【コメディ】『一筆啓上』

文字数 2,245文字

2021年5月に開催した、NOVEL DAYS とtreeが主催する2000字文学賞。

今回のテーマはズバリ、「コメディ小説」!


400を超える応募作の中から、栄えある受賞を勝ち取った作品を掲載いたします。

笑う門には福来る! ぜひお楽しみ下さい!

【2021年5月開催「2000字文学賞:コメディ小説」受賞作】


一筆啓上


著・音野内記


 商家の主の宗兵衛が寺から帰ろうとした時だった。
 宗兵衛は和尚に呼び止められた。
「急いで帰ることもなかろう。お茶でも飲んでいきなさい」
 宗兵衛は、和尚の誘いを供の丁稚がいるからと辞退したが、熱心に誘われ、丁稚の福松と一緒に寺の客間に上がった。
 和尚は座ろうとした宗兵衛を床の間の前まで引っ張っていく。
「この掛け軸は、高名な書家が家康公の重臣だった本多重次殿の手紙を写したものでな、名文とされておる」
 そう言った和尚の顔は自慢げだった。どうやら、和尚は掛け軸を見せたかったらしい。
 宗兵衛は掛け軸をしげしげと見た。
「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」
 読んでみたものの、宗兵衛はなぜ名文なのか理解できず、和尚に尋ねた。
 和尚の説明によると、この手紙は戦場から妻へ宛てたもので、火事に気を付けろ、嫡男の仙千代を大切にしろ、戦に使う馬の世話を怠るな、という意味だった。留守を預かる家族を気遣いながらも、簡潔に用件を伝えているため、名文とされているらしい。
 宗兵衛は良いことを聞いたと思い、手紙の文章を紙に書き写した。
「宗兵衛さんは、掛け軸が好きなのかの?」
 書き写したので、和尚はそう思ったようだ。
「好きということではありませんが、家内に聞いたことを話してやろうと思いまして」
 和尚は宗兵衛の言葉を聞き、肩を落とした。
「ワシは掛け軸が好きでの、同好の士を見つけたと思ったのじゃがのう」
「掛け軸がお好きなのでしたら、家宝の掛け軸が店にございますので、ご覧になりますか?」
「家宝とな。それは一度見てみたいものじゃ。これから見に行ってもよろしいかな?」
「代々受け継いだ自慢の掛け軸です。ぜひ、見にいらしてください」
 宗兵衛は、和尚が掛け軸を見て驚く様子を想像しながら、後ろで控えている丁稚の福松を見た。まだ子供の福松は呆けた顔で座っている。
「これこれ福松、聞いていただろう。和尚様がこれから店にいらっしゃるので、家宝の掛け軸を掛けておくように、家内に伝えておくれ。そうそう、この手紙を家内に渡しておくれ」
 宗兵衛は掛け軸の文章を書き写した紙を福松に渡した。宗兵衛は本多重次の真似をしようと思ったのだ。
 福松は「へーい」と返事をして出て行き、宗兵衛は心配そうに見送った。

「ただいまー」
 福松の声がしたので、宗兵衛の女房のお菊が店先へ出ると、福松がずぶ濡れで立っていた。
「まあまあ、どうしたんだい?」
「積んでいる水桶にぶつかっちゃって」
 どうやら、福松は防火用水の桶をひっくり返したらしい。
「早く着替えておいで。ところで、旦那様はどこだい?」
「和尚様と一緒に帰るって。そうだ、旦那様が和尚様に家宝の掛け軸を見せるから掛けておけって言ってた」
 福松は濡れた手紙を差し出した。
「これは何だい?」
「旦那様が女将さんに渡せって」
 お菊は受け取った手紙を開く。
「一筆啓上……、濡れちまって先が読めないじゃないか。急ぎの要件かもしれないのに」
 お菊が小言を言おうとすると、福松はにっこりとした。
「おいら知ってる」
「えっ、知ってるのかい。何て書いてあったんだい?」
「えーと、へのようじん」
「『へ』って、尻から出る屁のことかい?」
「うん」
「分からないように透かしていたんだけど、バレてたのかね」
「女将さんのは特に臭いから」
 福松はお菊に睨まれ、首をすくめた。
「手紙の続きは?」
「せんかかすな、うま、うま、……うまくやれ」
「『せん』って何のことだい?」
 福松は徳利を指差した。
「蓋の栓のことか。ということは、この手紙には『一筆啓上、屁の用心、栓欠かすな、上手くやれ』と書いてあったんだね」
 福松がうなずくと、お菊はしばらく考え込み、手を叩いた。
「分かった。和尚様に粗相があってはいけないから、尻に栓をして屁をするなということだ。だけど、尻に栓をするなんてねえ……」
 お菊は嫌々ながらも手頃な栓を捜すことにした。

 宗兵衛が和尚を連れて店に帰ると、お菊が尻をもじもじさせながら待っていた。
 宗兵衛はお菊の様子を気にも留めずに訊く。
「ちゃんと準備はしたか?」
「ええ、お言い付け通りにしました」
 お菊の返答にうなずいた宗兵衛は、和尚を客間に案内した。床の間には、家宝の掛け軸が掛けてあった。
 和尚は部屋に入るなり掛け軸の前に立ち、火山が噴煙を上げている絵をじっと見つめた。
「和尚様、いかがですか」
「家宝と聞いて、期待していたのじゃが……」
 目の肥えた和尚には、平凡な絵と映ったようだ。
 宗兵衛がガッカリしていると、襖が開いた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
 お菊がお盆を持って立ち上がる。その時だった。
 ボーン! プーゥ。
 爆発音のような音が部屋に響き、栓が畳に転がった。硫黄の臭いが漂う。
 掛け軸を見ていた和尚が、びっくりした様子で振り返った。
「噴火の音や臭いまでするとは思わなんだ。さすが、家宝の掛け軸じゃ」

<終わり>

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