青酸カリも効かず二発の銃弾を受けても走り回る「ゾンビ怪僧」へのテロ。

文字数 2,170文字

「われは知る テロリストの かなしき心を」(石川啄木)。テロは民主主義にとっての脅威である。しかし、暗殺が歴史のうねりを加速させた例は数多い。そんな暗殺事件から世界の歴史を俯瞰する。(年齢は事件当時)

「悪魔に加護された男」が死に、皇帝一家は機関銃で皆殺しに。

ラスプーチン暗殺事件 1916年

“ロシアの怪僧”グリゴリー・ラスプーチン(44)の死に様は、まさにゾンビを思わせる


初めてラスプーチンが宮廷に呼ばれ、血友病の皇太子アレクセイを“治療”したのは、1905年のこと。それ以来、ラスプーチンは皇帝ニコライ2世(48)と皇后アレクサンドラ(44)の絶大な信頼を得た。彼が祈祷を行うとアレクセイの症状は不思議と治まったというのだ。


そして、皇帝夫妻の寵愛を背景に、ラスプーチンは次第に宮廷内で隠然たる力を持つようになり、帝国の政策や大臣の任命、更迭といった人事にまで口を出し始める。


特に第一次世界大戦に関しては、ドイツとの開戦に反対し開戦後も早期停戦を主張したため、ドイツ出身だった皇后とともに「二人はドイツのスパイ」と言われ、二人の愛人関係すら噂された


ラスプーチンは、宮廷を牛耳られることを恐れた貴族と、貧困に苦しむロシア国民の両方から憎まれていたのだ。


ロシアきっての名門貴族、フェリックス・ユスポフ公爵(29)は、そんなラスプーチンの暗殺を決意。ドミトリー大公(皇帝の従弟)らともに計画を練り、好機を待っていた。


11月29日の午後11時。ロシアの帝都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)にはすでに雪が積もっていた。

青酸カリを混入したケーキや酒を自らの宮殿の地下室に用意し、ユスポフは、仲間とともにラスプーチンを迎えに出かけた。ユスポフは、美人と評判の自分の妻に、ラスプーチンが強い“興味”を持っていることを知っていたので、「妻が会いたがっている」と言って、彼を宮殿に招待していたのだ。


ユスポフは計画通り、宮殿の地下室にラスプーチンを案内し、毒入りのケーキを勧めた。ラスプーチンはそれを二つも平らげ、酒も飲み干す。しかし、それから2時間たっても、彼は倒れるどころか、「奥さんはまだ来ないのか」などと言って平然としているのだ


青酸カリの効果がなかった理由については、そもそも青酸カリが変質していて毒性を失っていたという説や、ラスプーチンが「無酸症」(胃酸が分泌されない病気。青酸カリは胃の酸と結びついて毒性を生む)だったため、など様々に推測されている。


しかし、ユスポフはこの時、「彼は悪魔に加護されている」と思ったという。それでも、懸命に自分を励ましたユスポフは、今度は隙を見てラスプーチンの背中に向けて拳銃を放つ。二つの銃弾は胸部を貫通し、ラスプーチンは倒れ、動かなくなった。


ラスプーチンの死を確信し安堵したユスポフだったが、その時、ラスプーチンが緑色の両目をカッと見開いて起き上がり、「フェリックス、全部皇后に言いつけてやる!」と叫びながら、彼の首を絞めようとしたのだ。


やっとのことで逃げ出したユスポフの叫びを聞いて仲間が駆けつけると、すでにラスプーチンは屋外に出て、宮殿の中庭を走っていたという。完全に怯えてしまったユスポフにかわり、今度は仲間が拳銃を撃つ。1発が背中に命中し、ラスプーチンは再び倒れた。


しかし、これでもラスプーチンは立ち上がろうと歯軋りをしていたため、ユスポフが顔面を殴打、仲間の一人が額を拳銃で撃ちぬいた。そして、ついに動かなくなったラスプーチンの手足を縛り、氷結したネヴァ川に氷を割って投げ込んだのである。


ユスポフらの犯行はすぐに発覚したが、皇族や名門貴族の彼らに警察は手が出せなかった。皇帝夫妻は激怒し、彼らを一時拘禁したが、処刑は思いとどまっている。


ラスプーチンはシベリアの農家の出身。瘦せ型ながら身長は190㎝を超え、頑健な肉体の持ち主だった。訛りが強く、読み書きもままならなかったが、人の心理を読むことに非常に長けていたという。


「あなたがいてくださらないと、なんてイライラすることでしょう。(中略)あなたの手に接吻したり、私の顔をあなたの肩にもたせかけたりしている時しか、私の心が安らぐことはないのです」(アレクサンドラ皇后がラスプーチンにあてた手紙より)


第一次世界大戦中の1年半の間に、アレクサンドラ皇后が夫・ニコライ2世に送った手紙の中には、約150回もラスプーチンの名が出てくるという。ニコライの日記にもまた、頻繁にラスプーチンが登場する。


ラスプーチンの死は、ロマノフ朝ロシア帝国の死であった。ラスプーチンが死んだ約3ヵ月後、革命によってニコライ2世は退位させられ、ロシア帝国は滅びた。そして、一年余りの幽閉の後、ニコライ夫妻は5人の子供たちや従者とともに秘密裡に殺害された。


彼らに向けて機関銃が乱射されようとする直前、アレクサンドラ皇后は子供たち(長子の元皇女オルガは22歳。末子の元皇太子アレクセイは13歳)の前に立ちふさがり「子供たちは撃つな!」と叫んだという。

関連書籍

『最後のロシア皇帝 ニコライ二世の日記』保田孝一/著 (講談社学術文庫) 

関連書籍

『怪僧ラスプーチン ロマノフ朝の最期』コリン ウィルソン /著、 大滝 啓裕/訳(青土社)

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