自らの死を予言した演説。その翌日、偉大な指導者の頸椎は粉砕された。

文字数 1,871文字

「われは知る テロリストの かなしき心を」(石川啄木)。テロは民主主義にとっての脅威である。しかし、暗殺が歴史のうねりを加速させた例は数多い。そんな暗殺事件から世界の歴史を俯瞰する。(年齢は事件当時)
一発の銃声が告げた黒人指導者の「夢の終わり」。

マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺事件 1968

それまでも何度も暗殺の危機に遭遇していたアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師(39)は、ケネディ大統領の死を聞いた時、「私も40歳までは生きられないな」とつぶやいたという。


1963年、キング牧師の指導の下、アフリカ系アメリカ人への差別の撤廃を求め、20万人を超える人々がワシントンの連邦議会議事堂へと行進した。この「ワシントン大行進」のときにキング牧師が行ったのが、有名な「I Have a Dream(私には夢がある)」というスピーチである。この翌年、キング牧師はノーベル平和賞を受賞している。


キング牧師の最後の演説もまた感動的なものであった。4月3日、牧師はテネシー州メンフィスで”I’ve been to the mountaintop(私は山の頂きに立った)”という演説を行った。目に涙をため、震えるバリトンで語られたのは、まるでその死を覚悟したかのような言葉であった。


「……皆さんと同じように、私も長生きがしたい。長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。(中略)神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれない。だが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に着くでしょう。今夜、私は幸せです。心配は何もない。誰をも恐れていない……」


そして、その翌日、宿泊先のモーテルのバルコニーに出て、階下の支持者と話そうと身を乗り出した瞬間、キング牧師は首を撃ち抜かれて倒れた。弾丸は咽喉から入って頸椎を撃ち砕いており、牧師は間もなく死亡した。


キング牧師はインドの独立指導者、ガンジーに共鳴し「非暴力・不服従」を訴えてきたが、事件後には全米の60か所以上で暗殺に怒るアフリカ系アメリカ人による暴動が発生した。


また、キング牧師暗殺の2ヵ月後には、ジョン・F・ケネディの弟で、大統領選を戦っていたロバート・F・ケネディが兄と同様、凶弾に倒れている


キング牧師暗殺の容疑者として逮捕されたのは、ジェームズ・アール・レイ(40)というアイルランド系アメリカ人の男。犯行後に国外に逃亡したが、数ヵ月後、ロンドンのヒースロー空港で逮捕されている。


1928年、レイはイリノイ州の貧しい家庭に生まれた。小学校一年生で落第を経験。高校を中退後に陸軍に入り、対独戦に参加している。その後は強盗や詐欺などの犯罪を繰り返して服役。1959年には常習犯として懲役20年の判決を受け服役していたが、1967年、刑務所内のパン工場から出るトラックに紛れ込み脱獄。逃亡を続けていた。


レイの身柄はアメリカに引き渡され、犯行を自供。懲役99年の判決が下された。レイの白人至上主義の考えが犯行の動機であるとされた。


しかし、カネ目当ての契約殺人だという説も根強くある。そもそも、脱獄犯で逃亡中であるレイが、政治目的の殺人を行うのだろうか、という疑問は当初から言われていた。


犯行現場近くのレイの宿泊先には、レイの指紋がついた凶器のライフルや双眼鏡、地図、ラジオなどがごっそり残されていた。特にそのラジオはレイが刑務所から持ち出したもので、ご丁寧にもレイの囚人番号が書かれたシールが貼られたまま。その、あまりにも「証拠らしい証拠」の不自然さが指摘されている。


また、彼が偽造パスポートを手に入れたり、高飛びするための資金をどのように手に入れたのかも、わかっていない。レイはその後、「ラウールという男にはめられた」と主張するようになったが、1988年、腎不全により刑務所内で死亡している。


アメリカ政府がキング牧師の活動を影の部分でも妨害していたことは事実だ。FBIはキング牧師のスキャンダルの情報を熱心に収集。牧師の奔放な女性関係を示す盗聴テープをもとに、活動から手を引くよう脅していた。


故郷アトランタにあるキング牧師の墓標には「ついに自由を得た」と刻まれている。

《関連書籍》

『わたしには夢がある』クレイボーン・カーソン、クリス・シェパード/著 梶原寿/訳( 新教出版社)

《関連書籍》

『キング牧師とマルコムX』上坂昇/著(講談社現代新書)

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