【書評】「『種を蒔く』という捉え方」宇田川拓也

文字数 1,321文字

<STORY>

裁判所書記官として働く宇久井傑(うぐいすぐる)。ある日、法廷で意識を失って目覚めると、そこは五年前――父親が有罪判決を受けた裁判のさなかだった。冤罪の可能性に気がついた傑は、タイムリープを繰り返しながら真相を探り始める。しかし、過去に影響を及ぼした分だけ、五年後の「今」が変容。親友を失い、さらに最悪の事態が傑を襲う。未来を懸けたタイムリープの果てに、傑が導く真実とは。リーガルミステリーの新星、圧巻の最高到達点!

 二〇二〇年に現役司法修習生の大型新人として颯爽とデビューし、かつてない試みを青春小説のエッセンスと絡めてつぎつぎと打ち出している、現在は弁護士作家の五十嵐律人。大人の読み物といった印象が強いジャンル「リーガル・ミステリ」に新風を吹き込み、見事に若返らせてしまった著者の五作目となる『幻告』は、なんとリーガル・ミステリとタイムリープを融合させた、前代未聞の長編作品だ。


 主人公である若き裁判所書記官の宇久井傑は、なぜか自らにもたらされたタイムリープの力を駆使して五年前に繰り返し飛び、義理の娘にわいせつな行為をはたらいたとして起訴された父親の冤罪を晴らし、事の真相を明らかにしようとする。


 とはいえ、ただ単に時間遡行を繰り返せばいいわけではない。使える時間とできることはごく限られ、過去で起こした行動は、否応なく未来に影響を及ぼす。作中で「過去、現在、未来。すべてが不安定に揺らいでいる」と表現される極めて難しい局面を、いかにして乗り越えていくのか。このミッション・インポッシブル的な読みどころが、第二章ラストの衝撃、第三章のまさかの展開によってシフトアップしていく一連の盛り上がりは、目が釘付けになること請け合いである。


 ところで、タイトルの『幻告』とは、訴えを提起して裁判を求める者を指す「原告」を元に、幻のごとく摑みどころがなくとも、善き未来を求めて手を伸ばし続ける傑を表しているように読める。しかし、前を向いて行動を起こすことの大切さのいっぽうで、ひとは時に、できる限りの努力を重ねたあとは天の意思に結果を任せる「人事を尽くして天命を待つ」状況に立たされることもある。それについても作中で筆が費やされている点は、本作を読み解くうえで欠かせないキーワード「種を蒔く」とあわせて見逃せない。


 何事にも「効率」「時短」「近道」「裏ワザ」といったものを求めがちな現代だが、こと「ひと」に対しては、そうした向き合い方をするべきではない。法廷で下される「判決」には、「裁く」「断罪」「罰を科す」といったイメージが強いが、本作によって「種を蒔く」という捉え方もあるのだと教えられたのは、じつに大きな収穫であった。

 これからも五十嵐作品は、斬新なリーガル・ミステリによって極上の面白さを読み手に提供するとともに、従来の司法や法曹の印象を変えていってくれるに違いない。そのなかでも『幻告』は、指折りの傑作として読み継がれることを確信している。

宇田川拓也

ときわ書房本店(JR船橋駅南口前)勤務。横溝正史と大藪春彦を神と崇めるミステリ偏愛書店員。新刊レビューや文庫解説の執筆、新人賞一次選考を複数担当。


ときわ書房HPはこちらから

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色