-追悼 西村賢太-西村さんが「やばかった瞬間」/阿部公彦

文字数 3,226文字

撮影/森 清

作家・西村賢太氏が2022年2月5日、逝去されました。

謹んでお悔やみを申し上げます。


英米文学者で文芸評論家の阿部公彦氏による追悼文を転載します。(「群像」2022年4月号より)

西村さんが「やばかった瞬間」

阿部公彦

 一回、いや二回だろうか。すると、「いや、三回ありましたね」と言われた。


 すべて終わって反省会へと向かう途上での、王子の発言だ。王子とは、某社の西村賢太担当編集者さんの通称である。今しがた西村さんを囲んでの打ち上げが終わり、春日通りでタクシーを拾ってご本人をお見送りした後、居酒屋に向かっていた。そこで、「今日の西村さんはけっこう〝やばい瞬間〟がありましたね」と王子が私に耳打ちした。


「そうですか? 何回くらい?」と訊くと、王子はいかにも深刻そうに眉間に皺を寄せ、ややノワールな陰を表情にたたえながら(もともと王子はノワールな顔立ちなのだが)、「三回ありましたね」と言ったのだ。


 その日のイベントははじめから波乱含みだった。出版社の発案とはいえ、広告代理店が間に入り、しかも大学での開催なので公式の主催者は私たち大学教員。どうも責任の所在がはっきりせず、準備の段階からごたごたがあった。その上、全体の責任者である沼野充義さんが早めに来て準備していたところ、研究室に向かうエレベータが停止。沼野さんは一時間も中に閉じ込められてしまった。これなど一歩間違えれば……という「噴火の前兆」だった。数年前に芥川賞を受賞してテレビ出演も多い西村さんがイベントを上手にこなすことはわかっていたが、トラブルの話も聞く。


「とにかくいらしてさえくだされば」。待ち合わせの時間になると、編集者のお二人と私とで正門を出て、本郷通りの王子方面(こっちは地名。氏の居所)を遠く見やりながら、「果たして、ちゃんといらっしゃるだろうか」と気をもんだ。王子じゃない方の担当さんが「なんと携帯はお持ちなんですよ」と言ったのが記憶に残っている。


 まもなくタクシーが到着。西村さんが車内から転がり出るように現れた。しかし、ほっと一息ついたのも束の間、ご本人はまったく講演の準備などしていないことが判明。どうしましょう、ということになり、ほんとうは講演のはずが急遽インタビュー形式に変更となった。「いやね、お金がいいっていうから引き受けたんすよ」と西村さんは指でお金印をつくってみせた。私は単なる司会のはずが、聞き手としてイベントに参加することになった。


 とりあえず三四郎池脇の、当時はまだビニールで覆われていなかった喫煙所にご案内し、一服。それから待合室に戻る。私はそこで場を離れた。どうやら「西村さんがやばかった瞬間 その1」と「その2」はここで起きたらしい。王子によると控室でいろんな人が挨拶しにきて、そのときに何かあった。


 私の中では西村さんといつも結びつくのが坪内祐三さんである。明治・大正の文学に通暁し、圧倒的な読書量と記憶力をお持ちの二人は、明らかに文学趣味の方向も重なるが、それよりも重要なのが、二人とも屈指の癇癪持ちだったことだ。坪内さんの中規模くらいまでの噴火は私も何回か目撃したことがある。ただ、私から見ると坪内さんの癇癪はふざけているのかまじめな癇癪なのかよくわからないところがあり、周りの人が「坪内さんが癇癪を起こしてしまった」シグナルを出すまで気がつかないことがある。ぴーんと張り詰めた空気になっても、私一人がぽかんとしている。亡くなる数週間前に起きた大噴火は私は見ていないが、佐久間文子さんの『ツボちゃんの話─夫・坪内祐三』によれば、「大人があんなに地団太を踏むのを初めて見ました」と居合わせた学生が驚嘆するほどのものだった。


 しかし、そんなことを言っておいてなんだが、私には癇癪を起こす人の気分は理解できるような気がする。ご本人の中枢部分と別のところでスイッチが入り、抑える抑えない以前に暴走してしまう、ほとんど物理的な反応なのではないか。私の周囲にも規模こそ異なるものの、何人かそういう人がいる。


 西村さんの癇癪はついに間近で見ることはなかったが、坪内さんに比べると、どんなふうに噴火が起きるかは想像できそうだ。慣れてくれば、そろそろ危ないな、というのもわかるのかもしれない。


 さて、「西村さんがやばかった瞬間 その3」である。王子によれば、イベントの最中ではなかったそうだ。ただ、イベントは映像がYouTubeで公開されているので興味がある方は確かめて欲しいが、こうしてみると和やかな雰囲気の中にも西村さんの目は真剣で「許さねえときには、許さねえぞ」という炎の影は見えている。


 では、「その3」はいったいいつだったのだろう。すると王子はさらに声を潜め、しかし、若干嬉しそうに「つい今の打ち上げの最中だったんですよ!」と言った。え! ぜんぜん気がつかなかった。やはり担当編集者ともなるとすごいものだ。たしかに、そう言われてみるとそんな刹那があったか。それにしても、錯覚かもしれないが、王子の表情に不敵な笑みが浮かぶように見えるのはなぜなのだ……。


 西村さんと坪内さん。癇癪持ちの二人に共通するのは、文章にデリケートなリズムがあることだ。お二人は徹底的に呼吸がコントロールされた文章世界を持つ。西村さんは初期の『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』『小銭をかぞえる』の頃からすでに少々長い文でも一気に読ませるテンポを持ちつつ、急ブレーキをかけて声を潜めるのもうまかった。まさに緩急自在。プロの運転術である。鍵になるのは呼吸であり、心臓の鼓動なのだ。


 集中して読み書きしているときに話しかけられると、息が乱れ苦しくなる。この苦しさなら私にもわかる。読み書きしていなくとも、そんなふうに苦しくなる人がいる。天性の繊細さで文章を操った西村さんはさぞ鼓動する心臓に負担をかけたのだろうなと思う。苦しいときにはさぞ苦しかったのだろう。ご冥福をお祈りしたい。ゆっくり休んでください。

西村賢太(にしむら・けんた)

1967(昭和42)年7月12日、東京都江戸川区生まれ。中卒。新潮文庫、及び角川文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』、角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他』、講談社文芸文庫版『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』を編集、校訂、解題。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』『二度はゆけぬ町の地図』『瘡瘢旅行』『小銭をかぞえる』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『苦役列車』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『一私小説書きの日乗』(既刊6冊)『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集 一私小説書きの独語』『疒(やまいだれ)の歌』『下手に居丈高』『無銭横町』『夢魔去りぬ』『藤澤淸造追影』『風来鬼語 西村賢太対談集3』『蠕動で渉れ、汚泥の川を』『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』『羅針盤は壊れても』などがある。2022年2月逝去。


阿部公彦(あべ・まさひこ)

英文学、文芸評論。66年生まれ。『病んだ言葉 癒す言葉 生きる言葉』

5月13日発売

父親の性犯罪によって瓦解した家族。その出所が迫り復讐を恐れる母。消息不明の姉。17歳・無職の貫多は……。傑作「私小説」4篇。


性犯罪による父親の逮捕を機に瓦解した家族。出所後の復讐に怯える母親。家出し、消息不明の姉。罪なき罰を背負わされた北町貫多は17歳、無職。犯罪加害者家族が一度解体し、瓦礫の中から再出発を始めていたとき、入所から7年の歳月を経てその罪の張本人である父親が刑期を終えようとしていた。──表題作と“不”連作の私小説「病院裏に埋める」、〈芝公園六角堂跡シリーズ〉の一篇「四冊目の『根津権現裏』」、“変化球的私小説”である「崩折れるにはまだ早い」の全四篇を収録。

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