第30話 ピラニアと呼ばれる男・花巻に会いにいった立浪たちだが

文字数 2,652文字

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「本当に、ここなのか?」
  西新宿(にししんじゅく)――立浪(たつなみ)は老朽化した雑居ビルを見上げて、鈴村(すずむら)に訊(たず)ねた。
 元は白だったのだろう外壁は灰色にくすみ、花巻(はなまき)の事務所が入っている三階の窓は大きく罅(ひび)割れ、内側から青い粘着テープで補修されていた。
「ああ。ターゲットから絞り取った金をたんまり貯(た)め込んでいるくせに、ケチな野郎だ」
 鈴村が吐き捨てながら、エントランスに足を踏み入れた。
 午後八時を過ぎているので、管理人室は無人だった。
 エントランスの蛍光灯は明滅し、旧式のステンレス製の集合郵便受箱は凹(へこ)み、投入口からチラシが溢(あふ)れていた。
「築五十年を超えているから、エレベーターはないぞ」
 鈴村が言いつつ、階段に足を向けた。
 階段にはゴキブリの死骸や煙草(タバコ)の吸殻が転がっていた。
 三階の共用廊下の蛍光灯は切れており、立浪はスマートフォンの照明で足元を照らしながら歩いた。
 廊下の突き当り――クリーム色の塗料がところどころ剥(は)げたスチールドアの前で鈴村が足を止めた。
 天井からは、廃墟と見紛(みまが)いそうな雑居ビルと不釣り合いな真新しい二台の監視カメラが睨(にら)みを利(き)かせていた。
 鈴村がインターホンを押した。
 十数秒の間を置き、解錠音に続きドアが開いた。
 現れたのは予想外にも、二十代前半と思しきプラチナシルバーのロングヘアの女だった。
 臍(へそ)が露出したピンクのニットスリムTシャツにデニムのショートパンツ――ギャル雑誌から飛び出してきたような女を見て、鈴村は面食らっていた。
「あんた、鈴村っておじさん?」
 女が気怠(けだる)げな顔で訊ねてきた。
「ああ、そうだが……ここは、花巻さんの事務所だよな?」
 鈴村が訊ね返した。
「そうだよ。入って」
 女が素っ気なく、鈴村と立浪を室内へと促した。
 玄関に足を踏み入れた瞬間、ムッとした湿気が纏(まと)わりついてきた。
 尻をくねらせながら歩く女に、鈴村と立浪は続いた。
「すぐに終わるから、適当に座ってて~」
 十坪ほどのスクエアな空間――黒の大理石の円卓でノートパソコンに向き合う、落ち武者のようなザンバラ髪の男……ハイビスカスの柄のアロハシャツに白のハーフパンツ姿の花巻が、ディスプレイに眼を向けたまま言った。
 男の背後には円卓と同じ材質の黒の大理石の長テーブルが設置してあり、五台のノートパソコンが並んでいた。
 ほかには、片隅に冷蔵庫があるだけの簡素な事務所だった。
 壁に設置された書庫にはぎっしりファイルが並び、スチールデスクの上には新聞や雑誌が山積し、灰皿には吸い殻が溢れ……花巻の事務所は、ビルの外観から立浪が想像していたイメージとは懸け離れたシンプルな空間だった。
 立浪と鈴村は、花巻の正面の席に座った。
「お兄ちゃん、拍子抜けしてる?」
 花巻がノートパソコンを操作しながら、唐突に言った。
「え? なにがですか?」
 立浪は、意味がわからずに訊ね返した。
「一(ひとつ)、ファイルや新聞で散らかり放題の事務所だと思っていたのに整然としてること~、一、僕が闇の住人っぽくなくて迫力がないこと~、一、事務所に不似合いなナイスバディの若く派手なおねえちゃんがいること~」
 カタカタとパソコンのキーを叩きつつ、花巻が歌うように言った。
「はい、全部拍子抜けしました」
 立浪は、躊躇(ちゅうちょ)せずに素直な思いを口にした。
「おい、お前、なにを……」
「鈴村ちゃん、いいの、いいの!」
 慌(あわ)てて立浪を窘(なだ)めようとする鈴村を制し、花巻がノートパソコンから顔を上げた。
「鈴村ちゃん、このお兄ちゃん面白いね~」
 花巻が楽しそうに言いながら、鈴村から立浪に視線を移した。
「改めて、紹介します。彼は『スラッシュ』ニュース部の立浪と言います。花巻さんに名刺を……」
「ああ、そんなのいらない、いらない」
 立浪を促そうとする鈴村を、花巻が遮(さえぎ)った。
「え?」
 鈴村が怪訝(けげん)な顔で花巻を見た。 
「僕はねぇ、肩書とか信用しないし興味もないの。こうやって対面すれば、五分で人間性がわかるんだよねぇ。このお兄ちゃんは、扱いづらい性格しているけど正直だよ。少なくとも、僕を裏切るような嘘(うそ)は吐(つ)かないんじゃないかな~。だからって、仕事の相性がいいかわからないけどねぇ」
 花巻が軽い口調とは裏腹に、鋭い眼で立浪を見据えつつ言った。
 摑(つか)みどころのない男だが、飄々(ひょうひょう)とした態度の仮面の下には別の素顔が隠されているに違いない。
「まあ、花巻さんがそう言ってくれるならいいですけど」
 鈴村が安堵(あんど)の表情を浮かべた。
「僕はねぇ、ハッタリが嫌いなの。だから、事務所の入るビルはオンボロでもいいの。でも、仕事は機能的にしたいから、資料やターゲットの情報はすべてデータ化しているってわけ。アロハはデザインやフォルムが好きなわけではなくて、通気性がよくて丈夫だから着てるだけさ」
 プラチナシルバーヘアの女が、お茶の入ったグラスを運んできた。
「彼女……みゆちんは、芸人の服部修(はっとりおさむ)のセフレだったんだよねぇ。ねっ!?
 花巻が女……みゆちんに言った。
「うん。包茎でケチだったけど」
 みゆちんが吐き捨てると、花巻が甲高(かんだか)い声で笑った。
「包茎は仕方ないけどさぁ、ケチはだめだめぇ~」
 花巻が顰(しか)めっ面(つら)の前で手を振った。
 服部修は、朝の帯番組を含むレギュラー五本を持つ中堅の売れっ子芸人だ。
 妻は元女優で芸能界ではおしどり夫婦として知られ、理想の夫ランキングでは常に上位に名を連ねていた。
「女が週刊誌やテレビに前の男を売る理由のほとんどは、金をケチるからだよ。ホテル代をケチってエッチはいつも車の中で、終ったらさっさと車から追い出すんだってさ。ひどい男だよねぇ。そんな雑な扱いするから、裏切られて僕みたいな男に脅迫(きょうはく)されるのさ。ちょっと脅(おど)したら、服部修はすぐに一千万出したよ。あれだけレギュラー番組を持っていたら、一千万なんてはした金だよねぇ。五千万くらい吹っかけときゃよかったよ」
 花巻が下唇を突き出し、肩を竦(すく)めた。

(第31話につづく)

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