【恋愛】『マッチ売りの少女』
文字数 1,209文字
【2020年9月開催「2000字文学賞:恋愛小説」受賞作】
マッチ売りの少女
著・たぬぽん
私は、マッチ売りの少女だった。
「マッチ売りの少女」
私は本日、もう何本目になったかわからない煙草の火を消した。私は元々、こんなにヘビースモーカーではなかった。そればかりか、煙草なんて吸ったこともなかった。
私が煙草を吸うようになったのは、好きな人と話せるようになりたかったからだ。
今の会社に入社して間もない頃、私は直属の上司に惹かれた。その上司が結婚していることは知っていた。だけど、どうしようもなく惹かれてしまった。
もちろん、相手の家庭を壊す勇気なんて私にはさらさらなかった。それに、上司から私は恋愛対象としてはまったく見られていないことも、自分でよくわかっていた。それでも、少しだけでもそばにいたかった。
飲み会もろくにないうちの職場では、上司とプライベートで話す時間なんてほとんどなかった。けれど、上司とプライベートで話せる唯一の時間があった。それが、喫煙室での時間だった。
上司が休憩時間にしょっちゅう喫煙室に行くことは知っていた。このご時世、喫煙室を利用しているのはその上司ぐらいだった。だから、私は吸わないはずの煙草を持って、喫煙室に向かった。
「君も、煙草を吸うんだね」
とか、上司には意外そうに言われた。はじめての煙草は、むせないようにするので精一杯だった。
そのうち喫煙にも慣れると、煙草には、不思議な力があることに気付いた。上司と普段は話せないことも、煙草を吸っているあいだだけは、自然に話すことができた。
「じゃあ、これ吸ったら俺、仕事に戻るわ」
そう上司が言う度に、煙草の火よ消えないでくれ、と私は願った。それでも、無常にもいつも煙草の火は消えた。当たり前のことなのだが。
上司よりも先に喫煙室から出るまいと、私の煙草の本数は日に日に増えていった。そう、だから私はヘビースモーカーになってしまったのだ。
私にとってはまるで、煙草はマッチ売りの少女のマッチのようだった。
一本一本、火をつけているあいだだけ、夢を見られる……。
ある日のこと。
「これで吸い納めだ」
上司が、いつもよりハイペースで煙草を吸っていた。
「家族が増えるんだからって、妻が禁煙しろってうるさくてさ」
そう言って笑う上司は、とてもうれしそうだった。
「これが最後の一本か〜」
名残惜しそうに、上司が煙草の火を消す。
「家庭を持っていると大変ですね。私は禁煙なんて絶対にしないですけどね」
上司は、私の言葉に苦笑いして言った。
「女性はあまり煙草を吸わないほうがいいよ」
私はこれからも、喫煙室で煙草を一人で吸う。
もう、マッチ売りの少女を気取っても、夢は見られない。