◆No.6 金ヶ崎追撃戦 ~戦国朝倉家の7大 if (イフ) その3

文字数 1,501文字

越前の名門朝倉家の英傑・朝倉宗滴が没したあと後事を託され、朝倉家を守ることを固く誓った「宗滴五将」の筆頭「仁の将」山崎吉家。朝倉将棋最強の駒に譬えられた男は、なぜそこまで主家に尽くしたのか──。朝倉家家臣団の離反、謀略、裏切りのなかで孤軍奮闘する忠臣の姿を描いた『酔象の流儀 朝倉盛衰記』の裏話を、著者・赤神諒氏が語ります!

元亀元年(1570年)4月。

朝倉討伐のため越前へ侵攻していた信長の背後を、浅井軍が急襲します。

信長は、ただちに兵を返して京へ逃げ帰ります。

信長の生涯最大のピンチの一つとして名高い<金ヶ崎崩れ>ですね。

この戦いで義景自身は浅水の地で兵を止め、追撃をしなかったとされています。


Q:もしもこの時、朝倉軍が全軍で信長を追撃していたら……。

A:信長が戦死していた可能性もありそうです。


滋賀県の朽木に<信長の隠れ岩>の言い伝えが残っています。

なかなか見応えのある巨岩です。

真偽は不明ですが、信長はこの岩に隠れて、かろうじて追撃を免れたとか。

もしもこの千載一遇のチャンスを逃さず、信長を討ち取っていれば、朝倉家は3年後の滅亡を確実に免れたでしょう。

この時点の織田家は、まだ本願寺との対決も残しており、強敵はゾロゾロ残っていますから、信長でない後継者ではまとまりもなく、強大化するのは難しかったでしょう。 

信長が早くに倒れたことで、戦国時代はさらに長く続いたはず。

こうなると、もう完全な架空戦記の世界ですね。

それだけ織田信長という英雄が日本史で果たした役割が大きいという話でもあります。

なぜ、義景は浅水で兵を止めたのか。 

真実は永遠に謎ですが、『酔象の流儀 朝倉盛衰記』では〇〇の謀略のためとしました。 

『酔象の流儀 朝倉盛衰記』では、金ヶ崎崩れを、吉家浅井長政による秘策と位置づけました。

吉家は寡兵で信長を懸命に追撃しますが、取り逃がしてしまいます。

朝倉家は、信長との泥沼の戦いに巻き込まれていくことになるのです。


なんか、大河ドラマ最後の「〇〇紀行」の語りのようになってしまいました。 

■主な登場人物

山崎吉家              内衆の重臣。宗滴五将の筆頭「仁」の将

前波吉継              義景の側近。内衆の名門、前波家の庶子

堀江景忠      加越国境を守る国衆。宗滴五将の「義」

魚住景固      内衆の重臣。宗滴五将の「智」

朝倉景鏡              義景の従兄で大野郡司。宗滴五将の「礼」

朝倉義景              第五代・越前朝倉家当主

印牧能信      景鏡の懐刀。宗滴五将の「信」

お宰        義景の三人目の室

小少将         義景の四人目の室。美濃斎藤家にゆかり

蕗               小少将の侍女

いと            吉家の室

山崎吉延      吉家の弟

朝倉伊冊(景紀)  同名衆有力者で敦賀郡司。景鏡の政敵。

朝倉宗滴              朝倉家最高の将。

※糸崎から亀島

赤神 (あかがみ・りょう)

1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。私立大学教授、法学博士、弁護士。2017年、「義と愛と」(『大友二階崩れ』に改題)で第9回日経小説大賞を受賞し作家デビュー。同作品は「新人離れしたデビュー作」として大いに話題となった。他の著書に『大友の聖将『大友落月記』神遊の城』『戦神』『妙麟』『計策師 甲駿相三国同盟異聞』 村上水軍の神姫』北前船用心棒 赤穂ノ湊 犬侍見参』『立花三将伝』などがある。

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