『Cocoon 修羅の目覚め』/夏原エヰジ 1巻まるっと太っ腹試し読み⑬最終回

文字数 7,506文字

最強の花魁×異形の鬼!

人気シリーズ「Cocoon」の第1巻『Cocoon 修羅の目覚め』をどどーんと太っ腹に1巻まるまる試し読み! 


毎日1章ずつ公開していく「毎日コクーン」、第13回め、最終回です! 

この続きは、『Cocoon2 蠱惑の焔』でお楽しみください!

十三

 

 酒宴を盛り上げる賑々しい音が、霜月も終わりの冷たい空気に響く。


 開け放たれた窓辺に座り、瑠璃はすっかり冷えた風を頰に感じていた。眼差しは不夜城の灯りを、どこを見るでもなくぼんやりと眺めている。膝に置いた能面を手持無沙汰のようになぞる。どこに行ったのか、部屋に炎の姿はなかった。


 目覚めてから十日後、瑠璃は見世に復帰した。それまでの間は、急な病に罹って養生をしていたことになっていた。


 あの夜起こったことは黒雲の関係者以外、誰も覚えていなかった。荒らされた仲之町は野分によるものと思われており、誰もが嵐によって白無垢道中が中止になったことを残念がっていた。


〝花魁の鬼退治〟と大騒ぎされることを覚悟していた瑠璃は、何事もなくいつもの羨望の目で復帰を祝う吉原の人々、旦那衆の様子に、ひどく拍子抜けした。


 どうやら、その辺りはお喜久が手を加えた籠目紋の効果のようだった。あれだけの観衆の記憶をそっくり消し去ってしまう力について、お喜久は詳しく語ろうとしない。双子に結界を伝授する以上の力があることは想像に難くなかったが、瑠璃は深まるばかりのお内儀の謎に、改めて不気味さを禁じえなかった。


 無事に復帰できたものの、瑠璃の心は寂寥(せきりょう)と混沌の渦に囚われたままであった。


 鬼になってしまった津笠。己の出生の秘密。


 仕事に身が入るわけもなく、瑠璃は頻繁に身揚がりを繰り返していた。お勢以は見るからに不満そうだったが、何も言ってはこなかった。


 部屋の行灯もつけず、瑠璃は外の灯りを虚ろに眺める。


 心は打ちひしがれ、空っぽだった。何も考えられない。考えたくない。眠気も食欲も何もなかった。窓辺にもたれかかる瑠璃のまわりには煙草盆、空の銚子や猪口が散乱している。大好きな煙草や酒に逃げても、胸の内にある忸怩(じくじ)たる思いや苦しみは消えてくれなかった。様々な感情が湧き出ては消え、瑠璃の心を摩耗させていた。時折、津波のように猛烈な勢いで悲しみが押し寄せてきても、涙の一滴すら出てこなかった。


 食べずとも、寝ずとも、瑠璃の体はやつれることなく、輝かしい美貌を保っている。便利だと思っていた己の治癒力すら、今となっては煩わしかった。


 瑠璃は中身を失った美しい生き人形であるかのごとく、虚空を見つめていた。


「花魁、入りますよ」


 声を聞いて、だらしなく窓辺に寄りかかった身を起こす。


「……あい」


 襖が開いて、蝶脚膳を持った豊二郎が入ってきた。


 荒れ放題の部屋を見て豊二郎は一瞬動きを止めたが、意を決したように瑠璃に向かってきた。煙草盆を脇へどかし、どん、と膳を置く。


「ほら、食えよ。晩飯まだなんだろ」


 膳を瑠璃の方へ押しやる。山芋を鰻の蒲焼に見立てた、せたやき芋が大皿に載っていた。


 盛りつけを見た瑠璃は首を傾げた。


「権さんが作ったのじゃないね」


 豊二郎はぎくっとした表情で、早口に言った。


「ご、権さんに教わっておいらが作ったんだよっ。大食らいのくせに、ここんところくに食ってないって聞いたから、好きなモンなら食うかと思ってっ」


 目をきょどきょどさせて顔を赤らめる。


 瑠璃は驚いたように豊二郎を見ていた。やがて目を細め、小さく笑う。


「な、何だよっ」


 豊二郎はむきになった。それを尻目に瑠璃はそっと箸を持つと、せたやき芋を一つ口に運んだ。


「うーん、ちと味が濃いねえ。盛りつけも何か雑だし」


 口を動かしながら言う。


「なっ、せっかく作ったのに。もういいよ、まずいならさげ……」


「うまいよ」


 瑠璃はにっと笑って、箸を動かし続けた。片や豊二郎は言葉を詰まらせて、そのうち畳に腰を下ろした。


 部屋には束の間、沈黙がおりた。


「なあ」

「んー?」


 箸を進めながら、瑠璃は曖昧に返事をする。


「黒雲、やめるつもりなんだろ」


 急な問いかけに、大口を開けたまま動きを止めた。


 豊二郎は俯き、膳をじっと見つめている。


 瑠璃は小さくため息をつくと、箸を置いた。


「色々あったし、色々聞かされた。もう、無理だろうね」


 答えを聞いても、豊二郎は黙って身じろぎもしなかった。


「鬼退治とかいって、それらしく善行みたいにされてるけどさ。生まれながらにして深い業を持っていると聞かされちゃ、祓われるべきはわっちの方なんじゃないかと思うよね」


 力なく乾いた笑い声を上げる。


「どうして人と違う力が備わってるのか、ずっと不思議に思ってた。でも当然だ、わっち自身が化け物みたいなモンなんだから、そりゃあ強いはずさね」


 炎の話を聞いた後も、幼い頃の記憶はやはり戻ってこなかった。生みの親の顔すら、思い出すことができずにいた。


「お天道様も支配して、山里を壊滅させるくらいの力なんて、想像できっこないけどさ。そんな底の知れない、得体の知れないモンが自分の中にあるなんて……」


 飛雷の力がいつまた暴走するかもわからない。自分のせいで、いつか、誰かを傷つけるかもしれない。それが怖くて仕方なかった。


 しばし黙してから、瑠璃はまた口を開いた。


「なあ、豊。お前の言ったとおり、わっちは鬼を見るとどうしようもなく心が昂るんだ。わかっていても、自分じゃあどうにも抑えられない。鬼と戦うことを、痛めつけることを、楽しんでるんだと思う。そんな自分に嫌気が差したのさ」


 豊二郎は石のように動かないままだ。


「津笠のね、墓を作ったんだ。あいつは田舎の家族とはとっくに縁が切れてたし、身寄りがなかったから。今戸に慈鏡寺っていう寺があって、今はそこで眠ってるよ。小さい頃から吉原の囲いに縛られて、ついぞ娑婆の光を浴びられなかった。本来なら生きているうちに、大門から出たかったろうにね」


 瑠璃は心情の吐露が止まらなかった。


「本当は、津笠の変化に気づいてたんだ。でも、自分の中で都合よく否定して、見て見ぬ振りをした。それどころか権さんの話を聞いて、文句の一つでも言ってくれりゃよかったのに、なんてことを思っちまった。

ほんと、わっちは鬼よりよっぽど質が悪い、無神経なクズ女さね」


 一匹狼だった瑠璃を見捨てず、寄り添い、友になってくれた津笠。


 話を聞いてやるだけでも、何か変わっていたかもしれない。助けられたかもしれない。大切にしようと心に決めていたのに、変化の兆候を見ても何もしなかった自分が、どうしても許せなかった。


 瑠璃は嘆息を一つして、独り言のように続けた。


「津笠はわっちと一緒にいて、どんなにか辛かったろう。どんなにか厭わしかったろうね。鬼になったとはいえ、津笠を、この手にかけちまった。生きてる時も、鬼になってからも再三苦しめちまった。悔いが、消えてくれないんだ。今さらああすればよかった、なんて思ったって詮ないことなのに、自分の馬鹿さ加減に……」


 こみ上げてくるものを感じて、語尾を細める。目を閉じそっと、息を吸いこむ。


 再び笑顔を作って、豊二郎に向きなおった。


「悪いが一抜けさせてもらうよ。お内儀さんは許しちゃくれないだろうけど、でも、もうできない。あんな思いは二度と、したくないんだ」


 豊二郎は相変わらず沈黙していたが、微かに震えていた。


 瑠璃はさすがに不安になり、俯いた顔をのぞきこんだ。


「豊?」


 豊二郎は灯りのない部屋の中で、ぼろぼろと涙を流していた。下唇を嚙みしめ、いつもの仏頂面を崩して、大粒の涙をこぼしている。膝の上に置いた手は、爪が食いこまんばかりに力がこめられていた。


 瑠璃は突然のことに動転した。


「お、おい豊。何事だい一体」


 豊二郎は、泣きながら顔を上げた。


 鋭い目つきのまま涙を流し続ける豊二郎を、瑠璃は言葉なく見つめ返す。


「瑠璃はっ」


 不意に大声を出したので、瑠璃は少しだけ飛び上がった。


 豊二郎はひいっく、と大きくしゃくりあげる。言葉にして出したくても、涙がなかなかそうさせてくれないようだ。


「瑠璃は……あの時、楢紅の目を使えたはずなのに、使わないでいてくれたっ」


 怒るように叫ぶ豊二郎の言葉に、瑠璃は胸を突かれた。


「津笠さんを苦しめたくなかったからだろ。おいらが津笠さんの中に取りこまれてたからだろ。おいらが、助けてなんて、言ったから」


 瑠璃は沈痛な表情を浮かべた。


 確かにあの時、瑠璃は無意識に出した楢紅を、津笠を祓うためには使わなかった。実際のところ、豊二郎が津笠に取りこまれているとわかったのは楢紅を戻した直後であったが、どちらにせよ楢紅の目は使わなかったであろう。


 使ってはならないと、どこかで感じていた。


「おいらはっ」


 豊二郎は上ずった声で再び叫んだ。


「おいらは、鬼から生まれた。だからおいらも鬼なんじゃないかって……今はそうじゃなくても、いつか鬼になるんじゃないかって」


 抑えきれずに、嗚咽を漏らす。


 思いの丈を吐き出す豊二郎を、瑠璃は黙って見守った。


「鬼と戦うのが、いつも辛かった。自分の母ちゃんも鬼だったって、知ってるから」


 瑠璃は、豊二郎の言わんとしていることを理解していた。


 豊二郎は鬼と対峙するたびに、不安や恐怖、同情、複雑な気持ちを胸に抱えていたのだ。


「津笠さんが佐一郎を呪い殺すのを見ちまった時、怖くて仕方なかった。でも、その姿を見て、何だか自分と一緒だって、思ったんだ」


 豊二郎は鬼退治を造作もなくやってのける瑠璃に素直になれず、嫌悪すらしていた。その心と、津笠の瑠璃への憎しみの心が共鳴したのだった。


「お前、津笠のことが好きだったんだろ」


 瑠璃は静かに問いかけた。


 途端、豊二郎の目が大きく見開かれた。頰がうっすら赤くなる。


「廓育ちのお前ならわかるだろ、遊女にとっちゃ惚れた腫れたを見抜くのは仕事みたいなモンさ。お前はいつも不機嫌な顔してるくせに、津笠の前ではそうじゃなかったしね。それに、前言ってたろう。津笠の部屋でわっちと津笠が話すのが聞こえたって。廓の襖は薄いけど、中で何を話してるかは、耳をそばだてないと聞こえない。それで何となく、な」


 豊二郎は津笠に淡い恋心を抱いていた。だからこそ、弟の栄二郎が瑠璃の部屋に平気で入り浸っているのを、強く怒鳴りつけたのだ。


「津笠に取りこまれたのは、もしかしたらそこんとこも関係してたのかもな」


 柔和な眼差しを受けた童子は、耳まで赤くして俯いた。自分の気持ちを悟られていた驚きからか、涙は少し止まっていた。


 しばらくして顔を上げた豊二郎の瞳は、先刻とは異なる強い光を帯びていた。


「おいら、津笠さんに取りこまれた時、瑠璃と戦ってる時に、感じてたんだ。津笠さんの思念が直接、流れこんでくるみたいだった」

「……うん」

「津笠さんは、確かに瑠璃を呪い殺そうとしてた。嫉妬と恨みの感情が、すごく強かった」


 瑠璃は寂しそうに豊二郎を見つめる。


「でも、佐一郎を殺してから吉原に戻ったのは、瑠璃に会いたかったからなんだ」


 意外な言葉に、胸が大きく鼓動した。


「瑠璃に、止めてほしかったからなんだ。鬼になって醜くなってしまった自分を悔やんで、哀しくて、瑠璃に救ってもらいたかった。津笠さんは最期まで、自分の中に生まれた怨念と闘ってたんだ」


 豊二郎の強い眼差しが潤み、大粒の涙があふれ出た。


「おいらを、津笠さんを、助けてくれてありがとう、頭」


 瑠璃の目から、意図せず涙がこぼれ落ちた。


 その心の内では、津笠の最期を思い出していた。


 目覚めてから、どうしても思い出せなかった津笠の最期。


 鬼の形相が崩れ、元の美しい姿になった津笠は膝をつき、倒れている瑠璃の顔を白い手で包んだ。細い指で満身創痍の頰を愛しげに撫で、瑠璃の額に自分の額をあわせる。津笠の顔にあったのは、温かく、優しい微笑みだった。


 そして目を閉じ、瑠璃だけに聞こえる声で言ったのだ。


 ──お前さんに会えて本当によかった。瑠璃、ありがとう。


 瑠璃は涙が止まらなかった。


 薄く開いた襖の向こうでは、三人と一匹が瑠璃たちの様子を見守っていた。栄二郎は泣いていた。権三がそれを優しくなだめ、錠吉は安堵したようにため息をつく。炎は、穏やかな笑みを浮かべていた。


 清搔の音と宴に酔う声が満ちる中、吉原の夜はゆっくりと更けていった。




 淡い雪が仲之町の行灯に照らされて、うっすら赤く染まる。


 津笠は風邪をこじらせて亡くなったことにされていた。あのような出来事があっても、売れっ妓の遊女が一人いなくなっても、吉原は普段どおりの賑わいを見せ、人々が楽しそうに宴に興じ、笑い声を上げている。


 黒羽屋のまわりはといえば、相変わらず花魁の道中を心待ちにしている者であふれ返っていた。


「本当にその格好で道中するつもりなのかい」


 幸兵衛は険しい顔で瑠璃に問いかけた。


「あたしも散々およしって言ったんですけど、聞かなくってねえ」


 お勢以は、困ったモンだ、とため息をつきながらもせっせと道中の支度を手伝っている。


 真珠のように輝く肌に紅を差した瑠璃は、長い睫毛をそっと落とした。


「わっちなりの、供養でござんす」


 静かに、しかし決然とした口調で告げた。


 幸兵衛は不服そうだったが、確固たる意志を持った表情を見て、それ以上は何も言わなかった。


「花魁、お客がお待ちかねです」


 錠吉が声をかける。


 瑠璃は目を閉じ、息を吸いこんだ。細く長く吐き出し、すっとまぶたを開く。


 その双眸には、強い覚悟が宿っていた。


「行きんしょう」


 黒羽屋から出てくる影を捉えて、見世の前に鈴なりになっていた者たちが歓声を上げた。


 が、箱提灯を持った若い衆が出てきてすぐ、歓声は一転ざわめきに変わった。


 いつもなら黒羽屋の定紋が入っているはずの箱提灯に、「津笠」の文字が浮き上がっていたのだ。


 錠吉が暖簾をくぐり、背後から瑠璃が見目麗しい姿を表に出す。ざわめきがさらに大きく広がった。


 打ち出の小槌に隠れ笠、火焰宝珠、七宝輪違いなど、様々な宝が色とりどりにあしらわれた、絢爛豪華な宝尽くしの仕掛。大輪の百合が咲き誇る前帯。


 津笠が佐一郎に初めて贈ってもらい、派手すぎやしないかしら、と照れくさそうに瑠璃に見せていた一点物だった。簪も櫛も筓も、すべて津笠が大切にしていた遺品であった。




 津笠の衣裳や小間物がすでに売り払われてしまっていたことに、瑠璃は激しく憤った。


 いくら人気の三番として有名になり、見世の売り上げにどれだけ貢献しても、いなくなってしまえば遺ったものは無用の長物とされてしまう。吉原は華やかさを前面に出す一方、無情で、哀しい場所でもあった。


 しかし、だからこそ、吉原には美と生が満ち、輝きを放つのだ。


 瑠璃はそう思うようになっていた。そして、廓の不条理で冷徹な一面に抗うべく、自ら津笠のお気に入りだった一式を探し当て、買い戻したのだった。


 津笠の衣裳で道中をすると内所で宣言した時、幸兵衛は猛反対し、普段は猫可愛がりしている瑠璃を怒鳴りつけた。


 死人の衣裳を着て道中をするなぞ縁起が悪い、お前は花魁としての意気を損なうつもりか、とがなる幸兵衛を、瑠璃は鋭い目で真っ向から睨みつけた。


「意気だ張りだのと、そんな俗物はどうだっていい。それよりも大切なものを亡八さまはお忘れか。津笠は誰にでも優しくて、皆に愛されていた。苦界にいながら、腐らず、驕らず、心をこめて働いていた。死んだ者と切って捨てるのは簡単でありんしょう。けれど、わっちは絶対に津笠を忘れない。〝誠〟が存在しないといわれる吉原でも、津笠は人を信じる心を捨てなかった。真心を尽くすのが生業の大見世が聞いて呆れんす。遊女は客を悦ばせるためにある人形じゃない。誰もが心を持って、懸命に生きているんだ。黒羽屋は、津笠への恩義を果たさないのか」


 隣の大広間にいた遊女たちは、瑠璃の叫ぶような訴えを神妙な面持ちで聞いていた。瑠璃の言葉に涙する者。津笠を悼む声を上げる者。夕辻は、津笠の名を何度も口にしながら泣き崩れていた。汐音も目を閉じ、瑠璃の言葉に聞き入っていた。



 雪の降る中、しんと静まり返った観衆を横目に、瑠璃は毅然とした面差しで外八文字を踏んだ。瞳は三歩先を見つめ、艶を含んだ睫毛が揺れる。肩を貸す錠吉も、いつもの凜々しい表情で前だけを向いていた。


 カラコロロ、と高下駄の音だけが、通りにこだまする。


 すると、道の端から天晴、という掛け声が一つ上がった。それにつられるように、花魁、津笠、と威勢のよい声があちらこちらから上がる。次第にそれらは賛辞の歓声へと変わり、道中をする一行を包みこんだ。

 背後から差しかけられる黒塗りの長柄傘に、雪がしっとりと染みこむ。瑠璃は口元を微かに緩ませた。白い脚をあらわにして円を描きながら、涼やかな瞳をつっと横にそらす。瑠璃お得意の流し目を受けて、観衆はさらに沸き立った。


 色香漂う笑みを浮かべながら、瑠璃はふと、観衆の頭上に何かが漂っているのを目に留めた。


 それは、一匹の蝶であった。


 季節外れの蝶が、美しい翅をはばたかせ、道中に寄り添っている。


 瑠璃は歩みを止めて、その蝶に見入った。不思議に思った錠吉が、小さな声で花魁、と呼びかける。


 蝶はゆっくりと瑠璃に近づいてくる。いつしか観衆も、小さな蝶に見惚れていた。


 瑠璃は慈しむように微笑んで、手を伸ばす。


 すぐそばまで寄ってきた蝶が、瑠璃の指先にとまる。名残を惜しむかのように翅を揺らす。


 やがて蝶は、上空に舞い上がった。


 ひらひらと、どこまでも遠く、美しく。蝶の姿は、淡い雪の中へと溶けていった。

※今回で『Cocoon 修羅の目覚め』1巻まるまる試し読みは終了です。

このあとの瑠璃たちの活躍は、『Cocoon2 蠱惑の焔』『Cocoon3 幽世の祈り』『Cocoon4 宿縁の大樹』『Cocoon5 瑠璃の浄土』でお楽しみください! 

夏原 エヰジ(ナツバラ エイジ)

1991年千葉県生まれ。上智大学法学部卒業。石川県在住。2017年に第13回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した『Cocoon-修羅の目覚め-』でいきなりシリーズ化が決定。その後、『Cocoon2-蠱惑の焔-』『Cocoon3-幽世の祈り-』『Cocoon4-宿縁の大樹-』『Cocoon5-瑠璃の浄土-』と次々に刊行し、人気を博している。コミカライズもされている。2022年5月には最新刊『Cocoon 京都・不死篇-蠢-』が刊行予定。
京都篇開幕!

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