第3話

文字数 2,642文字

 またひとつ、ストリップ劇場が廃業した。初めて訪れたときから、座席のシートは豪快に破れ、スポンジが飛び出し、スプリングは剥き出しだった。「DX歌舞伎町」がなくなる数日前、私はその席に何時間も粘り、人間の尻というのは案外鈍感だな、などと思っていた。


 その帰り道、さすがに鈍感な尻でも感知するほどに、勃起した性器を押しつけられていた。誰もが不快な満員電車の中で、彼は強い快感を覚えている。できれば私もこの酷い状況を打破したい。しかし彼の背後に回って、自分の性器をその尻に押しつけても、決して愉快な気分にはならないのだろう。


 ぎゅうぎゅうのバスの中で痴漢に触られている女性が、周囲の乗客に助けを求めると、助けるどころか全員に触りまくられ、運転手すらも車内のミラーで舐めるように彼女を視姦する、悪夢のようなAVを観たことがある。最終的には女性も大はしゃぎ、というコントのようなラストには興ざめだった。


 嘘は嘘でも、一定のリアリティは必要だ。彼女は出演料をもらっているのである。その上で、心の準備もなく無料で触られる恐怖と驚愕、そして怒りを、本気で演じてほしかった。お前何言ってんだ?


 現実の私は、肘を突っ張って、尻と性器を冷静に遠ざけ続けていた。エロがどうこうではなく、当たり前のように対価を支払わず、ただ一方的に興奮できるその図太さがキモかったのだ。触りたいと思うこと自体が問題なのではない。もっと本音を言えば、性的な意味で触りたいと思われることに対して、私は全く病的なまでに嫌悪感を感じない。断りもなく触る人が、男でも女でも嫌いなだけだ。


 中学から私立に通っていたため、クラスメイトはほぼ全員、電車やバスで通学していた。そのため、まだランドセルのなごりが消えない体を、痴漢に触られてしまう女子も珍しくなかった。しつこい奴に目を付けられて、遠回りになる路線に変えた子もいた。他人の都合によって睡眠時間が削られ、運賃は割高になる。それだけじゃない。これから自分は、そういう世界で生きていくしかないのだと、あまりにも早い時期に知らされてしまう。この世界は残酷だった。そんな気はしていたのだけれど。


 痴漢はどう考えてもクソである。だが、そんなクソより、クソなんかに「嫌だ」も「止めろ」も言えず、ただ被害者でいるクラスメイトが、本当はずっと、とても遠かった。自分の利益が最優先、それの何が悪いのだ、と開き直るようなクソの心が、だいぶ幼い頃から自分にもあることを知っていたからだ。男だったら、触っていたかもしれない。


 だから中学生の私は、まるで自分が女子の尻をなでまわしたかのように、気まずい思いで押し黙っていた。「そいつ、地獄へ落ちろ」誰かが吐き捨てた。痴漢に遭ったことは、クラスメイトには言わなかった。



 放課後に寄り道をした池袋で、確かに「ミカド劇場」という看板を目にしたことはあったが、まさか自分がお客としてそこに吸い込まれるなど、中学生の私には想像もつかなかったことである。


 ストリップの踊り子は、ステージで使う大道具を、暗転している間に自分で運び込む。私の知る限り「浅草ロック座」以外では、たとえトリを飾るスターでも変わらぬルールだ。自分が逆さ吊りになるリングを天井に掛けたり、自分が美しく脱ぐための椅子や屏風を設置するのである。


 しかし彼女は、ボロボロの段ボールを、慣れた様子で運び込んだ。飾り付けなのか補強なのか、色紙をあちこちに貼り付けており、貧乏臭い小屋のようなものをステージ端に拵える。そこに片手鍋を持ち込むと、一気に生活感が生まれた。一体私は何を観に来たのだろう。


 ステージに照明が当たり、昭和の劇場の生司会みたいなアナウンスが流れると、踊り子が改めて登場した。屈託のない笑顔と柔らかい曲線を描く体は、憧れというより、懐かしさを感じさせる。彼女の名前は、山咲みみ。この演目では、ホームレスのミーコである。 

  

 始まってすぐ、ミーコは「ひとりぼっちで段ボールハウスに住んでいる少し頭の弱い女の子」という設定であることがわかる。無邪気すぎる笑顔でくるくると踊り、雨が降ればシャワーのように頭を洗う。しかしこれは「アニー」みたいな、孤児が健気に両親を探す物語ではない。ここはブロードウェイではないのだから、ステージに乗ったミーコは、このあと足を開くことが確定しているのである。女ホームレスから想像する、最悪なストーリーに気が重くなる。


 しかしミーコは、鍋でおままごとをして遊び、紙風船と戯れ、縄跳びのグリップで性器を刺激する。ミーコはそれを、恥ずかしいことだとは思っていないようだった。きっと、ずっとひとりぼっちだからだ。のぞき見ているこちらのほうが、よっぽど恥ずかしいような気さえしてくるのだった。


 それと同時に、この世界の悪意や常識に染まらない人間が、性に目覚めることに不安を感じる。その意味を理解できずに、他者から性の対象にされたとき、ミーコは拒むだろうか。それとも、もうひとりぼっちではない、と受け入れるだろうか。


 ミーコには、私の異常を解明するヒントがあるような気がした。ただ、何かが足りないのではなく、何かが過剰にあり、それがぐちゃぐちゃにねじれてぐりんと反転した結果が、この「何もかもどうでもいい」状態なのかもしれなかった。


 大人になった今も、痴漢に遭ったことは誰にも言わなかった。それは、恥ずかしいとか、思い出したくないとか、そんなわかりやすい感情からではない。誰かの性の対象になるということに、ほんの少しでも価値を見いだしている自分を、きっと隠しきれやしないだろうからだ。お前、本当はあのバスに乗りたかったんじゃないのか?



 「DX歌舞伎町」がなくなった翌日、私は何かを求めるように、もう別のストリップ劇場にいた。ベテランの踊り子が揃った、渋谷の「道頓堀劇場」だ。


 足を上げた踊り子は、まっすぐにスポットライトを浴びて、拍手の中で目をしっかりと閉じていた。そうして、観ることを優しく許していた。表情には、後ろめたさも怯えも、悲しみも怒りもない。入場料をきっちり払い、絶対に触らないと約束したお客と踊り子の間にも、「エロ」は成立していた。踊り子にとっては仕事だが、観客が感じた「エロ」は確実に彼女たちを輝かせていた。私の「エロ」は、劇場に通えば通うほど肯定されていく。


 私をあのバスに引きずり込もうとした痴漢という行為は、「エロ」ではなく暴力なのだった。


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