第1回/呉勝浩『スワン』を読みました。
文字数 2,035文字

記念すべき第1冊目は、第73回日本推理作家協会賞受賞・第41回吉川英治文学新人賞・受賞など、2019年度の文芸界で高い評価を得ている呉勝浩さんの『スワン』(KADOKAWA)について。
スーパーマーケットから、肩にオウムを乗せた中年女性が出てくるのを見た。7年以上前の出来事だがいまでも鮮烈に思い出せる。『スワン』を読み終えたときに頭に浮かんだのはなぜかその光景だった。
国内有数の大型ショッピングモールで前触れもなく起きた無差別銃撃事件。21人の命が奪われる中で、高校生の片岡いずみは犯人と対峙しながらも生き延びる。だが、脅されたいずみが次の被害者を「指名」したという証言により、彼女は激しい非難を浴びせられることになる。事件から半年後、いずみのもとに招待状が届く。それは、あのときショッピングモールで何が起こったのかを解き明かすために開かれる怪しげな会合への誘いだった。
ミステリー小説の眼差しは過去に向いている。「本当のところはどうだったのか」というのが読者の主な興味だ。誰が、なぜ、どうやって? 事件の生存者である片岡いずみは、どうやら何かを恐れ、隠しているらしい。彼女は本当にただの被害者なのだろうか。あるいは――。興味にかられてページをめくるミステリー読者の手つきは、ゴシップ情報の詳細をSNSで追う人々の手つきに似ている。
「匿名の悪意」という言葉が便利に使われるようになって久しい。しかし、真に根深い問題をはらんでいるのは匿名性でも悪意でもなく、人がごく断片的な情報から「真実」を見出してしまう性質と、その性質を加速するネットの作用にあるだろう。
情報を揃えれば全てがつまびらかになるというのはミステリー小説的な幻想だが、むき出しの現実の、得も言われぬ消化不良の気持ち悪さを前にして平然としていられるほど、人間は強くない。だから私たちはその幻想の中を生きている。「割り切れない現実」という月並みな表現もまた現実を割り切るための一手段であることを思えば、この困難の根深さがわかる。
悪ということになる。
あらためて言葉にすると滑稽だった。悪になるのではない。悪をするのでもない。悪ということになる――ここにはとても軽やかで、ゆえに逃れがたい呪いがあった。
(p.159)
逆境の中で片岡いずみは抗い続ける。相手は匿名の悪意だけではない。「本当のところはどうだったのか」という興味そのものと対峙しているように見える。いずみの戦いは、ミステリー小説的な視線への強い抵抗でもあるのだ。過去の真実に興味を惹かれて読み進めるうち、いずみの方からも強く見つめ返されているような気がしてくる。
「知れば知るだけ、偽物になっていく気がするんです。映像とか新聞記事とか、もちろんそれは事実で、まちがってはいないんだけど、でも、ほんとうでもないんです」
(p.234)
『スワン』は、フェアに構築された社会派ミステリーだ。だが、謎が明かされるにつれて過去というものの不可侵性も示されていく。ただそのようにあったという現実に色付けをほどこす暴力性が、まさにそのミステリー的手法によって暴かれるのだ。
スーパーマーケットから出てくる中年女性と肩のオウムを目撃したとき、頭に浮かんだのは「なぜ?」だった。なぜ肩にオウムを乗せて買い物をしているのだろう。ペットなのだろうか。海賊の末裔のおばさんなのだろうか。推論から合理的解決を試みたこともあったが、ある時期にやめてしまった。知る由もないことだからだ。『スワン』を読み終えたときに残った感覚は少しそれに似ていた。謎が明かされてなお残る「知る由もない」という思い。それが本作を強く印象づけている。
小説家・ライター。株式会社バーグハンバーグバーグ社員。代表作に『名称未設定ファイル』(キノブックス)、『止まりだしたら走らない』(リトルモア)など。
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次回は5月中旬を予定しております。お楽しみに!