第14話

文字数 2,417文字

 予約が2年待ちの居酒屋に行けるはずだった。過去に3度、紛れ込ませてもらったことがある。メニューはおまかせコースのみで、20名が限界の小さな店を借り切るのだ。緊急事態宣言は解除されたものの、7月に入って感染者が増加している状況で、その日は定員を10名に絞るという。


 メンバーのほとんどは出版関係者だが、とにかく美味い酒と肴が好きな人だけが集まっているから、気疲れもない。この季節だと、鮎の塩焼きに生牡蠣、揚げたての穴子に蒸した蛤、豪勢な刺し盛りに鯨ステーキも味わえるだろう。〆は自家製の漬け物と熱々の味噌汁。自粛期間を含め、外食に飢えていた私は、今日を心待ちにしていた。


 しかし当日の朝、通勤電車に乗ったところで、悪い予感がよぎった。日比谷駅に着くまでじっくりと考え、タイムカードを押す前には、主催者へキャンセルの連絡を入れた。当日のドタキャンなんて最悪だ。もう二度と誘ってもらえないかもしれない。


 だが、数日後には福井へ向かう。デビュー週以来のあわらミュージックで、また10日間、踊らせてもらう予定なのだ。あの大きな劇場が、2階席の奥まで満席になるところを、いつか舞台から見てみたい。そのためには、こんなところでしくじるわけにはいかないのだ。


 入院してからの樹音姐さんは、いつも私の心配をしていた。自粛期間中、スーパーへ買い物に行ったと言えば、レジの混雑をニュースで見たと心配し、夜中にジョギングがてらコンビニへ行ったと言えば、女の子に夜道は危ないと言って、私を驚かせた。そんな発想が、私には全くなかったからだ。


 姐さんが最も心配するのは、私がコロナに感染して、症状に苦しむことである。病院から身動きが取れないことが、もどかしそうだった。しかし私が危惧するのは、感染が判明してしまい、舞台に立てなくなることだけだった。いつだって、自分のことしか考えていない。香盤に穴を開ければ姐さんの顔を潰すことになるが、そこまで考えが及ばないのが、私という人間であった。


 どの劇場も、舞台と客席のコロナ対策は講じているが、楽屋はほぼ、いつも通りだ。踊り子たちが、1つの部屋で何時間も共に過ごす。まさかマスクをしたまま化粧はできないし、狭い部屋をビニールで仕切るなんて不可能だ。楽屋でクラスターが発生すれば、ストリップ業界が大きな打撃を受ける。刺し盛りの大皿を抱え、赤らんだ顔で満面の笑みを浮かべている宴会写真なんて、拡散されようものなら、事実はどうあれ、踊り子生命は終わりである。


 仕事やお金に執着しないおかげで、ずいぶん気ままに生きてきた。あらゆる責任から逃れ、面倒なことになったら、すべて捨てて消えればいいと、今だって本気で思っている。だが、踊り子の仕事は続けたい。そのためには健康な体と、劇場が営業できる状態が必要で、その両方が今、コロナに脅かされている。


 飲み会に誘ってくれたのは、久々に会った主催者の女性が、私の変わり果てた体に驚いたからだった。休業期間中に、どれくらい体重が落ちたかは知らない。体重計を持っていないからだ。Aカップのブラジャーはブカブカで、頰がこけた顔には、見たことのないシワがうまれていた。ストリップの山場となる、足を高く上げたポーズを取れば、支える肩の骨が床に当たって痛い。あきらかに、脂肪が足りていなかった。そんな私になんとか美味しいものを食べさせようと、彼女は誘ってくれたのである。SNSに上がる写真を見ても、そんな心意気は伝わらないだろうけれど。


 休業明けのシアター上野で、イレギュラーに長い18日間、そして10日間の書店勤務を挟み、大和ミュージックで10日間、私は全力で踊りきった。その頃には、ますます脂肪が落ち、足や背中の筋肉が発達した分、まるで少年のような体型になっていた。公演中、心配したお客から弁当の差し入れもあったが、激しい運動量でカロリーを全て消費してしまう。そんな状態は樹音姐さんの耳にも届き、姐さんのファンからケーキやアイスクリームの差し入れも増えた。だが、仕事を終えたあとも、筋トレとダンスの練習を止められない。


 もともと私は、引き締まった中性的な体が好みなのだ。だから、強い意志でそういう体にしてしまうのだし、維持することもたやすい。腹筋が割れ、鎖骨や肋骨が摑めるほど浮いた体は、誰がなんと言おうと、かっこいい。がしかし、観客を不安にさせては、娯楽にならない。私がやりたいのは、踊り子という「仕事」なのだ。ストリップはもう、私の趣味でも娯楽でもない。


 ちょうど大和に乗る頃、『Maybe!』という雑誌が発売された。私のステージで初めてストリップを観たまんきつさんが、体験記マンガを描いたという。それはもう、まんきつさんらしい独特の視点と飛躍による、愉快な内容だった。楽しんでもらえたようで、何よりである。だが、最後から2つめのコマで、ふと考え込む。私のそれがどんな色に見えたかはわからないが、もし彼女が踊り子デビューするなら、性器をピンク色に変えたいらしいのだ。もちろん冗談ではあるが、なんで変えたいのだろうと、考え始めたら止まらない。


 乳首や性器がピンク色であることを喜ぶような男性の期待に、なぜ女性は応えようとしてしまうのか。踊り子になって、こう見られたいという思いと、見る側の希望は一致しないことを思い知らされた。お客の好みは、てんでバラバラなのだ。胸の大きさも、陰毛のあるなしも、化粧の濃さも髪の色も、まともに聞いていたらキリがない。


 私は深刻さが欠落した人間だ。飲み会に伴う危険性だって、当日の朝まで気付かないほうがどうかしている。そういう危うさを知っているから、樹音姐さんは心配が絶えないのだろう。これから私は、お客のニーズをどこまで聞いて、舞台に反映していくのか。それで私は幸せなのだろうか。そもそも、踊り子の幸せとは何なのだろう。そんなことを、荷造りしながら考えている。

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