第45話 薬物疑惑タレントの女を、黒木とともに張り込む立浪

文字数 3,098文字

「『クレセント』の杏奈さんですよね?」
「え……誰ですか?」
 杏奈が怪訝そうな顔を向けた。
「この顔に見覚えはありませんか?」
 立浪は己の顔を指差した。
「いえ、見覚えは……あ!」
 杏奈がなにかを思い出したように眼を見開いた。
「GVルームで薬物を摂取していた牧野健(まきのけん)さんとあなたを撮影した写真週刊誌の者です」
「これから出勤なので……」
「五分で終わります」
 立浪は話を終わらせようとする杏奈を遮った。
「あなたと話すことはなにもありません。それに薬物なんかやってません。これ以上しつこくすると、警察を呼びますから!」
 杏奈の言葉は強気なものだったが、うわずる声と泳ぐ瞳が動揺を物語っていた。
「どうぞ、呼んでください。動画に映っている瓶のラベルを医療関係者に見せたら、危険ドラッグだと判明しました。警察が介入したら松野さんはもちろん、あなたも逮捕されますよ。それでもいいなら私が呼びますけど……」
 立浪はスマートフォンを宙に掲げて見せた。
「私に……なにをさせたいんですか?」
一転して杏奈が弱々しい声音(こわね)で訊ねてきた。
「立ち話もなんですから、続きは車内で話しましょう。『クレセント』に移動しながらなので、遅刻することはありません」
 立浪は杏奈をアルファードに促した。
                   ☆
「まさか、店についてくるんですか?」
 移動中の車内――セカンドシートに立浪と並んで座る杏奈が不安げに訊ねてきた。
「話が終われば、すぐに解放します。単刀直入に言います。私達に協力して頂ければ、あなたの罪……薬物については不問にします」
 立浪は本題に入った。
 時間をかければ、大河内の耳に入るリスクがそれだけ高くなる。
 大河内が知れば、今度は警告では済まないだろう。
「協力って、なにをすればいいんですか?」
「簡単なことです。GVルームで牧野さんと薬物をやっていたと証明してください」
 立浪は淡々とした口調で言った。
「そんなこと、できるわけないじゃないですか! 私だって捕まっちゃいますよ!」
取り乱した杏奈の声が車内に響き渡った。
「記事には杏奈さんの名前は出しませんからご安心を。私達のターゲットは牧野さんだけですから」
「でも、記事を見た警察に訊(き)かれたら私のこと言うんでしょ!?
「言いませんよ。私達には情報源の秘匿(ひとく)というものがあります」
「情報源のひ……なんですかそれ?」
 杏奈が訊ね返した。
「弁護士が依頼人の依頼内容を、医師が患者の病状を外部に漏(も)らさないのと同じです。相手が警察であってもです」 
「匿名でも情報源のなんとかでも、健ちゃんに私が裏切ったことがわかっちゃうじゃないですか!? もう、店にきてくれなくなりますよ。私、健ちゃんに嫌われたくない……」
 杏奈が嗚咽(おえつ)を漏らし始めた。
「落ち着いてください。いいですか? 匿名が杏奈さんだとバレなくても、記事が掲載されたら牧野さんは刑務所暮らしです。『クレセント』どころか、自宅マンションにも帰れませんよ」
「だったら、協力しません! 健ちゃんが刑務所暮らしなんて、耐えられない……」
 杏奈の嗚咽が激しさを増した。
「牧野さんは罪を犯したのですから、償うのは当然のことです」
 立浪は冷たく突き放した。
「ドラッグぐらい、ウチにきている芸能人のほとんどがやってますよ! どうして健ちゃんだけ……」
「だったら、牧野さんと一緒に刑務所に入りますか?」
「え……」
 立浪の言葉に、杏奈が表情を失った。
「私が杏奈さんを匿名にして警察にも情報を漏らさないと言ったのは、協力してくれた場合です。協力してくれないのなら、私達が杏奈さんを守る理由がありません。牧野さんだけでなく、あなたのことも実名で掲載します。もちろん、薬物をやっていたこともね」
「そんな……」
 杏奈は表情だけでなく血の気(け)も失った。
「杏奈さんの場合は牧野さんと一緒に危険ドラッグをやっていた記事が出回るので、一般の薬物使用者のようにひっそり罪を償えばいいというわけにはいきません。ウチの記事を皮切りに各週刊誌も後追い記事を掲載し、連日テレビの情報番組やワイドショーで取り上げられます。もっと厄介なのはSNSです。ネットニュースで流された記事はあっという間に拡散し、『大人気俳優、牧野健の恋人』、『牧野健と危険ドラッグをやっていた女』として、杏奈さんは丸裸にされます。顔写真、氏名、年齢はもちろん、実家の住所や出身校まで晒(さら)されるでしょう。記事が掲載されて警察沙汰(ざた)になり、つらい思いをするのはあなただけじゃないんですよ?」
 立浪は杏奈の表情を窺(うかがい)いながら、じわじわと追い詰めた。
「杏奈さんは自業自得だから仕方ないにしても、ご両親や兄弟はどうですかね? 連日、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の嫌がらせや興味本位の冷やかしが続くでしょうね。昔、イジメで同級生を自殺に追い込んだ少年の記事を担当したことがあります。殺人犯を生んだお前が死ね、お前らが悪魔を育てた、殺人一家は出て行け……少年の母親は連日、誹謗中傷の電話や貼り紙に苛(さいな)まれ、精神的に追い詰められて自殺しました」
「自殺……」
 杏奈が息を吞(の)んだ。
「杏奈さんはイジメで誰かを傷つけたわけではありませんが、大人気俳優の恋人というだけで世間の反感を買うでしょう。でも、牧野さんは独身なので不倫にはなりません。互いにフリー同志の恋愛は、責めたくても責められない。あなた達の薬物使用は、積もりに積もった視聴者のフラストレーションの恰好(かっこう)の的になるでしょうね。危険ドラッグを吸引していたとなれば、やっかんでいた人達が堂々と攻撃できる大義名分になりますから」
 杏奈の白っぽく乾燥した唇と膝(ひざ)が小刻みに震えていた。
 釣り針は魚の口腔(こうこう)にしっかりかかっていたが、確実に釣り上げるためにダメ押しする必要があった。
「杏奈さんには特別に教えますが、牧野さんの被害を訴えている女性はほかにもいます」
「え!? ほかにも!?
 杏奈の表情が瞬時に変わった。
「はい。杏奈さんと同じように牧野さんと薬物をやっていた女性達です。彼女達にも匿名で記事に協力して貰います」
「私以外ともドラッグを……」
 杏奈が唇を嚙(か)んだ。
 そんな女はいない。
 いや、いるかもしれないが立浪は知らない。
 自分は牧野にとって特別な女だという優越意識を奪うための噓(うそ)だ。
「牧野さんのために晒し者になるなんて、馬鹿げてますよ。彼には杏奈さん以外にも同じように秘密を共有している女性が何人もいます。あなたが牧野さんを庇っても、ほかの女性が暴露します。杏奈さん。牧野さんと道連れになる必要はありません。自分のために最善の行動を取ってください」
 吊(つ)り上がった杏奈の眼に涙が滲んだ。
 悔し涙に違いない。
 五秒、十秒、二十秒、三十秒……沈黙が続いた。
「本当に、約束を守って貰えるんですか?」
 杏奈が震える声で沈黙を破った。
「約束します」
 立浪は即答した。
「ただし、牧野さんや周囲の人には絶対に内密にしてください。記事が掲載される前に牧野さんや彼の事務所が気づいたら、杏奈さんが漏らしたと判断します。その瞬間に、ウチはあなたの顔も違法ドラッグを使用していたことも暴露します」
 立浪は杏奈が寝返らないように恫喝(どうかつ)した。

(第46話につづく)

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