還暦記念百物語 第2話/嶺里俊介
文字数 2,365文字
『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんによる、tree書下ろし連載第3弾スタート!
今回は還暦を迎えた主人公と、学生時代からの仲間が挑む、実録(?)『還暦記念百物語』です!
第2話 前世
2番目に語り手の席に座ったのは行方である。
水泳が得意で、学生時代は女遊びに興じていた奴だ。中等科のときは俳優志望だった。
「世田谷区にな、自分の前世を体験できるっていうセラピーがあるんだよ。『前世療法』って触れ込みだ。なんの療法だよ、って突っ込みたくなるが、流行りのメンタル系なものなんだろな。俺も物好きだからさ、興味を持ったんで行ってみたんだ」
そのときの話だ、と行方は続けた。
「俺はベッドの上で仰向けになって目を閉じた。『力を抜いてください。気を楽にして』。セラピストの声が頭に響く。『意識の中へ進んでいきます。徐々に、徐々に――』」
彼は当時を再現するように瞑目した。
「話の2、『前世』」
端整な顔立ちをしていた。声も通る。
子ども時代から映画やテレビドラマが大好きだった。スクリーンに映えるスター俳優に憧れて、長じるにつれ役者を目指したのは自然だった。
親に泣きついて金を出してもらい、演技指導をしてくれる芸能事務所に登録した。仲間とともに日々練習を重ね、演技力もついた――と思う。
しかしオーディションを受けても通らなかった。最初は当然とはいえ、半年経っても、一年二年過ぎても起用されなかった。
やがて同期たちは端役でも仕事をもらうようになった。頭角を現した者もいる。
「我が強すぎて役に入っていない」と評されたが、そんなことはないと自負している。どうして芽が出ないのか、不思議で仕方ない。
とある飲み会で大物俳優と一緒になったときに、悪魔と契約した俳優の話を耳にした。
その手があったか――。
若者は悪魔の呼び出し方を調べ、ようやく悪魔を呼び出すことに成功した。
「契約したい」若者は言った。
「スターダムへ上らせろ。60歳になったときに魂をくれてやる。それだけ生きれば充分楽しめるし、名前を残せる」
「お断りします」悪魔は無表情だった。「それだと60歳以前に死なれたら魂を取りはぐれることになる。60歳になるまで、あなたを事故や病気から護らねばなりません。それは別の契約になります」
「なんだと……」
「自分の身は自分で守ってください。当たり前の話です。また当事者のみの契約なので、他の人間を巻き込むことはしません。ライバルを潰すなんてことはしませんから、そのつもりで」
しばし考えて、やがて意を決した。
「分かった。短くとも太く生きてやる」
「俳優の技能をあなたに与えましょう。世界一のね。ただし、死を迎えるときに魂をもらい受けます。それでいいですね」
「ああ、契約完了だ。まずは明日のオーディションからだ。その場で合否を言い渡されるからちょうどいい。一気に駆け上がってやる」
若者は高らかに笑った。
そして翌日。
「ふざけんな。一晩眠って、目が覚めたら願いは叶ってるという約束だったろうが」
木枯らしが吹き抜ける歩道で、若者は横を歩く悪魔に向かって声を荒らげた。ロングコートにマフラー姿の若者は上気して顔が赤らんでいる。口元から漏れる呼気が白い。
「世界一の俳優になる。それが取引だったはずだ」
「もちろん。取引通り、願いは叶えましたよ。現在、あなたは世界一の俳優だ。私は認めますよ。それが契約です」
「なら、どうしてこんなオーディションに落ちてるんだよ」
若者の言葉に怒気が籠もる。行き交う人たちが若者に振り返るも、睨まれて慌てて目を逸らす。
「話が違うだろ。こんなんで魂のやりとりは出来ねーぞ」
「私の仕事は世界を変えることではありません。目が覚めたら世界が変わっているとでも思いましたか」
「それじゃ意味ねーだろ!」
道行く人たちに悪魔は見えない。一人の若者が歩きながら毒づいている姿しか目に入らない。
交差点に差し掛かったところで、信号が赤になって二人は足を止めた。
「俺はビッグになる男なんだ。さっさと世界一の俳優にしろよ」
「もうなっていますよ。あなたは世界一の俳優の技量を持ちました」
悪魔に表情はない。言葉に抑揚もない。
「ただ、世界中のみんながそれを知らないだけです。私の契約は、当事者であるあなたとのみ成立します。他の人間は契約の範疇ではありませんから巻き込みません。どうぞ、あなた自身で世界中のみなさんへ教えてあげてください」
「ふざけるな! ちゃんと面倒みろよ!」
若者は横にいた悪魔につかみかかった。刹那、悪魔がくるりと身を躱す。いきおい若者の身体が車道へ躍り出る。
そこへ車が突っ込んできた。
「私たち悪魔はね、長く待つことが苦手です」
周囲から悲鳴が上がった。
「俺はセラピールームのベッドで目を覚ましたが、なかなか興味深い体験だったよ。……実に夢多き若者だった。若い時分にはよくあることだけど、てっぺんとるぞ、って息巻いてたな。かえって眩しいくらいだった」
「いまのがお前の前世だったのか」泰丸が手を挙げた。
「俺は前世を信じない。検証できないからだ。でも娯楽としては楽しめるだろ。いい刺激になったよ」
行方は含み笑いを漏らした。
「俺の目の前で若者は車に撥ね飛ばされたよ。夢とはいえ、笑えるだろ。まさか自分の前世が、悪魔だったなんてな」
嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)
1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。