大国主命、ヤマトタケル、将門、道真。北新宿に神々が集う。

文字数 3,616文字

果たして、将門の謎は解けるのか⁉ その前に味噌ラーメン。

いよいよ「平将門の北斗星巡り」のラスト、取手の先っぽ「鎧神社」です。さっき降りた「甘泉園公園」バス停から、都バス「上69」系統に乗り込みます。


ところが乗ったはいいけど、たった2つ先の「高田馬場二丁目」バス停で途中下車。とにかく腹が減っている。そろそろ昼食を胃に入れないと、身体が謀反を起こしそう。てなわけで早稲田通りを渡って、老舗のラーメン店に入りました


さすがは昔ながらの名物「味噌ラーメン」ですねぇ。久しぶりに頂いたけど、いやぁ相変わらず美味、美味。ただ、量が多かったね。若い頃はこれくらい、ぺろっと食べられてたのに、なぁ。最後はふぅふぅ言いながら、完食でした。


ちょっと腹は苦しいけど、これでパワー充填。将門の旅の最後に取り組むには、これで気合も十分でしょう。「高田馬場二丁目」バス停に戻って、再び「上69」に乗車。



 

バスは「明治通り」を突っ切り、「早稲田通り」沿いにひたすら走ります。高田馬場駅前の雑踏を抜け、西武新宿線とJR山手線の高架を潜る。潜った後もひたすら早稲田通り伝いに走り、緩やかな坂を下って「小滝橋」の交差点へ。


左手から「諏訪通り」と「小滝橋通り」の合流を見て、右折。神田川を渡るとそのすぐ先が終点「小滝橋車庫前」です


我々乗客を降ろしたバスは車庫に入り一時、身体を休める。私も通りを渡って車庫の前へ。いよいよここから本日、最後のバスに乗り込みます。

「鎧」で「ガード」を喜ぶ大の大人。えっ、これも将門への思い?

「橋63」系統。小滝橋通りから「大久保通り」に左折し、JR大久保駅前のコリアンタウンの賑わいを走り抜ける。かと思ったらぐねぐね曲がってJR市ヶ谷駅前から、麹町。永田町の国会議事堂前や霞が関の経済産業省前など、我が国の政治行政の中心地を駆け抜ける。最後に再び雑多な呑み屋街が並ぶJR新橋駅前でゴール、と東京の色んな顔を見せてくれる、私も大好きな路線の一つです


ただ今回は、そんなには乗らない。それどころか出発して、今来た道を引き返すように神田川を渡り、交差点で左折せずに小滝橋通りを真っ直ぐ、次の「新宿消防署」バス停で降りてしまいます。仕方ないですね、目的地があるんですから


バスを降りると「東京都中央卸売市場 淀橋市場」の敷地を回り込むようにして、JR中央線の線路伝いに緩やかな坂を下ります。


実はここ、なかなか面白いものがあるんですよ。それが、これ。「鎧ガード」。「鎧」に「ガード」してもらったら、そりゃ防御は万全でしょうなぁ(笑)


戯言はさておき、線路の高架ガードに神社の名をつけてくれていることに、私は感謝の念を覚えずにはいられません。この辺り一帯、住所的には「北新宿四丁目」という味も素っ気もない地名になっている。でもそんなの、つまんない。このガードの名に、地元の人の、鎧神社に対する敬愛の念が表れているような気がしません? もっと言うならそこに祀られている、平将門に対する崇敬の念


さぁこのガードを潜ってちょっと左手に行けば、目的地はもう直ぐです。 

鎧を奉納したくなる土地柄? 邪推がフィーバー状態。

どーん! これが鎧神社。時刻的にちょっと日が翳り出していて、またいい雰囲気の写真になってくれましたね。


鳥居に併設する建物はかつては「よろい保育園」で、そんなところで育ったらそりゃ強くなるだろうなぁ、と笑ってたんだけど今回、来てみたら閉園になってたみたいでしたね。返す返すも残念です。


さぁ気を取り直していつも通り、「神社の縁起」を見てみましょうか。


ちょっと紙が破れたりもしていますが、達筆でしたためられた味のある説明板ですねぇ。こんなの、あんまり見た覚えない。


ここにはちゃんと、日本武尊らに並んで平将門公の名がはっきり記されてますね。思い返せば「神田明神」以来のことですよ。


ただ、元々は日本武尊の鎧を収めたのが始まり、とされてますね。その後、地元民が将門公を追慕してその鎧もまたここに埋めたのだ、と。


討った側の藤原秀郷が病に苦しみ、祟りを恐れて鎧を収めた、との異説も開陳されている。うーん、また祟りですよ。やっぱり将門伝説には、祟りが付き物なんですねぇ。こうでなくっちゃ!

またも戯言はさておき、ここに掲げられた祭神はもはや、「全員集合」の感まである。日本武尊は「北斗七星」のもう一方の先端、「鳥越神社」の主祭神でしたよねぇ。「東征」した敵側じゃん、って思わず突っ込んだ。


それから「大己貴命」と「少彦名命」、この両名は「神田明神」で名前が挙がってた。つまりここ、両神社の祭神が一気に揃った形になるわけです。「大己貴命=大黒様」は早稲田の「水稲荷」にもいましたよね。


「神田明神」は元々、出雲系の氏族が大己貴命を祖神として祀ったのが始まり、とされている。そして「大己貴命=大国主命」が国造りの時、海の彼方からやって来て協力したのが少彦名命。以降、2神は始終行動を共にして諸国を廻っている。


ところが日本武尊もまた、出雲とは深い関わりを持つ。九州征伐の帰りに出雲に立ち寄っているし、「東征」の時に携えていたのは「三種の神器」の一つ「草薙剣」だ。相模国(駿河国、とも)で敵の火攻めに遭った際、日本武尊はこの剣を振るって窮地を脱するが、そもそも草薙剣は素戔嗚が八岐大蛇を退治した時、その尾から出て来たものだ。


つまり将門を除くこの3神は、いずれも出雲とつながっている。これは、どう解釈すればいいのだろうか? また、「兜神社」のところでやたらと出て来た、源義家との関係は。あそこ以外にも東京には、義家に所縁とされる場所はいくつもある。中にはもしかして、将門伝説を置き換えたものもあるのではないだろうか……??


邪推、と言うより妄想はどんどん膨らむけど、こんなところで頭を捻ったって結論が出るわけはないですわね。

天神様、お猿さん、北極星。邪推のタネがいくらでもある街、東京。

それよりもう一つ、ここには興味深いものがあるんです

それが、これ。この神社の摂社として、「天神社」が併設されているのです!


「天神」即ち祭神は「菅原道真」ですよね。そう、何とここには「日本三大怨霊」の内2人が祀られているんですよ。いやもうここ、「怨霊の聖地」じゃぁないですか(実は築土神社にも道真が合祀されている)!?


将門伝説には水に関わるものが多い、と前回書きました。確かにこの近くには江戸にとっても重要な、神田川が流れている。「水の都」江戸を治めるのに、極めて重要な一拠点であったことは間違いない。やはり江戸の町には要所要所に、将門が配され悪霊封じ込めが祈願されていたのではないだろうか?? 


またまた妄想が膨らみそうになりますが、最後にもう一つ面白いものを。それが、「天神社」の狛犬。


これ、どう見ても「犬」じゃなくって「猿」ですよねぇ。江戸時代に流行った「庚申信仰」の名残なんです。


60日に一度、「庚申」の夜に体内にいる三尸虫が抜け出して天に昇り、北極星にいる天帝に宿主である人間の日頃の悪事について報告する。だからその夜は三尸虫が身体から出ないよう、講の人々が集まって徹夜する習慣があった。


今も路傍でよく見掛ける「庚申塔」はその遺構であり、「見ザル、言ワザル、聞カザル」の「三猿」が彫られていることが多い。これはその変形、というわけです。新宿区の有形民俗文化財に指定されてます。


北極星にいる、天帝。そう、「庚申信仰」もまた、「北斗七星」につながる……


邪推もあちこち飛ぶだけ飛んだし、最後に「北斗七星」に戻って来たことで今回は締め、ということにしましょうか。


「平将門」を巡るバス旅は一応、これで終わりますが、また新しいテーマを見つけて帰って来たいと思います。それまで、またーー

また会う日まで、発車オーライ。プップ―!

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

「おとなの週末公式サイト」の連載コラム「路線バスグルメ」も楽しいよ!

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