堀ノ内 ~鬼平大好き!「鬼バカ」作家が「鬼墓」さがし~

文字数 3,320文字

「犯行現場(仮想)参り」の次は「鬼平の墓参り」。

『鬼平犯科帳』が好きだ。大好きだ!


池波正太郎センセの原作ももちろんだが、中村吉右衛門主演のドラマがいいですねぇ♡ てなわけで今回は、鬼平のお墓参りに出発。


「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(のぶため)は延享3(1746)年、400石の旗本、長谷川平蔵宣雄(のぶお)の長男として生まれた。宣雄は火付盗賊改方や、京都町奉行などを歴任している。


宣以は青年時代、風来坊の暴れ者で「本所の(当時、銕三郎(あるいは銕次郎)と名乗っていたため)」と呼ばれ恐れられていた。が、父が京都町奉行に任命されたのを機に、妻子を連れて自身も京都に移った。ところが安永2(1773)年、父が永眠。江戸に戻って長谷川家の家督を継ぐ。


数々の役職を経た後、天明7(1787)年、父と同じく火付盗賊改方に任ぜられる。42歳の時だった。


いくつもの大捕物を成功させ、名を轟かせるが、同僚達からはあまり快く思われていなかったらしい。


寛政7(1785)年、8年間、務め上げた火盗改の役職を離れ僅か3ヵ月後に没した。激務である上に懐からの持ち出しも多く、基本の任期2、3年も待たずにお役御免を願い出る者も多かったそうだから、8年というのは異例の長さと言っていい。

長谷川家の菩提寺は四谷に今も残る「戒行寺(かいぎょうじ)」。ただし現在、墓所は杉並区堀ノ内の共同墓地に移転している、という。


堀ノ内なら我が家からは、恒例の都バス「渋66」系統で一本で行ける。早速いつものバス停「幡ヶ谷駅前」へ。ただしいつもとは違い、甲州街道の南側。都心部に向かう時には渋谷駅前行きに乗るけど、今回は逆の阿佐ヶ谷方面なのだ。


幡ヶ谷駅前を出たバスは甲州街道を西に向かい、大原の交差点で環七を右折。後はこれ沿いに北上して目的地へ、というルートだ。


途中、神田川と善福寺川を渡る。2つの川に削られた谷を跨ぐため、上がったり降りたりが続き乗っていて楽しい。「川好き」好みのルートでもあるんですね(笑)。


さて事前に地図でだいたいこの辺り、と把握してはいるけど、正確な位置は分からない。最寄りかどうかまでは知らないけど、近いのは間違いない「堀ノ内」バス停で下車。

落語と違ってスムーズにお参り。粗忽はここからです!

ここは江戸時代から有名な名刹、妙法寺(みょうほうじ)の門前町。元々は真言宗の尼寺だったが日蓮宗に改宗し、碑文谷(ひもんや)の法華寺にあった祖師像をもらい受ける。


この日蓮の祖師像が厄除けにご利益があると評判になり、参拝客が詰め掛けるようになった、という。落語『堀の内』の舞台としても有名ですね。


環七からお寺の参道に入る入り口には、立派な石碑が立っていた。せっかく来たんだから、とお参りに行く。参道に入ってちょっと歩いたら、すぐ右手が境内でした。今日の探索も上手くいきますように。鬼平の墓がちゃんと見つかりますように、と手を合わせた。

さて再び環七に戻って、歩き出す。北へ向かう。このどこかからちょっと左手に入れば、目指す墓地がある筈と事前に地図で押さえてあった。


ところが、なんですよ。


この一帯、寺町になっていて周りには実に寺が多い。さっきの妙法寺だけじゃないんですね。


「あっ、何か茂みがある」「墓地じゃないかな」と近づいて見るけど、別のお寺。そんなのが続いた。


間違い寺(失礼!)のみなさま。いずれゆっくりお参りしたいものです。
邪推作家に立ちはだかる、墓石の森。

嫌な予感がした。


以前この「日和バス」で、永井荷風の『日和下駄』に描かれた町を散策した時のこと。銀杏の巨木を見つけたいのに違う木ばかりで、難渋させられた。あの時のことを思い出してしまったのだ。


幸いあの時は最後に見事な大銀杏に巡り合い、記事の締めとしても理想的な感じに収まった。でも毎回、そう上手くいくとも限らないじゃないですか。


今回は見つからなくて、終わり。そんな最悪の結果が目に浮かぶようにも思えて来る。まぁイザとなったらスマホで調べれば何とかなるでしょうけどね。なるべく、そんなことはしたくない。足で探し出したい


これ以上、環七を北へ進んでも杉並区の文化施設『セシオン杉並』があるばかりだ。そこから先はもう高円寺陸橋。寺の敷地は、もうない。そろそろこの辺で、左手に入ってしまおう。腹を決めて、環七を背にした。路地に入ってみるとますますそこら中、墓所だらけに思えた。


「おっ、墓地だ」と見つけて歩み寄ってみる。でも、違うお寺。またもそんな展開が続く。そもそも探しているのは、複数のお寺が共有する墓地なのだ。そんなの本当に見つかるの!? 


嫌な予感が更に募る。とーー左手をふと見ると、そこにも墓地があった。掲げられた看板を見て、ホッと一安心。4つ並んだ中の一番、右側に「戒行寺」の名前があるじゃないですか。あったあった、ここだここだ。取り敢えず、墓所は見つけた。これで第一段階、クリア。


ただ、足を踏み入れてみると敷地はかなり広い。この中で本当に、お墓を見つ出すことができるのか。再び不安が頭をもたげる。墓地の場所まではスマホに頼ることはできても、個々のお墓まではさすがにムリですからね。


ところが今回も杞憂だった。歩き始めてすぐ、見つかった。これが、それ。


鬼平の墓、発見!たぶん。知らんけど。やっぱりブラブラ旅は突き詰めない。

えっ、こんなに大きいの? さすがは鬼平の墓! と思われたかも知れないけど、違うんですね。これ、無縁墓を積み重ねた塚なんですよ。


無縁墓って!? とショックを受けた方。その通りなんです。実は四谷の戒行寺から長谷川家の墓を移す時、何かの手違いで行方不明になってしまったらしいんですね。


そんなもったいない、と感じるのは当然だけど、当時は『鬼平犯科帳』も書かれてはいなかった。こんなに広く知られるようになったのは、池波センセの小説あってのことなんです。そのころ既に一般にも有名人だったら、もっと大切に運ばれててこんなことにはなってなかったろうになぁ、とは思うけど、こればっかりは仕方がない。


前述の通り、塚は無縁墓を積み重ねたもの。なので、もしかしたらこの中に「長谷川」と彫られた墓石はないか、と探してみた。言うまでもなく、見つかりませんでしたけどね。


だってこれまで、無数のファンが同じことをして来た筈でしょう。で、もし見つかってたらそれこそ「あったあった!」と自慢タラタラになっているわけでしょう。だからこれまた、仕方がないですね。

物足りないなら、軍鶏鍋の「五鉄」も探してほしい。

それにしても、と感じます。無縁塚どころか墓地そのものにも巡り会えない可能性だって、あり得たんですからね。さっき、嫌な予感もした。でも幸い、見つけることができた。


そしたら今度は内心、もっと苦労した方が読み物としては面白くなったのになぁ、なぁんて考えてる。人間なんてつくづく、勝手なものですね。


意外にあっさり見つかってくれたのも、きっと「お祖師様」にお参りしたご利益なんでしょう。感謝して、墓所を後にしました。


次はいよいよ、四谷の戒行寺に向かいます。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

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