季節の移ろいに現れる仕掛人の生理/縄田一男

文字数 4,202文字

2023年は池波正太郎生誕百年。2月3日から映画『仕掛人・藤枝梅安』が公開されます! そこで、「仕掛人・藤枝梅安」に精通した熟達の文芸評論家・縄田一男さんにシリーズの魅力をたっぷりと語っていただきました。容易には見つからない善と悪の境界――縄田さんだから聞き分けられた「梅安の本当の声」とは?
季節の移ろいに現れる仕掛人の生理

仕掛けを生業とする者は、その都度人間らしい気持ちを失い、喪失を癒やさなければ次へは進めなかった。

容易には見つからない善と悪の境。老練な書評家が聞き分けた「梅安の本当の声」。

〈仕掛人・藤枝梅安〉の第一巻『殺しの四人』の表題作の冒頭に次のような箇所がある。

 一つの殺しを終えると、梅安はかならず、江戸をはなれ、箱根か熱海の温泉につかり、放心の日々をすごすことにしている。それが彼の休養にもなるし、次の仕事への〔こころがまえ〕をかためてゆくことにもなる。

 梅安が湯治に来たのは夏前、前作「おんなごろし」で仕掛けを終えたのは春。このように〈仕掛人・藤枝梅安〉の連作では、季節の移り変わりを追って梅安の活躍が描かれている。


 従って何気なく読み進みそうだが、このくだり、自然の摂理、すなわち生理と、一つ仕掛けをしてのけると温泉にでもつかって一瞬なりとも人間らしい気持ちを取り戻せねば、次の仕掛けをする事が出来ぬ仕掛人の生理が二重写しにされているのではあるまいか。


 この連作を見ていくと『殺しの四人』巻頭の前述の「おんなごろし」の発端が新年の初め。そして巻末の「梅安晦日蕎麦」はもちろん師走。


 さらに第二巻『梅安蟻地獄』巻頭の「春雪仕掛針」が春、巻末の「闇の大川橋」の背景が師走。


 このように見ていくと、二巻目までは約二年間の物語である事がわかる。従って作中に記されている季節の移り変わりを丹念に見ていけば、全七巻にわたるこの物語が何年のそれであるかは自ずと知れようというものだ。


 その中で、〔起り〕→〔蔓〕→〔仕掛人〕という手順で行われる仕掛けの数々をやってのける、梅安、彦次郎、小杉十五郎ら仕掛人の息遣いを読者に十二分に伝えてくれる作者の手並は尋常ではない。


 先に述べた季節や人々の生理は、毎日の生活が一つのリズムとなって歳月を作っていくという考え方に根ざしたものであろう。


 私が中学生の時の話しだから、随分昔の事になる。当時の東京12チャンネル、現在のテレビ東京の土曜の夕方に文藝春秋が提供する「文春サスペンス」という番組枠があった。内容は、「アンタッチャブル」や「探偵ストレンジ(犯罪学紳士)」など、旧作の海外ドラマを放送していた。


 面白いのはそのCMだ。文春の提供だから、文春で仕事をしている作家が総動員され、彼らの日常とともに、作家の口を通して作品のテーマやモチーフが開陳される事があった。


 池波正太郎もそのCMに登場した一人で、今でもはっきり覚えているのは“人間、寝て喰って子供をつくって、それが上手くいかないからサスペンスが生まれ、物語が出来る”と言っていた事だ。


 まさに生活のリズム、すなわち、生理をさまたげる輩がいるから、それを陰から調整する仕掛人のような存在が必要となるのである。


 そこについて『殺しの四人』のあとがきで作者が記している、

「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」

 という〈鬼平犯科帳〉や〈剣客商売〉とも共通する池波作品全体を貫く大きなテーマがかかわってくる事になる。


 例えば「梅安蟻地獄」で、「(いま、私は【仕掛け】をする気もちにはなれねえのだが……)」と、金はたっぷりあるし、出来るなら当分、鍼医者として暮し、己れの治療の研究と技術を深めていきたいと考えている梅安は、金銭を離れてまで患者の面倒を見てやるものだから「仏の梅安」などと呼ばれている。


 しかし当人は、「(金ずくで人を殺める仕掛人が、何で仏なものか……)」と複雑な心境である。だが、仕掛けの礼金があればこそ「人助け……」も出来るのである。

 こうした矛盾については、梅安も彦次郎も深く考えたことがない。二人のように〔仕掛けの道〕へ、いったん踏みこんだ者は、もはや、そこから足をぬくことが絶対に出来ぬ。ただ本能的に、無意識のうちに、藤枝梅安が体得していることは、「善と悪とは紙一重」であって、「その見境は、容易につかぬ」

 という事になる。


 その善と悪との境を知ってか知らずか、「梅安蟻地獄」から登場する小杉十五郎は、梅安や彦次郎とは、少々、事情が異なる。十五郎は、浅草・元鳥越に〔奥山念流〕の道場を構えている牛堀九万之助の死後、師の跡目を巡る争いの渦中にまき込まれ、やむなく剣をふるった事から恨みを買い、重ねて複雑な事情から“殺しの道”に足を踏み入れてしまう。


 梅安は、十五郎を道場の面々から守るため大坂の白子屋菊右衛門に預ける事にする。


 この白子屋、かつては〈鬼平犯科帳〉にも登場、自分と医師・中村宗仙との男同志の約束を踏みにじった配下を葬り、長谷川平蔵をして「白子め、やるのう」(「麻布ねずみ坂」)とまで言わしめた男だったものである。


 本シリーズでも『殺しの四人』所収の「秋風二人旅」に登場、梅安に仕掛けを依頼する事になる。大坂の香具師の元締で暗黒の世界に絶大な勢力を張っている人物である。


 梅安は、十五郎を預けるにあたり決して仕掛けをやらせぬようにと頼んだのだが、白子屋はその約束を破ってしまう。


 本シリーズの後半は、小杉十五郎の扱いをめぐる梅安と白子屋の対立、それは初めは私怨からの殺し合いであったが、白子屋は一方で権勢欲にかられて江戸進出を目論むようになるのである。


 私たちはここに、人間は、いつ、どんな風に変わるかわからぬものだ、という作者の声を聞く想いがする。


 そして、今述べたように、本シリーズの後半のモチーフは、あたかも東西暗黒街の抗争めいてくる。さて、フランスでは、暗黒街や裏社会に生きる男達を描いた映画を暗黒映画、小説を暗黒小説と呼ぶが、〈梅安〉後半の展開は、江戸版暗黒小説の趣きが強い。


 元々、短篇集『江戸の暗黒街』で初めて、時代小説の世界に暗黒街を持ち込み、フランス映画にも精通していた作者のこと、このような設定は朝飯前の事であったのかもしれない。


 様々な仕掛けを行ないつつも白子屋との凄絶な死闘が展開する第五巻『梅安乱れ雲』、梅安が行なった誤った仕掛けを自らただし、あわせて死者へのとむらいとする第四巻にしてシリーズ初の長篇『梅安針供養』が印象深い。


 一方で、敵討ちは本シリーズの初期の頃からモチーフとして度々登場しているが、恩師・津山悦堂を裏切った浪人を仕掛けようとするや、意外な敵討ちに話が発展する「梅安雨隠れ」のラストで梅安が亡き悦堂に「(悦堂先生。これでようございましたろうか?)」と語りかける場面は印象的だ。何故ならば池波正太郎の師・長谷川伸のライフワークの一つが敵討ち研究であっただけに、梅安の想いは、作者の内なる師への問いかけのようにも思えるのである。


 この短篇が併録されている第五巻『梅安乱れ雲』の表題作である第二長篇では、道中ものの面白さを満喫した末、ついに白子屋の息の根を止める事になる。そして第六巻にして第三長篇『梅安影法師』及び第七巻にして未完の長篇『梅安冬時雨』は、白子屋の残党との闘いを描いたものである。


 池波正太郎は様々なインタビューに答えて〈鬼平犯科帳〉や〈剣客商売〉に比べて〈仕掛人・藤枝梅安〉が書いていていちばん骨が折れると述べているが、それは偏に仕掛人という梅安の職業が持つ特殊さ故であろう。


 善でもなく人間という生き物の矛盾の体現者であり、一掃者──それを描ききるためには前述の「梅安雨隠れ」のように作者自ら「割合に自分でも気持ちよく書けた」と言うような後味の良い番外篇的な作品も必要であったのだろうし、それを書いて作者は再びいつ果てるともなく続く暗黒の抗争へと梅安を送り出していったのではあるまいか。


 その両者の振幅の中から生み出されたのが前述の最後の長篇『梅安冬時雨』なのである。


 この最終巻で、梅安はかねて馴染みの浅草・橋場の料理屋〔井筒〕の女中から、今では主人に経営をまかされるようになったおもんにはもう会わぬほうがいいと思うようになっている。絶えず身に危険が降りかかってくる自分には、女との暮しなど思ってもみない事だし、それは「殺しの四人」の頃から記されている事だが、仕掛人はいつも自分が殺されて死ぬ日の事が頭から離れない。


 おもんの身の行く末も落ち着いた事だし、今が別れの汐どきかもしれぬというのが梅安の結論なのである。


 このように女との関係を断つ一方で、ひとつ自分の家を建ててみたいというのが梅安の新しい望みなのである。


 こうした日常で安息を求めるという事は、もしかして仕掛人としての生理に反してはいないだろうか。


 梅安は小杉十五郎に「私はもう、小杉さんに人を斬らせたくないのですよ」と言うが、作者は「梅安の、その声には、十五郎を、というよりも、自分をいたわっているような響きがこもっていた」と記している。


 私は、このくだりからいよいよ〈仕掛人・藤枝梅安〉の物語は、終わりに近づいているのではないか、と感じざるを得なかった。


 が思いもよらなかったのは、梅安ではなく作者の方が急逝してしまった点である。


 そのかわり、私達は〈仕掛人・藤枝梅安〉における梅安の活躍と江戸の四季折々の風物を、主人公の死がぎりぎり回避されたところで幾度も楽しむ事が出来るようになったのである。梅安よ、永遠なれ。



初出:「小説現代 2023年1・2月合併号」

縄田一男(なわた・かずお)

1958年東京都生まれ。『時代小説の読みどころ』で中村星湖文学賞、『捕物帳の系譜』で大衆文学研究賞を受賞。新聞雑誌で文芸評論に健筆をふるっている。

仕掛人・藤枝梅安非情の世界に棲む男
生かしておけないやつらを闇へ葬る仕掛人。梅安シリーズ第1弾!


品川台町に住む鍼医師・藤枝梅安。表の顔は名医だが、その実、金次第で「世の中に生かしておいては、ためにならぬやつ」を闇から闇へ葬る仕掛人であった。冷酷な仕掛人でありながらも、人間味溢れる梅安と相棒の彦次郎の活躍を痛快に描く。「鬼平犯科帳」「剣客商売」と並び称される傑作シリーズ第1弾。

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