『春、死なん』紗倉まな・著 ブックレビュー

文字数 1,699文字

年齢を重ねても心と身体の間で揺れつづける性的欲望を、紗倉まなさんが鮮烈に描いた小説集『春、死なん』

野間文芸新人賞候補になった作品を、高校図書の金杉由美さんが、レビューしてくださいます!


定年後は夫婦でのんびりと田舎暮らしをするつもりだった富雄と喜美代。しかし、一人息子の強い勧めで息子夫婦と二所帯住宅に住むことになった。

息子は、妻が自分の身の回りの世話をするのを当たり前だと信じて疑わない男だ。

間もなく喜美代は他界し、独りになった富雄の心身に異変が生じる。


現代の老人たちは、枯れていくのではなく、生乾きの臭気を発しながらゆっくりと朽ちていく。

そして老後は果てしなく長い。残酷なほど長い。

富雄もまた、衰えゆく肉体と残滓のような性欲をもてあまし、呆然と立ちすくむ。

妻、嫁、孫、ずっと昔に一度だけ情を交わした後輩、アダルト雑誌の中のモデル。

富雄の目にうつる女たちは、どこか不気味だが性的な磁力をもつ謎の生物だ。不可解だが必要な存在でもある。

本書は、そんな女たちに囲まれ、現実との乖離に戸惑う老いた一人の男の物語。


いや、それだけではない。


あえて男の視点から描くことによって、著者は、男たちの残酷なほどの無神経さを浮き彫りにする。

夫や息子のわがままに振り回され、鈍さに気力をむしりとられ、心が折れかけている妻や母。

モラハラに打ちのめされ、セルフネグレクトに追いこまれ、それでも主婦として女としての役割をはたすことを求められる。

獰猛で傷つきやすく殻にこもった男たちは、女だというだけの理由で見下し、都合よく利用し、消費する。

自分の弱さや孤独にも真正面からは向き合えず、プライドだけを必死に守る。

老いてなお、欲望と愛情と甘えをごちゃまぜにして、女に母性を押しつける。


甘ったれてんじゃねえよ!


女たちにも感情があるのだ。

むしろ共感力がありすぎるからこそ、男たちの欲望を受け入れてしまう。

滑稽なほど的外れな男たちを、理解しようとしてしまう。

「春、死なん」は、あらゆる世代の女たちの物語でもある。

いま、傷つけられている女性にこそ読んでほしい。

そして、傷ついていることに気がついてほしい。


併録の「ははばなれ」は母娘の物語。

父の墓参りのために里帰りした娘。還暦を過ぎた母には新しい恋人がいた。

娘は、自由奔放な母のようにはなりたくないと思いながら生きてきた。

いつまでも「女」であることをやめない母に反発しながら、うらやんでもいる。

母離れすることは、母を解放し自分を解放することでもある。


性と老い。主題の生々しさにもかかわらず、どちらの作品からも静謐でたおやかな印象を受ける。

クラシカルなまでに端整な文体がそう感じさせるのだろう。

しかし、「妻」「母」という型にはめられた女たちの破裂しそうな怒りと絶望が、その穏やかさの奥には潜んでいる。

だからその穏やかさは、いっそ不穏だ。


怖い。

紗倉まなという作家は、とても怖い。


金杉由美(かなすぎゆみ)

高校司書に転身した書店員。いまだに生徒が来ると「いらっしゃいませ」といいそうになる。

「春、死なん」

妻を亡くしたばかりの70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で
何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し……。

「ははばなれ」
実母と夫と共に、早くに亡くなった実父の墓参りに向かった、コヨミ。
専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、
そこには母の恋人だという不審な男が……。

人は恋い、性に焦がれる──いくら年を重ねても。揺れ動く心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。

紗倉まな(さくら・まな)
1993年千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。
'15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。
著書に小説『最低。』『凹凸』(いずれもKADOKAWA)、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)『働くおっぱい』(KADOKAWA)スタイルブック『MANA』(サイゾー)がある.。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色