巻ノ二 御前試合異聞(四)

文字数 5,322文字

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イラスト:遠藤拓人

(四)


「おのれ、尾張……」

 寛永御前試合のきっかけとなったこの言葉を、家光が歯を軋らせながら呻いたのは、寛永十五年の春としたが、ここでは、その日付までを特定しておきたい。

 それは、太陰暦の三月五日、場所は、江戸城内西の丸に近い庭に建てられた、武道場・天武館の西側にある御雷庵(みかずちあん)ということにしておく。

 御雷庵は、武道場に隣設された庵で、天武館からは、屋根付きの廊下で渡ることができる。

 御雷の名は、日本神話において、出雲の伊耶佐之小浜(いざさのはま)で、国津神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と闘い、これを下した天津神にして軍神、建御雷神(たけみかずちのかみ)の名に由来する。

 武芸好きの家光が、天武館と共に江戸城内に特別に建てさせたもので、将軍家の兵法指南役の柳生宗矩や小野次郎右衛門忠常などから、剣の手ほどきを受けたり、武道談議をするおりなどに、このふたつの施設が利用される。

 家光が、前述の言葉を発した時、そこにはふたりの人物がいた。

 柳生宗矩と大久保彦左衛門である。

 宗矩は、柳生流の総師で、この時、六十八歳である。

 大久保彦左衛門忠教は、七十八歳、この時代にあってはかなり高齢者である。戦国の世の生き残りであり、家康と共に戦場にあること数知れず、大坂の陣では槍奉行として従軍している。

 酔えば、戦国談議の果つることなく、あの時本多忠勝殿の槍働きはどうであった、酒井忠次殿はこうであった、鳥居元忠殿は伏見で死ぬる前に十六人も敵方を殺した、などと聞いた話を見たかのように唾を飛ばして談ずるのである。

 同じ話を何度も耳にした者が辟易し、

「その話、以前にうかがい申した」

 口を挟もうものなら、烈火の如くに声を大きくし、

「知っているのなら、その話、我が前でしてみよ」

 と詰めよるのである。

 無理に語らせ、少しでも違うところがあれば、

「覚えておらぬではないか」

 近ごろの若い者はなっておらぬと怒り、

「そこはこうじゃ」

 話を奪って、結局彦左衛門が語ることになる。

「権現さまが、お怒りになりまするぞ」

 家光にも、平気で意見する。

〝天下の御意見番〟

 他人が言うのでなく、自らが自らのことをそう呼んだのである。

 頑固。

 直情。

 近くにあれば、迷惑この上ない人間であったが、妙な愛敬があり、家光にはその人物を愛された。

 徳川家光。

 柳生宗矩。

 大久保彦左衛門。

 この三名が、御雷庵で座している。

 障子戸が開け放たれていて、庭の桜が、残った花びらを、しきりと風に舞わせているのが見える。

 昨年の十月二十五日に勃発した島原の乱がひとまず平定されたのが、六日前の二月二十八日のことであった。

 その報が江戸の家光までもたらされたのが、昨日の三月四日早朝のことである。

 それを受けて、昨日とこの日の昼までは、日常の政務にさしさわりが出るほど家光は忙しかった。

 半日ほどすると、次のあらたな知らせが届き、この日の朝もまた次の知らせが届くといった具合で、その知らせの中には、前の話と辻褄が合わぬものもある。こちらからも、問い合わせを出したりせねばならず、家光にしても、落ちつかない日を過ごしていたのである。

 家光は、昨年一月「虫気」の病となり、ほぼ一年を具合を悪くしたままおくった。この病は、吐逆、霍乱と並んで家光の持病のようなものであり、いずれも酒が原因であったのだが、昨年のものは特にひどかった。

 十一月頃から回復の兆が見えはじめ、今年に入ってからようやく常の政務がこなせるようになってきたのである。

 この日、御雷庵での主たる話題は、島原のことではなく、以前から家光とは確執のあった土井利勝と、酒井忠勝の老中罷免のことであった。

 自身の病が重かったことから、ずっと先に延ばしてきたこの件について、家光は、老中ではなく、宗矩と彦左衛門に相談しようとして、ふたりを御雷庵へ呼んだのである。

 ここならば、武道談議という建前で、政務に関わるあれこれを、内密に話すことができたのである。

 しかし、話が、利勝、忠勝に移る前に、島原のことが先行し、ひとしきりその話題となった。

 その最中に、

「そう言えば──」

 ということで、彦左衛門が口にしたのが、

「とうとう、尾張は、島原のことで、一兵も送ってよこしませんでしたなあ」

 という言葉であった。

 これが、きっかけとなってしまった。

 島原の乱が起こった時、その鎮圧にあたったのが、九州の島原藩、唐津藩などであるのは言うまでもないが、全国の藩が、その平定のための兵を出している。

 仙台藩、相馬藩、山形藩、水戸藩、忍藩、金沢藩、深溝藩、大垣藩、亀山藩、柳生藩、小泉藩、和歌山藩、園部藩、鳥取藩、福山藩、広島藩、萩藩、松山藩、今治藩、土佐藩、宇和島藩、福岡藩、東蓮寺藩、秋月藩、久留米藩、柳川藩、三池藩、佐賀藩、小城藩、大村藩、福江藩、熊本藩、小倉藩、中津藩、龍王藩、杵築藩、中津留藩、府内藩、森藩、臼杵藩、岡藩、延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩、鹿児島藩──日本中から出兵があったが、尾張からは、一兵の派遣もなかったのである。

「尾張が兵を出しておらぬとな」

 家光の声が、石のように固くなった。

「水戸は、紀州は?」

「それぞれ、兵を出しております」

「な……」

 家光は、言葉を吞み込んだ。

 水戸、紀伊、尾張は、後に徳川御三家と呼ばれる、家康直系の家である。

 そのうちの、水戸、紀伊は兵を出しているというのに、どうして──

 家光は、病重く、どの藩が何人兵を出したかという、細かい話は知らされていなかったのである。

 尾張も、兵を出したものと家光は思い込んでいた。

 尾張と言えば、藩主は、ことあるごとに自分につっかかってくるあの義直である。

 家光の脳裏には、あの義直の顔がまざまざと浮かんでいる。

 かような時こそ、真っ先に兵を出して、自分の力を誇示したいのが、義直である。

 それをせぬということは、乱が大きくなるのを待って、そこで、はじめてしゃしゃり出て、事を治め、

「家光たよりなし」

 この自分をあざ笑おうという胆であったのか。

 この自分が病を得た時には、軍を率いてやってきて、

「この機に乗じて事を起こそうという者あらば、この義直が成敗いたす所存にて──」

 などと言っておきながら、かようの時には一兵も出さぬとは──

「おのれ、尾張……」

 もちろん、ここで尾張というのは、義直のことである。

「紫衣の時もそうであった。いくら勤皇の徒と言え、義直は、紫衣のことでは、徳川ではなく朝廷の味方をしてはばからなかった」

 家光の声は、震えている。

「この家光の病気見舞と称して、ついこの前江戸までやってきた時も、あやつめ、おかしな眼つきでこのわしを見つめていたのを、おまえたちも見たであろう」

 昨年、家光の見舞のため、後の御三家、老中、六人衆などといった面々が、江戸城までやってきた。

 徳川義直がやってきたのは、九月三日のことである。

「この家光が、どれほど弱っているか、いつ死ぬか。死んだら次の将軍は尾張から出すのがよかろう。そのためには、誰と誰を懐柔しておくか。土井利勝か、酒井忠勝か──そういう目であった」

 これには、宗矩もそうじゃそうじゃと家光の言葉に乗るわけにもいかず、かといって義直のことをとりなして、丸くおさめようとするのでは、家光の機嫌を損ねてしまう。

「あの時、兵庫助はわたしにも見えぬ刃の先をつきつけてまいりましたが……」

 宗矩は、自分のことを口にした。

「おう、あの時──」

 と、宗矩の言葉に乗ったのは彦左衛門であった。

 あの時、というのは、もちろん、家光も口にした義直が尾張から家光の病気見舞にやってきた、寛永十四年九月三日のことである。

 義直は、尾張柳生の祖である柳生兵庫助を伴って江戸入りをした。

 その時は、城内で能を見物し、その後に膳となった。

 酒が出され、鯛や平目などの珍味が運ばれて、ささやかながら宴となったのである。

 そのおりに、義直が、突然、

「時にこの義直、前々よりひとつ気になっていたことがあってな。せっかくの顔ぶれがここに集まっておる故、今日はそれを訊ねてみようと思うてなあ……」

 このようにきり出した。

「はて、それは?」

 これは家光が言った。

「おりに触れて言われていることだが、実のところ、江戸柳生、尾張柳生、いずれの技が優れておるのかということじゃ」

 とんでもないことを言い出した。

 誰もすぐには口を開ける問いではない。

「どうかな、兵庫助、宗矩殿……」

 しかし、問われて、どちらも自分の方が優れているとは、自ら口にはできない。

 その席には、江戸城内の、主だった顔がそろっており、その中には、柳生宗矩、柳生兵庫助、そして、もう一人の将軍家兵法指南役である、小野派一刀流小野次郎右衛門忠明の子、忠常の顔もあった。義直は、にいっと笑って見せ、

「これは、当人が口にできぬことじゃな。では、小野忠常殿、いかがかな」

 あらかじめそう言おうと考えていたかのように、視線を小野忠常に移した。

「はは」

 そう頭を下げ、忠常は恐縮してみせてから、次のように言った。

「同流のもう一方と、もう一方、どちらが優れているかは、他派の私が、この場で軽々に口にできるようなことではござりませぬ。しかしながら、ここで敢て申しあげておきますならば、どのような剣の術理であれ、要はその剣を持つ人物の、いずれの器量が優れているかということに尽きるかと──」

 答えてはみせたが、江戸柳生、尾張柳生、どちらが上であるとは、忠常も口にはしなかった。

「すると、忠常は、宗矩、兵庫助、いずれかの器量が優れている方が上であると、そう申すか──」

「いえ、そこまでは……」

 忠常、またもや頭を下げて、義直の視線を避けた。

「なるほど、なるほど──」

 義直は、さきほどよりもさらに笑みを強め、

「これは、誰にも答えられぬことを問うてしまったか──」

 そう独りごちて、あらかじめ打ち合わせていたかのように、兵庫助に視線を送った。

「誰にも答えられぬ、誰にもわからぬことながら、知る方法はござりまする」

 兵庫助は、顔をあげて言った。

「それは?」

 思わず問うてしまったのは、家光であった。

「それは、某が、ここで口にするようなことではござりませぬ」

 兵庫助は慇懃に頭を下げた。

「そうか」

 と、ここで、ハタと膝を打ったのは、大久保彦左衛門であった。

「江戸柳生、尾張柳生、それぞれに代表者をたてて、試合うてみれば、それでわかるということじゃな」

 この老人、心に思うた時には、もうその口が動いている。自分の発言がどのような意味を持つか、周りにどのような影響をおよぼすか、それをおもんぱかるのは、口を開いてしまった後だ。

「おっと、これは、無遠慮なことを申してしまったようじゃ」

 彦左衛門、口を押さえはしたが、後悔している顔ではなかった。

「剣は、口で操るものにあらず。剣を操るは、この腕と、ここ──」

 兵庫助は、ぽんと自分の下腹を叩き、

「胆力でござる」

 そう言った。

 しかも、言い終えて、宗矩に、槍先の如き視線を送った。

 宗矩は、表情を変えることなく、虚空を見つめている。

「戯れごと、戯れごと、そこまでじゃ」

 とりなしたように家光が言って、その場は収まったが、その後、

〝江戸柳生が尾張柳生から逃げた〟

 誰が吹聴したのか、江戸城内に、そのような噂が立ったことは、家光もわかっている。

 江戸柳生が逃げた──

 これはそのまま、

〝家光が義直から逃げた〟

 ということになる。

 家光にとっては、もちろんおもしろいことではない。

 その屈辱が、ここで蘇った。

 昨年よりも、体力がもどっている分、その屈辱の思いも、鮮やかで、強い。

 おのれ、義直──

「受けて立とうではないか──」

 御雷庵で、家光は、声を高くした。

「あの時は、戯れごとで済ませたが、そうはいかぬ。江戸柳生と尾張柳生、この家光と義直、どちらが上かしっかり教えてやろうではないか!」

 家光の眼は、爛々と燃えさかっていた。


(つづく)

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