第17話

文字数 3,314文字

《タクシーに乗ったら新井どんが乗ってきて、疲れたと訴えてくる夢をみた。元気かい?》そのLINEが届いたのは、10月も5日が過ぎた頃だった。友人曰く、私はそれを訴えるだけ訴えて、すぐタクシーから降りていったそうだ。


9月末までの10日間、私は神奈川県の大和ミュージックにいた。自宅から通うこともできたが、妙に気の合う姐さんと終演後の銭湯に行きたいがため、楽屋に泊まり込んでいたのである。往復3時間の移動がないことで、体力的に楽ではあったが、泊まれば泊まったでやることもあり、読書も原稿も思ったようには進まない。じわじわと焦りながら、楽日を迎えたのである。


10月の頭からは、福井県のあわらミュージックで、初めての「ロング」だ。ストリップは通常、10日間で仕事をいただくが、あわらはその倍の20日間で乗る踊り子が多い。しかし私には、別の仕事もある。9結の大和から10頭・10中と続けば、書店に1ヵ月間立てなくなる。翌月、翌々月に売りたい本の手配が一切できず、戻ってきたときにはもう、リカバリーすることも難しい。そんな状態で、現役の書店員と言えるのか。


そしてさらに問題なのが、連載の締め切りだ。私の場合、月の頭に何本か固まっており、それさえ片付ければ、しばらくは心安らかに過ごすことができる。だが30日間びっしり踊り子業となると、事前に片付けておくにも限界がある。今までは、その間にやってくる締め切りの分を片付けてから、劇場に乗り込んでいた。踊り子でいる間は、全力でそれに力を注ぎたいのだ。それが叶わないことが、これほどしんどいとは思わなかった。


金沢行きの新幹線の中で、1本エッセイを書きあげた。だが、芦原に着いてからは毎日何かしらの予定があり、せっかく開演時間が遅いのに、出先から戻ればもう、化粧を始める時間だ。集客により公演の回数は変わるが、最大の3回なら、終演はてっぺん近くになる。


そこから合宿のように晩ご飯の支度をして、踊り子みんなでワイワイ食卓を囲み、近くの温泉に出掛けて湯に浸かれば、就寝が午前3時を過ぎるのは当たり前の日々。早く起きて原稿を書き始めたところで、昼前にはもう、出掛ける予定が入っている。


まず肌が荒れた。身体の疲れは感じないが、常にイライラして、何も心に響かない。でも、いちばん好きな「芦原荘」の塩っぱい湯に肩まで浸かったときと、広いステージに立ってライトを浴びたときだけは、一日でも長くここにいたいと思えた。それ以外はもう、心ここにあらずだったけれども。


いくら化粧を終えたとはいえ、別の仕事である執筆を楽屋で行うことに、躊躇いはある。

用があっても話しかけにくくなるだろうし、私は忙しいんです、という態度は、見ていて気持ちのいいものではない。だが、それがわかっていても、ここでやらなければ、マジで間に合わない。


毎日温泉に浸かっても肌荒れは治らず、今度は他人の足音が気になり始めた。私はあまり足音をさせずに歩く。ドスドス歩くこと、大きな音を立ててドアを開け閉めすること、壁越しに人が寝ているのに、コンセントを乱暴に引き抜いたり、鼻歌を歌ったり、電話をしたり、食器をがちゃんと置いたりすること。どれも私はしない。ただ、他人がするのを止めさせようとは思わない。面倒くさい。


私だって、他人が嫌がることを無意識にしているときだってあるだろうし。だけど今は、今だけは、勘弁して欲しかった。そしてこの温泉街には、24時間営業のマクドナルドも、朝までいられるネットカフェもない。車がなければ、私はどこへ逃げることもできないのだ。


何か決定的なことを言ったりやったりしてしまうことを恐れ、私は極力口を閉ざし、みんなで買い物に行くことも、外にごはんを食べに行くことも止めた。誰にも会わなそうな喫茶店へ行き、ひたすら原稿を書き続けた。こういう時に限って、どうしても断りたくない、魅力的な執筆依頼がいくつも舞い込み、書いても書いても終わらなかった。もう、限界なのだろうか。踊り子デビューしてたった8ヵ月弱で、私は弱音を吐くのか。


いや、まだ吐いていない。様子がおかしいことは周囲に伝わっているだろうが、弱音を吐いたのは、友人のLINEへの返信だけだ。


《それは俺だ。》


ずっと人といることに、私は疲れていたのである。そもそも、そういう人間だったではないか。料理をするのは自分のため。食べたい物があれば、速やかにひとりで食べに行く。友人ではない人と食事をすると「いっぱい食べるね」と驚かれる。「どうしてそんなに瘦せているの」と羨ましがられる。もううんざりだ。うるせえうるせえ。いちいちうるせえんだよ。


葉物野菜は買い溜めしても、あっという間に萎れてしまう。ごはんは長時間保温するより、こまめに炊いたほうが美味しいに決まっている。頼むから豚肉はしっかり焼いてくれ。そう、苛立ちが最高潮に達したのは、あの豚肉を焼いた日だった。


とても世話になっている人から、楽屋に差し入れが届いたのである。樽に入った、上等な豚肉の味噌漬けが。それを、料理が得意でない人が焼くことになってしまった。その結果、豚肉の脂の部分をきれいに切り捨て、おまけに中がまだピンクの生焼けで、必要不可欠の焦げ目がない粘土みたいな豚肉が、食卓に並んだときの絶望たるや! 楽しみにしていたのに! 特別な豚肉だったのに! その脂が美味いんじゃないか! あなたは脂を嫌いかもしれないが、これはあなただけの肉ではない。どうして勝手に!!


私は自分の中に、ぶわりと凶暴な怒りが湧き上がるのを、まるで他人事のように、はっきりと感じた。豚肉ごときで大人げないのかもしれないが、グーで殴って昏倒させ、馬乗りになってタコ殴りにしてやりたかった。でも、しなかった。誰かに不満を言うことすら、しなかった。怒りというより、悲しかった。


大人数での食事にありがちな、食べ物をいちばん美味しい状態で食べないこと、食べきれないほど作ったり買ったりして無駄にすることが、私は本当に嫌なのだ。よりによって、大切な人が送ってくれた、特別な豚肉を全て使ってしまうなんて。


しかしそんな時でも、頭の片隅では、書くためにこれを経験しているのではないか、と考えている自分がいた。そりゃ怒りに身を焼かれないわけである。そして本当にこうして、書いている。


スケジュールが決まったときから、そんな予感はしていた。30日間、私のような不安定な人間が、平穏に過ごせるとは思えなかった。今までだって、10日の間には必ず浮き沈みがあり、たまたま運良く、乗り越えることができただけなのである。


私はあと2週間近く、ここで何事も起こさずに過ごすことができるのだろうか。

もしかしたら、今活躍している姐さんたちも、こういうギリギリの状態を何度も乗り越えて、舞台に立ち続けているのかもしれない。乗り越えられずに消えていった踊り子だって、星の数ほどいるはずだ。過去を笑い話にして、まだ踊り続けているかつての仲間に、複雑な思いを抱いているのだろうか。


私はもう、そういうかっこ悪い傷は負いたくなかった。20代の初めに、感情的になってバンドを中途半端に辞めたことを、20年近く経った今でも、ずりずりと引き摺り、いまだにミュージシャンを正面から見ることが出来ない。かっこよければかっこいいほど、悔しくてひっくり返りそうになるのだ。今度こそ、こんなところで消えてたまるか。


そんなことを考えている内に、この原稿が書き上がっていた。これが抱えていた締め切りの、最難関だったのである。


あぁスッキリした。明日からはまた、いつも通りの「見枝香ちゃん」をやっていけるだろう。足音も豚肉の生焼けも、何がそんなに嫌だったのだろうと、笑い飛ばせる。友人の夢にまでお邪魔することもない。数日経てば、私の様子がおかしかったことなんて、みんな忘れるだろう。


でも、なかったことにできないように、書いた。みんなが忘れても、私はそれを、忘れてはいけない。きっとまた私は、同じようなことを繰り返すから。人を憎み、自分を嫌いになって、全部ぶち壊してしまいたい衝動は、ずっといつも、心のどこかにあって、消えないのだ。

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