソコンを大河内の前に置いた。
『ふざけんじゃねえぞ……てめえ! 俺を誰だと思ってる!? おいっ、答えろ! ただで済むと思ってんのか!? ああ!?
『落ち着いてくださいっ、牧野さん! 薬物で錯乱していますから、大事故に繋がります!』
 大河内は再生された動画を観ながら、手酌(てじゃく)でシャンパンを注いだタンブラーを傾けた。
 まるで、寛(くつろ)ぎながら映画のDVDでも観ているようだった。
 大河内は表情一つ変えずに、ディスプレイを凝視していた。
 看板スターが薬物を摂取しているように錯乱している映像を目(ま)の当たりにしても取り乱さないあたり、さすがに肚(はら)が据わっていた。
「こいつは、ビールを飲むときのタンブラーだ」
 唐突に大河内が言うと、ノートパソコンのディスプレイに眼を向けたまま空になったタンブラーを掲げた。
「え?」
「どうしてシャンパングラスで飲まないんですか? って、よく訊かれるよ。どうしてシャンパングラスで飲まなきゃならねえんだ? って、俺は逆に訊く」
「あの……話の筋が見えないんですが」
 立浪は正直な気持ちを口にした。
 大河内がなにを言いたいのかわからなかった。
「シャンパンをタンブラーで一気飲みするのが俺の常識だ。世間の常識は関係ねえ。俺は俺の考えに従って動く。お前がどうしてこの動画を撮ったのか? お前がどうして一転して詫びを入れてきたのか? 理由を説明してみろ。条件つきで許すか許さねえかは、話を聞いてからだ」
 牧野健が醜態を晒す動画を凝視したまま、大河内は淡々とした口調で言った。
「アイミーの記事を潰されたことを根に持ち、大河内社長に一泡吹かせてやろうと思いました。すみませんでした!」
 立浪はソファから立ち上がり、大河内の足元に土下座した。
 敵を欺(あざむ)くためとはいえ、大河内に平伏(ひれふ)すのは屈辱だった。
「詫びる気になった理由は?」
 頭上から大河内の質問が降ってきた。

(第43話につづく)

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