松居大悟×又吉直樹 『またね家族』刊行記念対談

文字数 7,693文字

注目の映画監督、松居大悟氏の小説デビュー作『またね家族』がついに刊行!

発売を記念し、松居大悟氏と又吉直樹氏との対談が実現しました!

二人の出会い、創作へのそれぞれの姿勢など、ここでしか聞けない話が満載の対談をお楽しみください!


 (インタビュー・文:瀧井朝世) 


真っ先に読んでほしかった人



松居 はじめて会ったのは三年ほど前ですよね。又吉さんが、僕がやっている劇団ゴジゲンの舞台「くれなずめ」を観に来てくださって。


又吉 松居さんとも僕とも仲のいいクリープハイプの尾崎世界観さんから「舞台面白いですよ」と聞いていたので、「じゃあぜひ」と言って観せてもらったんです。観て、すごく好きでしたね。僕はその人が自分がやってることを信じているかどうかがすごく重要なんですが、舞台上で、何かを信じてる人たちが全力で表現していて、感動しました。


松居 ありがとうございます。「くれなずめ」は、結婚式の披露宴と二次会の間の時間の話で……。


又吉 本来、日記に書かない時間ですよね。日記に書かれたり記憶に残ったりするのは披露宴とか二次会のことだけど、あの舞台はその間の「なんか時間あるから一緒におろうか」みたいな時の話で、そこが好きでした。


松居 僕はもともと形容できない瞬間とか感覚をテーマにしているんです。あの日は舞台の後、一緒に飲みましたよね。僕が前から又吉さんの小説を読んでいたので、そういう話をしたりして。今回『またね家族』を書いた時、又吉さんと尾崎くんには最初に読んでほしかったんです。やっぱり僕が小説を書こうと思ったのは、二人が小説を書いていたことが大きいので。


又吉 半分くらい進んだところで松居さんに「めっちゃ面白いです」ってメールで送りましたよね。まずびっくりしたのが、文章がめっちゃうまかったこと。いろんな本を読んでいると、自分のテンポと合わへんな、と思うものもあるじゃないですか。でも松居さんの読み始めたら、めっちゃリズムが合うわ、って。


松居 めっちゃ嬉しい……!


又吉 分かるな、というところがいっぱいあって。分かるといっても、こうなったらこうなると全部予想できてしまうと楽しめないけれど、松居さんはもういっこ先を細かく書いてくれるんですよね。途中までは知ってる風景やけど、そのもういっこ先、そこは知らんかったなというところまで書いてくれる。冒頭のところで完全につかまれましたね。


松居 主人公がやっている劇団の公演が終わって、ロビーで面会している場面ですか?


又吉 そう。僕はライブをしても楽屋面会はあんまりしないんです。でも演劇では面会しないといけない雰囲気がありますよね。主人公が説教してくる人につかまっているうちに、本当に感想を聞きたかった人が帰ってしまうところとか、めっちゃ面白かったです。なるほど、この細かな感覚で書いていくんやと思いました。小説の冒頭って、世界に対してこういう認識を持っている人の話です、という表明になるじゃないですか。この時点で絶対に面白いと思いました。松居さんは、小説を書くのはこれがはじめてですよね。


松居 はい。四、五年前から「小説に興味ないですか」と出版社の人に言われていたんですけれど、僕は演劇とか映画とか、みんなで作ることを続けてきたので、編集者と二人で何か作るということがちょっと怖かったんです。でも去年、映画を撮る予定が延期になって五ヵ月くらい時間ができたり、父の七回忌があったりして、自分が逃げ続けてきた家族との関係性に向き合おうと思いました。


又吉 ああ、小説は途中から家族の話になっていきますよね。


松居 僕、家族というものからずっと逃げていたんです。俯瞰できないから、家族というものを作品にできなかった。演劇や映画って、自分の考えをみんなと共有しないといけないじゃないですか。自分は家族に対してこういう思いを持っていて、こういうふうに作ってほしいと伝えなきゃいけないけれど、それを言いたくなかった。でも小説なら編集者と二人だけの作業だし、人と共有しなくても書けると思ったんです。それで、この小説はフィクションですが、父が癌になって余命を告げられてやきもきして過ごした時期の、一連の自分の感覚をベースにしました。小劇団とか商業演劇のあり方とか、身におぼえのあるところから書き始めていったんです。


又吉 僕らが最初に経験する共同体って家族やから、家族の中での立ち位置と社会に出た時の立ち位置は無関係ではない。そういう読み方ができて面白かったですね。松居さんは普段から立体的にこの世界や時間をとらえてはるねんなとも感じました。


松居 最初は、原稿用紙やパソコンに向かうと「小説を書く」って構えてしまって、全然書けなかったんです。それで、ブログを書いたりLINEを送ったりする感覚で、スマホで書き始めたらできました。


又吉 スマホで全部書いたんですか?


松居 はい。その後でパソコンで整理する作業はやりましたけど。又吉さんも、『人間』の後半で家族に向き合おうとしていますよね。あれはどうしてですか。


又吉 僕は、家族のことしか興味がないくらいなんです。子供の頃からずっと父親の機嫌と母親の顔色をうかがいながら動いてきたんで。だからどの作品もだいたい、父親と母親の比喩ですね。


松居 はあー(感嘆)。僕は母子家庭の時間のほうが長くて、父親のことを考えないようにしていたし、父親は仮想敵みたいな感じでした。父は僕のやっていることに興味を示さなかったので、あの人の目に入るくらいの頑張りをしようって思っていたんです。それに、会うといつも無表情でつまんなそうにしてて、人生楽しいのかなって。反面教師にしていました。


又吉 僕も父親のことは、好きは好きなんですけれど、反面教師にしていましたね。父親がお酒好きでギャンブル好きだから、それを全部しなかった。父親が芸人ぽいから、僕は公務員のような芸人になろうと思い、当初は飲みにも行かないで、仕事終わったらすぐ帰ってネタを作ってて。時間が経つと結局父親に似てきて、むちゃくちゃ酒好きになりましたけど(笑)。結局親子やから、父親の嫌やなというところが、自分から出てきますね。


松居 身体の匂いが父親っぽくなった時とか、しんどくなります。


又吉 僕、子供の頃から父親が眉間にしわを寄せて考え事している顔を見て、何格好つけてんねんって思ってて。何年か前、お吸い物飲んで、飲み終わってお椀の黒い影に映っている僕の顔がめちゃくちゃ父親のそれに似ていて。


松居 (大笑)


又吉 そうか、オトンは別にカッコつけてたんじゃなかったのかと(笑)。


松居 ずっと父親は存在しないものとして生きてきましたが、今回書いてみて、よくも悪くも自分には父親というものがいたんだなと認められたというか。自分の中で、今後は他の仕事でも、家族を描いてOKにしようと思っています。


又吉 気持ちが変わったんですね。

共有できなかったことを小説に



松居 又吉さんが最初に小説を出した時はどうだったんですか。


又吉 『火花』より先に『劇場』を書いていたんですが、それより前に、もっと短いものを書いていたんです。その続きを書いたら本にしましょうと言われたんですが、それはあんまり本にしたくないなと思って、「全然違うものを書いていいですか」と言って書いたのが『火花』だったんです。


松居 『劇場』は、劇団を主宰している主人公の話ですよね。


又吉 主人公が劇作家じゃないとあかん理由が一個あったんです。劇作家って自分で脚本を書いて、演出して、人を動かすわけじゃないですか。それって恋愛とも似ているなと思って。恋愛ってふたりの関係からなんとなく未来を想定する、漠然とした台本があるわけです。劇団で学んだことを恋愛に持ち帰ったり、恋愛で学んだことを劇団に持ち帰ったりできるのに、でも、この主人公は恋愛が下手。演出能力が低いという(笑)。まあ要は、相手の特性を見極めていないからなんですが。


松居 演出でも、役者のことをよく理解していないと難しいですからね。


又吉 『またね家族』も、恋愛の要素がありますよね。


松居 恋愛も共有したくないことのひとつだったので吐き出そうと思いました。恋愛も家族のことと一緒で、映画や演劇で「俺、こういう恋愛してきて、こういう作品作りたいんだ」ってできなかった。それで、一回自分の中で、「あれってなんだったんだろう」という感覚を手繰り寄せて。それと、変われない主人公と対比させて、彼女は変わっていく人にしようと思っていました。


又吉 確かに主人公の彼女の緑ちゃんは自立してますもんね。この小説全体がそうですけれど、恋愛の部分もコメディといえばコメディやし、悲しいなあという気もしますよね。本人に感情移入すると辛いけど、客観的にみたら面白い。温泉に行く場面とか、あの感じ、分かります。


松居 ああ、サプライズで温泉旅行に連れていって喜ばれたい、というシナリオがあったのに、その通りにいかなくて心を閉ざしちゃうという。


又吉 行く前からなんかやばいことになる気配が出てましたね(笑)。で、温泉着いたら、それ言ったら終わりやで、という一言を彼女が言う。


松居 着いて一言目にそれは駄目だろうと。「いい景色だね」とか「お風呂良さそうだね」とか言った後だったら、ああ言われてもいいですけれどね。


又吉 僕やったら、もうちょいはやい段階でキレてしまうかもしれません。誰もがあれに近いシチュエーションを経験したことがあると思うんです。僕の場合、高校生の時に女の子と遊園地に行って、ほな帰ろうかとなった時に、なにか気になることがある表情をしていたんです。園を出た後に「大丈夫?」って訊いたら「もう一回あれに乗りたかった」って。園を出た後になって、取り返しのつかないこと言うてくれたなと思いましたね(笑)。「今日楽しかったね」で終わらせられない一言を、不満足のまま今日が終わることを、その子のその言葉が確定させたな、と。


松居 (大笑)


又吉 今思えば、こっちがね、園を出る前に「何かあるの?」って言えばよかったんですけれど。


松居 『劇場』でも、恋愛が泥沼になっていくじゃないですか。その先には地獄しかないのに行くしかない、みたいな。又吉さんは泥沼になっていった時に、もっと行こう、ってなるんですか?


又吉 そうですね。どっちの沼がより深いか確認しあおうや、みたいな(笑)。『劇場』は書評に「最低な男」って書かれたんです。僕からすると、こいつ情けないけど可愛げあるなと思って書いたのに、嘘やろって。自分で書いていると分からないんです。でも映像化されたものを観たら、みんなが言う酷さがちょっと分かりました(笑)。


松居 客観視できたんですね(笑)。


又吉 たしかに酷いなって。


松居 僕も今、少しずつ書店員さんの感想が届いているんですが、「自意識過剰な主人公が」など書かれていて、そうなのかと思って。彼の見ている景色は切実なんですけれど。又吉さんの『劇場』の主人公のことだって、僕はあれは自分だと思いました。劇団主宰なのも一緒だし、売れてる劇団に対する感情とか、自分事として読んでいました。僕なら彼女に対してもうちょっと喋らないかもしれないですけど。又吉さんの小説を読んでいると、自分もその世界に入って、主人公の生きる人生を追体験している感じがあって。それがすごく好きです。


又吉 僕も芥川龍之介とか太宰治とかを読んだ時に、「これ俺やん」と思っていたんです。でも、『火花』を出した時、「主人公は又吉さんですね」とよく言われて最初は戸惑いましたね。もし自分が主人公で芸人の話を描いたら、『火花』と違う話になるんです。なのに、なんで作者と主人公を同一人物に見なすんやろうって。仲良い人でも「読んでると又吉の顔がちらつく」って。それで、『人間』を書いた時、ちらつくこと前提でやったんです。みんな語り手が僕だと思って読んでいると、別の登場人物が出てきて、そいつが芸人で、本を書いて、受賞したらどう思うんやろうと。


松居 そうか。『またね家族』も自分のことを知っている人が読んだら、主人公を僕だと思うかもしれませんね。


又吉 考えてみたら、芥川とか太宰とか読みながら「これ俺やん」って思ってきた自分が本を書いた時に、作品の中に自分が一切出てこないのは矛盾しているんですよね。自分が好きになった小説にもれなく自分らしき人物が出てきてたのに、自分が書いた小説に自分らしき人物は出てこないのはどうなのか。という理屈でいうと、「この主人公は僕です」と言っちゃってもいいんですけれど、そう言うと、「自分のことを書いたんや」って思われるから難しいですね。

 あるアーティストが、歌を出すたびに「これ実体験ですか?」って訊かれて、その質問がずっと嫌やったんですって。でも『火花』を読んだ時に、僕のことを思い浮かべて読んだらしいんです。で、「自分もやってるやん」って気づいたって(笑)。


松居 (笑)


又吉 作者と作品を切り離して考えるべきと思っている人でさえもそうなってしまう。僕も、その人の曲を鑑賞する時、その人と作品を切り離して鑑賞せなあかんという意識だったんです。そう考える時点で、むちゃくちゃとらわれているやん(笑)。だから、実はどっちでもいいんですよね。

主人公=作者ではないけれど



松居 『人間』にも出てきますが、本業とか本業じゃないとかってあるじゃないですか。僕は映画をやると「演劇の奴が」と言われ、演劇やると「映画に心を売った奴が演劇に戻ってきて」とか言われる。きっと、こうして小説を書いたことも何か言われるだろうし。又吉さんも言われてきたんじゃないですか? どう気持ちに折り合いをつけましたか?


又吉 僕は基本的に人のことは嫌いじゃないんですけど、もし芸人とかが「小説書いて先生になりましたね」とか言ってきたら急にモードが変わりますね。「あなたはライブ全然やってないですよね。僕、毎月やって、芸人の最低限やらなあかんことやってますけど」って言い返します。「そういうこと言ってくる奴に限ってライブやってないんですよ。やってる人はそういうこと言ってこないですもん」って。


松居 理詰めで攻めるという(笑)。その人の本業は何かはっきりさせないと落ち着かないんでしょうね。「結局一番何がやりたいの?」と訊かれると、別にそういうことじゃないのに、って。


又吉 どれを趣味としてどれをビジネスにするとか、そんなのあんまり考えてないじゃないですか。


松居 はい。今回、小説を書いている時ずっと楽しかったから、また書いてみたいと思いましたし。又吉さんは、今後はどういうものを書く予定なんですか。


又吉 『火花』や『劇場』で書き始めたことをちゃんとやりたいと思って『人間』を書きましたが、こっからは又吉の実人生と切り離したところで書いたものになるやろな、と思っているんです。書いてみたら結局、めっちゃ俺やん、みたいになるかもしれないけれど(笑)。松居さんには今後、それこそ結婚式の披露宴と二次会の間の時間とか、ああいう小説を書いてもらいたいですね。シングルカットしない、アルバムの中の曲のようなもの。


松居 そうですね。演劇でずっとやってきた、描く価値がないとされているものを描くということを、小説という形でやったらどうなるんだろう。又吉さんがいつも説明できない、言語化されていないものを描こうとしているところがすごく好きなので、自分もそういうことができたら。


又吉 僕にとっては、説明的じゃないかどうかって重要なんです。よく言う喩えですが、ドラゴンボールのかめはめ波を出そうとしているコントで、「出えへんのに出そうとしている俺ってアホでしょ?」という意識が見えるのは、僕、嫌いなんです。


松居 分かります!


又吉 むちゃくちゃ集中すればちょっと出るかもしれん、って思ってやっていてほしいんです。最初から信じてないことを見せられても、知らんわって。


松居 作り手のしたり顔が見えてくると引いちゃうというか。笑わせたいんだな、泣かせたいんだな、と気づくと冷めちゃうし。


又吉 これ、どっちなん? というのがいいですね。松居さんには、そういうのを書いてほしいです。


松居 この本が発売されていろんな感想を聞いたら、「もう小説はいいや」ってなっちゃうかもしれないですけれど……。


又吉 ああ、僕、あんまりエゴサーチはしないんですけれど、『火花』の時だけ、めっちゃしたんですよ。それでなんとなく仕組みが分かりました。最初に文芸誌で発表した時は、批判にしても「なんか分かるなあ」という感じで、全体的に好意的に受け取られている気がしてたんです。それがだんだん普段本を読まない人にも読まれるようになるじゃないですか。すると、どんどん雑な感想が増えていく。広範囲の人たちに読まれたら「意味わからん」ってめっちゃ言われるようになると分かりました。だから、「どうか読まれませんように」と思ってしまうところがあって(笑)。


松居 読みたい人だけに届くといいのに。


又吉 みんなに喜んでもらえるものにしようとか考え出すと、薄まっていきますもんね。売れてるものしか認めないという人もいるやろうけれど、僕は昔から鑑賞者としては売れてても好きやし、売れてなくても好きやし。作る側になった時に、そういう声に戸惑いすぎると矛盾するなあ、というのをすごく思います。


松居 僕も振り回されないようにしないと。


又吉 なんか、松居さんが本を書いたお祝いの場なのに、自分が本を書き始めてからの愚痴になってしまって……。


松居 (爆笑)。いえ、心構えができました。本を出して何を言われても、大丈夫な気がします。

松居大悟(まつい・だいご)

1985年、福岡県生まれ。劇団ゴジゲン主宰、映画監督。2012年長編映画初監督作品『アフロ田中』が公開。『アイスと雨音』や『君が君で君だ』でも注目を集め、ドラマ『バイプレイヤーズ』シリーズのメイン監督を務める。2017年に北九州市民文化奨励賞受賞。


又吉直樹(またよし・なおき)

1980年、大阪府生まれ。吉本興業所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中。2015(平成27)年、「火花」で芥川賞を受賞。他の小説に『劇場』『人間』、エッセイに『第2図書係補佐』『東京百景』などがある。

『またね家族』 あらすじ


父の余命は3ヵ月。何者にもなれなかった僕は――あなたの息子には、なれたのでしょうか。

小劇団を主宰する僕〈竹田武志〉のもとに、父から連絡があった。

余命三ヵ月だという――。

自意識が炸裂する僕と、うまくいかない「劇団」、かわっていく「恋人」、死に行く大嫌いな「父親」。

周囲をとりまく環境が目まぐるしく変わる中、僕は故郷の福岡と東京を行き来しながら、自分と「家族」を見つめなおしていく。

不完全な家族が織りなす、歪だけど温かい家族のカタチ。


定価:本体1650円(税別)

ISBN 978-4-06-518291-8

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