吉本隆明とねこ、最後の日々のこと ②

文字数 3,008文字

(吉本隆明と猫、最後の日々のこと 1より続く)



「戦後思想界の巨人」とよばれ、長年にわたって、日本人の生き方にも影響を与え続けた吉本隆明。そんな吉本さんが、老いと病に直面した人生の最後に、何を語ったのか──。


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『フランシス子へ』は、吉本隆明が相思相愛の仲だった愛猫フランシス子について語った一冊。

いいとこなんてまるでない、平凡極まりない猫なのに、自分とはまるで「うつし」のようだった。唯一無二の存在を亡くし、とつとつと語られた言葉は、いつしか「戦後思想界最大の巨人」と言われたこの人の神髄へと迫っていく。

『フランシス子へ』講談社文庫


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「月島の家にはいつでも猫がいました。


東京の下町ってこともあるし、猫もいつきやすかったんでしょう。


絶やしたことがなかった。


猫のほうもそれがよくわかっていて、ある猫がいなくなったりすると、日を置かずにちゃんと別の猫がやってきて、まるで自分の家のような顔をしていつの間にかいついちゃう。


猫には猫の連絡網があって「あの家で一匹いなくなったから、ちょっと俺が行ってみるか」なんて、すぐ伝わるんですかね。」


──『フランシス子へ』吉本隆明・著より


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 吉本隆明が亡くなったのは2012年3月16日。


フランシス子が亡くなってから9ヵ月と1週間後のことだった。


最後の肉声を閉じ込めたこの本が文庫化されることになり、長女の吉本多子さんを囲んで、故人が愛した谷中の『蟻や』に集まることに。


奇しくもそれはちょうど命日の3月16日になり、まるで故人のおはからいのようなめぐりあわせに感激しながらの座談会となった。


IN★POCKET 2016年4月号より  構成・文/瀧 晴巳 撮影/関 夏子


人として素の吉本隆明が言葉の中に息づいている。


  谷中にいた頃から、吉本家に猫はいたんですか。


吉本 物心ついた頃にはいましたね。妹(作家の吉本ばなな)ができるまで、私は6年間ひとりっ子だったわけで、猫が兄弟みたいな感じでした。最初に飼ったのは全虎の赤猫で名前は「オニーテ」。たぶん「お兄ちゃん」という意味で、そういうふうに呼んだんだと思うんです。


長岡 吉本さんにお話をうかがっている時も、何か視線を感じるなと思ったら、庭先から猫がじーっとのぞいてることがよくあって。猫にも人にも開かれた家ですよね。


瀧  それこそ大学で教えてほしいという依頼も山ほどあったんじゃないですか。


吉本 それはありますよね。だけど、本人が大学の先生というのを基本的に信じてない。大学の先生こそが中学の先生と入れ替わってみるべきだという持論がありました。


長岡 注4)『15歳の寺子屋 ひとり』は、そもそも「老賢人に話を聞きにいく」という企画でした。4人の15歳たちを連れてご自宅に通うようになったあの時も、正直なところ、子どもたちに場を作ると言いながら、私が吉本さんの塾に通っているような気持ちがありました。


注4)2010年、講談社刊。15歳の男女4人を相手に1年にわたって行われた、小さな寺子屋授業。進路、文学、恋愛……、考え抜かれた言葉の数々で、吉本氏が子どもたちに語りかける。


瀧  子どもたちとも真剣勝負で向き合ってくださって。吉本さんは少年時代に通った私塾を思い浮かべていたのではないかと。


吉本 『15歳の寺子屋〜』の影響なのか、最後の最後になって「俺はここで塾を開きたいから、ポスター描いてくれ」って言ってましたよ。亡くなる前の年です。


長岡 えーっ。その塾、入りたかった!

吉本 父のイメージでは近所の子どもたちが勝手に入ってきて、お菓子食べてという感じだったと思うんだけど、もしやっていたら間違いなく子どもよりおじさんたちが来ちゃったでしょうね(笑)。


斎藤 瀧さんと多子さんとの交流も、その頃から始まったんですか。


  いえ、こんなにいろいろお話しするようになったのは、吉本さんが亡くなった後、多子さんがご自宅を改装して猫屋台を始めてからです。『フランシス子へ』の中で、私は吉本家の玄関は引き戸だと書いているのですが、実は当時は引き戸ではなくて、この時に「そう書いてあるんだから」と本当に引き戸にしてくださったんです。


吉本 改装した中で一番費用がかかったのが引き戸でした(笑)。


瀧   本当に恐縮です(苦笑)。以来、会費制で多子さんの手料理をいただくようになり、相変わらず吉本家に通っているので、なおさら吉本さんの気配を近くに感じています。本づくりのため吉本家に通っていた頃は、多子さんとはそれほどお話ししたこともなく、ただいつもお茶を出してくださって、それが本当に毎回絶妙のタイミングで。


長岡  対話を途切れさせない塩梅といい、優しい気配をいつも感じていました。あの年齢で毎回4時間以上お話しされたのだから、準備も大変だったのではないですか。


吉本  皆さんいらっしゃる直前まで寝てて、起こすのが私の役目でした。


瀧   そういえば、いかにも寝起きという激しい髪型のことがよく(笑)。


長岡 袖口をひっぱりながら「舶来もののセーターはどうして袖が長いんでしょうね」と、困った顔でおっしゃっていたのも忘れられません。男性読者からは「吉本隆明をカワイイとは何事か」とお叱りを受けてしまいそうですが、何とも言えずチャーミングな男性でしたね。


斎藤 とつとつとした語りの中に思想界の巨人というイメージとはまた違う、人としての素の姿が垣間見えるところも『フランシス子へ』の魅力だと思います。文庫版では中沢新一さんに解説をお願いしたのですが『吉本隆明の中の「女性」と「動物」』という解説のタイトルといい、中沢さんには、この本のそうした魅力を翻訳してもらえたなと感じています。


内藤 私が吉本隆明という名前を最初に聞いたのは大学生の時でした。実際に読み始めたのは1990年代になってからで、最初に読んだのは宮沢賢治について書かれた『巡礼歌』だったでしょうか。この人は本当に思っていることしか口にしない。徹底して考える姿勢といい、教わったことはたくさんあって、私にとって吉本さんは「信じられる人」なんです。


吉本 内藤さんからは展覧会の図録に『フランシス子へ』の一節を引用したいと言われて。妹もよく直島(ベネッセアートサイト直島/香川県)に行ってるのですが、内藤さんの作品も沈黙の部分が大きい。根がすごく深いところが父と共通している。だから惹かれたんだと思いますよ。


内藤 私は目に見えるものをつくっているけど、昔から言葉に支えられてきたという感じがあって。自分というのは自分が出会った大切なもので出来上がっていると思っているので、吉本さんの言葉は今や私の中に沁み込んで同化して、もはや自分の言葉なのか吉本さんの言葉なのか区別がつかないほど。シモーヌ・ヴェイユも宮沢賢治も、吉本さんを通して知っていったように思います。自分ひとりでは道がわからない場合でも、吉本さんを通してそういう人たちに近づいていくことができたと思っています。

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