⑦ダーク・コスモロジー

文字数 2,317文字



 今夏、第一部が邦訳された劉慈欣のSFシリーズ『三体』は、中国ではすでに中国SF史ひいては中国文学史の里程標として評価されている。私たち日本人もこの異色の大作を狭義のSFのジャンルにとどめず、より広いコンテクストのなかで理解するべきだろう。私自身は中国のSF=科幻の専門家ではないが、できる範囲で、文献紹介も兼ねつつ『三体』の文化史的な位置づけを概観しておきたい。

(「群像」2019年11月号掲載)





 さらに、『三体』の政治性ということでは当然、文化大革命は外せない。『三体』は文革における科学者への弾圧から始まる。そのせいでどん底に落とされた女性の天体物理学者が、人類への絶望から三体文明を招来するのだ。文革のおぞましい反科学的な暴力が、ブラックユーモアを含んだVRゲームへと接続され、やがて人類の終焉へと到る──、この派手な跳躍が『三体』をパワフルな小説に仕立てている。


 文革の終結後、中国ではそのトラウマを描いた一群の「傷痕文学」が70年代後半に現れたが、中国SFにも一種の精神的外傷は認められる。中国SF研究をリードする宋明煒によれば、下放経験のある王晋康はもとより劉慈欣にも、毛沢東の亡霊が取り憑いている。1989年の天安門事件直前に書かれた劉慈欣の幻のデビュー作『中国2185』の主人公は、毛沢東の死体の脳をスキャンしてサイバースペースで復活させる。宋明煒は梁啓超のユートピアニズムにも言及しながら、『中国2185』をユートピアとディストピアを横断する複雑な小説として、高く評価している


 毛沢東は中国をユートピアの夢とディストピアの現実へと引き裂いた。その衝撃は『三体』にも及ぶ。そこでは、毛沢東時代の恐るべきユートピアニズム=文革のもたらした深い屈辱と絶望が、予想外の方向へと展開して、最悪のディストピアへと到るのだから。20世紀初頭の梁啓超らは日清戦争のトラウマ的敗北から、科学のユートピアを夢想した。逆に、21世紀初頭の劉慈欣は文革のトラウマと「文明の衝突」への恐怖から、過酷な生存闘争に支配された宇宙というインモラルなディストピアを象ったのだ。毛沢東の革命思想がソーシャル・ダーウィニズムの洗礼を受けたことは、劉慈欣のヴィジョンを政治的に受け入れやすくもしているだろう。


 このように、中国SFには集団心理的なパニックや世界認識の混乱を元手にして、ユートピア/ディストピアへと跳躍する傾向がある。しかも、劉慈欣の場合、その跳躍した先のディストピア的宇宙は冷厳であり、人間の力でどうこうできるものではない。彼の初期の秀作『朝に道を聞かば』では、どんな難解な問いにも正解を返すエイリアンが「宇宙に目的はあるのか」という問いにだけ沈黙する。劉慈欣は不可知の宇宙と地上の衝突を、オブセッシヴに描いてきた。


 かつて古代ギリシア人は星界に美や秩序を認めた。近代の「人間的な、あまりに人間的な」哲学者とは違って、ギリシアの思想家たちは人間とは無関係に動く星々のコスモスにこそ最高度のロゴス(理)を発見したのだ。同じように、『三体』も人類や地球から独立した法則をもつ巨大なコスモスを描き出している。ただし、それはギリシア的な明朗で美しい宇宙とは似ても似つかない。『三体』の基調にあるのは、いわば「ダーク・コスモロジー」である。そこでは、宇宙は人間的な道徳を寄せつけない、冷酷無比な深淵として現れてくる。


 このダークな宇宙を象るにあたって、劉慈欣はSFというジャンルの性能をフルに活かした。かつてSFの中心的価値を「異化作用」と見なしたダルコ・スーヴィンは「物理と倫理」という切り口から、自然主義文学とSFを区別したことがある。自然主義文学では物理と倫理の関係は断ち切られ、人間たちの倫理の領分──和辻哲郎ふうに言えば「間柄」の世界──はそれだけで完結している。それに対して、SFではしばしば、人間の倫理に物理的法則(現実離れした時空も含めて)が深く浸透しているとスーヴィンは考えた


 劉慈欣もまた、不可思議な物理的法則を作中のルールとして採用してきた。『三体』は「物理と倫理」というスーヴィン的枠組みにぴたりとはまっている。しかも、この二つはいずれも負の方向に傾いていた│紅衛兵による文革という暴力が倫理的次元を打ち砕いたとしたら、宇宙の次元削減という暴力は物理的次元を脅かすのだから。文革をトリガーにして、『三体』では倫理も物理もともに、人知の及ばないダーク(黒暗)な混迷のなかに落ち込んでいく。その双方を救助する手がかりはもはやない……。


 論点は尽きないが、先に紙数が尽きた。ともあれ、中国のSF史とは断絶と再開の歴史である。急成長を遂げた「科幻」が今後ジャンルとして成熟できるかは、国策や映画産業に併呑されることなく、文学として質的に自律できるかにかかっているだろう。『三体』のダーク・コスモロジーと張り合えるだけの「世界認識」を示せるSFを、私は切望している。


 Mingwei
Song, “After 1989: The New Wave of Chinese Science Fiction”, China
Perspectives, 2015/11.以下サイトで読める。https://journals.openedition.org/chinaperspectives/6618

 ダルコ・スーヴィン『SFの変容』(大橋洋一訳、国文社、1991年)55頁以下。


【福嶋亮太】

文芸評論家。81年生まれ。著書に『神話が考える』『復興文化論』『厄介な遺産』『百年の批評』など。


(了)


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