手榴弾を投げられ、30発の銃弾を撃ち込まれたノーベル平和賞受賞者。

文字数 2,128文字

「われは知る テロリストの かなしき心を」(石川啄木)。テロは民主主義にとっての脅威である。しかし、暗殺が歴史のうねりを加速させた例は数多い。そんな暗殺事件から世界の歴史を俯瞰する。(年齢は事件当時)

平和の使者か、裏切り者か。改革のリーダーか、独裁者か。

アンワル・エル・サダト暗殺事件 1981

この日、観閲台の上のアンワル・エル・サダト大統領(63)は、わざわざロンドンで仕立てさせた新品の軍服を着て上機嫌であった。


10月6日は、8年前、第四次中東戦争が開始された日であり、この日はその戦勝記念の軍事パレードが行われていたのだ。


この戦争でエジプト軍はシリア軍とともに宿敵イスラエル軍を奇襲、緒戦に勝利した。その後、イスラエル軍は持ち直し、戦局はイスラエル優位で推移していたが、アラブ産油国の石油戦略発動はオイルショックとなって世界に波及し、両国は短期間での停戦に至る。


この戦争で、アラブの団結を示し、イスラエルに「勝利」したサダトの指導力は増大する。だが、その指導力を以って推進した政策は多くの国民からの反発を招くことに繋がった。


汎アラブ主義からエジプト一国ナショナリズムへ。親ソ連路線から親米路線へ。そして、何より世界を驚かせたのが、宿敵イスラエルとの和平であった。


1978年サダトはジミー・カーター米大統領の調停の下、イスラエルとの和平合意に至る。これによって、イスラエルのぺギン首相とともに、サダトはノーベル平和賞を受賞した。


サダトは崩壊寸前のエジプト経済を立て直すためには、アメリカの経済援助が必須だと考えていた。だが、そのためにはアメリカの求めるイスラエルとの和平が必要であった。


だが、連戦連敗の状況でイスラエルを調停のテーブルに着かせることは難しかった。それゆえ、第四次中東戦争でのエジプトの「限定的な勝利」は、サダトの狙い通りの効果をもたらしたと言えるだろう。


だが、このエジプトによる単独和平を、パレスチナ同胞への裏切りであると考えるエジプト国民やアラブ諸国民は多く、サダトは強い反発を受けることとなる。


また、社会主義路線を改めて、経済の自由化を推し進めたため、貧富の差が広がり、汚職が横行。国民の反発はテロを呼ぶようになり、サダトはイスラム急進主義集団への大規模な弾圧を行った。


そして、運命の日。


観閲台の前で、野砲を牽引するトレーラーが急停車すると、そこから降りてきた一人の将校が降りてきた。彼はためらうことなく、サダトの方に向かってきた。


サダトは彼の敬礼を受けようと起立する。


しかし、その将校は敬礼のかわりに3発の手榴弾を投げ込み、自動小銃を乱射したのだ。さらに三人の暗殺者がトレーラーから降りてきて自動小銃を乱射。会場は完全にパニック状態となった。


観閲台に駆け上がった暗殺者は「ファラオへの死!」と叫びながら、すでに倒れているサダトの遺体に30発もの弾丸を撃ち込んだ。サダトが防弾チョッキを着ている可能性を考えたためだという。


しかし、この日、サダトは防弾チョッキを着ていなかった。防弾チョッキを着ると、せっかくの軍服の見栄えが悪くなるという理由であったが、仮に防弾チョッキを着用していたとしても、生存は難しかっただろう


サダトはヘリコプターで病院に運ばれ、その日の夜になって、サダトの死亡が発表された。サダトは11人の医師の医師による手術を受けたという。おそらく、サダトはほぼ即死の状態であったが、エジプト政府は混乱やクーデターを恐れ、死亡の発表を少しでも遅らせようとしたのだろう。


約二分間の銃撃戦の末、暗殺者4人のうち2人が銃殺され、二人は拘束された。他に参列していたキューバ全権大使やコプト正教司祭など11人がテロの巻き添えとなって死亡、38人が負傷している。次の大統領となったムバラク副大統領も、左手を負傷している。


暗殺者のリーダーは、最初に手榴弾を投げたハリド・イスランブリ中尉で、イスラム急進主義過激派「ジハード団」の一員であった。


彼の兄や妹もイスラム原理主義グループと関係があったため、サダトの行った弾圧によって逮捕されていた。彼自身もサダトに強い恨みを抱いていたという。


彼は、パレードでの砲兵部隊の指揮を命じられると、これを好機と捉え、正規の隊員に休暇を与えるなどし、その代わりに暗殺者たちをトレーラーに乗り込ませたのだ。暗殺者たちはトレーラーの中で、サダト必殺を誓い合っていたという。


1982年、イスランブリ中尉は銃殺刑に処された。イスラム急進主義過激派は中尉の最期を「現代イスラム初のシャヒード(殉教者)」と評価しているという。また、長くエジプトとの敵対関係が続くイランの首都テヘランには、中尉の名を冠した通りがある。


「ジハード団」の一部は、その後アフガニスタンに逃亡して潜伏。過激派「アルカイダ」で大きな役割を果たすことになる。


1995年、アラブとの和平を進めたイスラエルのイツハク・ラビン首相が、和平反対派のユダヤ人学生に射殺されている。中東の和平を進めるものは、死を覚悟しなければならないのか。

『サダト・最後の回想録』アンワル・エル・サダト/著 読売新聞外報部/訳

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