終始一貫、この生き方を通してきた、非情に徹するトラブルシューター

文字数 1,612文字

絶対に譲れないものがある、それがハードボイルド。


客を待つジョーカーのいるバーは六本木にある。それも華やかなネオンが眩しい表通りではなく、街の外れの目抜き通りの裏側にあり、ひっそりとして暗い。ハードボイルドの合言葉は闇、影、裏、陰そして孤独。まさに絵に描いたような燻んだ光景に満ち溢れているのは、酌み交わされるカクテルの鮮やかさと紛れもない昭和の匂いである。


希望に満ちた光はない。むしろ過酷な運命への諦念やくすんだ哀愁さえも感じられる。奈落の底へとつながる破滅の道や死と隣り合わせの際どさを抱えながら、不思議な包容力や力強い生命力が伝わってくる。溢れんばかりの命の咆哮を間近で体感できるのだ。


時代は平成から令和へと新たな時代に移り変わっている。バブルは弾け不況は押し寄せ、さらにはウイルスの脅威で日常生活も一変した。物語の空気感は決して新しくはない。けれどもなぜこれほど新鮮に感じるのだろう。


世代を超えて愛され続ける大沢在昌文学。ハードボイルド世界の原点であり、ひとつの到達点を味わえるのがこの『ザ・ジョーカー』と『ザ・ジョーカー 亡命者』なのだ。圧巻の読み応えを味わえるシリーズのこの2作品がいま文庫新装版版で再登場するには意味がある。ソーシャルディスタンスで開いた隙間を埋めるに相応しい。ファンにはもちろんビギナーにとっても最良の信頼できる物語である。


描き出された世界には「品格」と「美学」がある。どんなに欲に塗れた俗っぱい場面でも人間としての矜持がある。理性を突き抜けた過激な狂気が感じれれても男としてのプライドだけは崩さない。この流儀がたまらなく魅力的なのだ。何に忖度することもなく己に課されたミッションを遂行するだけ。

成果を得るためには手段を選ばず、ただひたすらに自らの意思に従い行動する。血と汗と涙を流し闘い続ける仕事人としての男の生き様がなんともカッコよく読む者の心を奪うのだ。


ジョーカーの突き抜けた姿が眩しく映るのは、この世にそうした一本筋を貫く存在が少なくなってしまったからであろう。混沌としたこの時代が再びジョーカーを求めているのだ。退屈な日常を豊かに彩る最後の切り札でもあるかもしれない。


情景や心情の描写も本当に見事。着手金は百万円。仕事は「殺し」以外のすべて。カネに男と女が交わればそこにドラマが起こらぬはずはない。沸騰するような情熱にクールな仕草。大胆な展開に細やかな感情の機微が、明暗も鮮やかに手にとるように伝わってくる。


バーの客であり依頼人との出会いの瞬間が最大の読みどころのひとつであるが、特筆すべきはラストの切れ味。殺し文句を言い放って闇に消えるジョーカーの姿にときめかない者はいないだろう。この映像美は上質な名作映画の世界に入り込んだかのようだ。


芳醇にして豊穣。これはシビれる。作中のジョーカーが代変わりしているように、揺るがぬ存在感を放つこの物語がこれからも読み続けられることを強く願ってやまない。

大沢在昌(おおさわ・ありまさ)
1956年愛知県名古屋市生まれ。慶応義塾大学中退。1979年に小説推理新人賞を「感傷の街角」で受賞しデビュー。1986年「深夜曲馬団」で日本冒険小説大賞最優秀短編賞、1991年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞長編部門受賞。1994年には『無間人形 新宿鮫IV』直木賞を受賞した。2001年『心では重すぎる』で日本冒険小説大賞、2002年『闇先案内人』で日本冒険小説大賞を連続受賞。2004年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞受賞。2010年には日本ミステリー文学大賞受賞。2014年『海と月の迷路』で吉川英治文学賞受賞した。

書評の書き手:内田剛

アルパカ野生書店員。書店POPを描き続け、王の称号を得る。つまり「キング・オブ・ポップス」。唾を吐くこともなく、好きな小説の布教に努める日々。

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