最終話 鈴村の涙ながらの説得は、立浪の胸に届くのか?

文字数 2,985文字

「魂なんて売ってない。俺が花巻さんに協力したのは、さっきも言った通り、お前に大河内への復讐を諦めさせるためだ」
「何度言えばわかる。親父を死に追い込んだ大河内を葬る……」
「もう、葬っただろう?」
 鈴村が立浪を遮った。
「牧野健のスキャンダル動画のことを言ってるのか? あんなもの、葬ったうちに入らない。この傷が見えないのか? 大河内はまだ、牙を失ってない」
 立浪は、己の顔を指差した。
「それだけ、追い込まれている証拠だ。あんな動画が流されて世間にも警察にも睨まれているときに、冷静な思考状態ならお前を半殺しにはしないだろう? お前が手を汚すまでもなく、奴はもう終わってる」
 たしかに、鈴村の言う通りかもしれなかった。
 失うものがなくなった大河内には怖い物はなく、自暴自棄(じぼうじき)になっているようにも見えた。
 だが、立浪の心は満たされなかった。
 地位、名誉、金を失っても、大河内の眼は死んでいなかった。
「芸能プロ社長としての大河内はな。だが、俺が潰したいのは『帝都プロ』じゃない。大河内そのものだ」
「じゃあ、USBメモリーを警察に渡せばいいじゃないか。そうすれば、大河内は刑務所行きだ。極刑にはならないだろうが、いろんな罪が重なれば十年は喰らい込むはずだ。大河内そのものを葬ったことになるだろう?」
 鈴村が諭(さと)すように言った。
「いや、それは単に大河内の肉体的な自由を奪ったことにしかならない」
 立浪はにべもなく言った。
「プロダクションを潰された上に、十年も喰らい込めば十分だろう!?
「奴の眼は、まだ死んでいなかった。刑務所送りにするにしても、再起不能にしてからだ。大河内の魂を殺すには、父子の悪事を世間にさらさなきゃならない」
 立浪は、強い意思を宿した眼で鈴村を見据えた。
 自殺と偽装して父を殺し、のうのうと悪事を重ねてきた大河内への復讐を、所属タレントの薬物スキャンダルだけで済ませるなど冗談ではなかった。
「いい加減にしろ!」
 鈴村が、大声で立浪を一喝した。
「いったい、どこまでやれば気が済むんだ!? どこまで悪に染まるつもりだ!?
「花巻と組んで俺を欺いたお前に、そんなことを言う資格はない」
 立浪は、抑揚のない口調で言った。
「だからそれは、お前に本来の道を歩ませるためにやったことだと言っただろう!?
「それはわかった。この件は水に流すから、今後、口を出すな。さあ、USBメモリーを返してくれ」
 立浪は、右手を鈴村に差し出した。
 鈴村が立浪の手を払い除けた。
「おいっ、USBメモリーを……」
 立浪の言葉を遮り、鈴村がテーブルにUSBメモリーを叩きつけるように置いた。
 ため息を吐きながらUSBメモリーに伸ばした立浪の手を、鈴村が摑んだ。
「葬る!? 魂を殺す!? お前はヤクザか!? ゴロツキか!? 違うだろう!? お前は編集者だ! あんな外道のために人生を棒に振って、親父さんが喜ぶと思ってるのか!? 本当に親父さんのことを思うなら、編集者としての本分を全うしろ!」
 鈴村が涙に赤く充血した眼で立浪をみつめ、声を嗄(か)らして訴えた。
「編集者としての本分!?
 立浪は繰り返した。
「ああ、そうだ。大河内を潰すことより、失踪者扱いになっている女子高生のことを考えろ! 大河内の悪事を晒すことばかりに心を奪われて、殺された女の子のことはどうだっていいのか!? 写真週刊誌の編集者として……いや、人として、警察に真実を告げることをなにより優先すべきだろう! 親父(おやじ)さんの無念を晴らせば、女の子の無念は晴らさなくてもいいのか!」
 鈴村に、返す言葉がなかった。
 たしかに大河内への復讐に固執(こしつ)し過ぎて、殺された女子高生のことにまで頭が回っていなかった。
「このUSBメモリーをどうするかは、お前に任せる。『スラッシュ』編集部にはいられないだろうが、局長にはお前を文芸部に戻してくれるように頼んである。まだ正式な返事は貰ってないが、恐らく大丈夫だろう。正しい判断をしてくれると、信じてるぞ」
 鈴村は言いながら席を立つと個室を出た。
「悪いが、お前の期待には……」
 立浪は、USBメモリーに虚ろな視線を落としたまま呟(つぶや)いた。
                    ☆
 夜風を浴びながら立浪は、目黒川沿いを歩いた。
 鈴村が帰ってから一時間ほど、立浪は注文もせずに店に残っていた。
 鈴村から浴びせられた言葉に心が揺らいだが、大河内を許せない気持ちに変わりはなかった――許せるわけがなかった。
 USBメモリーを握り締めたまま、立浪はタクシーを拾うために大通りに向かった。
 動画の拡散は、会社に行かなくても渋谷の自宅でできる。
 なにより大河内の捨て身の反撃を考えた場合、会社で作業をしていると「スラッシュ」に迷惑がかかる恐れがあった。
 立浪は、空車の赤いランプを灯(とも)したタクシーを止めた。
「渋谷まで、お願いします」
 立浪は運転手に告げ、シートに背を預け眼を閉じた。

 ――あんな外道のために人生を棒に振って、親父さんが喜ぶと思ってるのか!? 本当に親父さんのことを思うなら、編集者としての本分を全(まっと)うしろ!

 鈴村の声が、立浪の脳裏に蘇(よみがえ)った。
 言われるまでもなく、わかっていた。
 立浪のやっていることを、父が喜ぶわけがない。
「渋谷の、どちらに向かいましょうか?」

 ――いったい、どこまでやれば気が済むんだ!? どこまで悪に染まるつもりだ!?

「まもなく渋谷駅ですが、どちらへ?」

 ――葬る!? 魂を殺す!? お前はヤクザか!? ゴロツキか!? 違うだろう!? お前は編集者だ!

「お客様?」

 ――大河内を潰すことより、失踪者扱いになっている女子高生のことを考えろ! 大河内の悪事を晒すことばかりに心を奪われて、殺された女の子のことはどうだっていいのか!?

「渋谷の、並木橋(なみきばし)通りに行ってください」
立浪は脳裏に蘇る鈴村の声を掻き消すように、自宅マンションに続く通りの名前を口にした。
「かしこまりました」
 立浪は眼を開けた。
 窓越し……立浪の視界の端を、「渋谷警察署」の建物が過(よぎ)った。

――写真週刊誌の編集者として……いや、人として、警察に真実を告げることをなにより優先すべきだろう! 親父さんの無念を晴らせれば、女の子の無念は晴らせなくてもいいのか!

「……停(と)めてください」
 絞り出すような声で、立浪は言った。
「え? まだ、並木橋通りに入ってませんが?」
「いいから、止めてくれ」
 立浪が静かな声で繰り返すと、運転手が路肩にタクシーを寄せて停車した。
「しばらくの間、話しかけないでくれ」
 立浪は、運転手に言い残すと眼を閉じた。

――他人様(ひとさま)のスキャンダルを飯の種にしている私達の仕事は、ハイエナだ寄生虫だと世間から嫌悪されている。だがな、私はスポーツ紙の記者という仕事に誇りを持っている。嫌われ者にも、矜持(きょうじ)ってものがあるのさ。

 記憶の中の父の言葉に、立浪は上着のポケットに手を入れUSBメモリーを握り締めた。

(おわり)

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