人類とゴリラの違いは何か?を考えさせる小説 政宗 九(ミステリビュアー)
文字数 1,052文字
人類とゴリラの違いは何か?を考えさせる小説
いかにもメフィスト賞らしい作品、と言うべきか。
むしろ、メフィスト賞でなければ世に出なかった作品かも知れない。
そう思わせてくれるのが、第64回メフィスト賞受賞作品、須藤古都離さんの『ゴリラ裁判の日』である。
アメリカの動物園で発生した、殺人事件、いや、殺ゴリラ事件。
母親が目を離した隙に、ゴリラパークの柵を越えてエリア内に落ちた子どもを、オスのゴリラ・オマリが引きずり回した。動物園の園長が呼んだ射撃チームは麻酔銃でなく、実弾をオマリに撃ち込み、オマリは即死した。
人間の子どもを助けるための正当借置でオマリの射殺は仕方ない、と人間たちは判断した。
しかし、オマリの配偶者であるローズは違っていた。夫は無情にも殺されたのだ。ゴリラの命が人間より軽いはずがない。ローズは訴え、裁判を起こしたが、ローズの主張は退けれられ、負けてしまった。
一見、動物園で起こった普通の事件の展開である。が、一つ大きな違いがある。メスのゴリラ、ローズは人間の言葉を理解し、コミュニケーションをとることができるのだ。知能も人間並みにあるため、裁判を起こすという行動にも出ることができた。
そういう意味で、本書はミステリ的には、「特殊設定ミステリ」に分類されるかも知れない。
第二章からは、アフリカのジャングルで生活していたローズがアメリカの研究チームと出会い、やがてアメリカに移動して、冒頭の場面の動物園で生活を始めるまで描かれていく。
しかし、ローズのコミュニケーション能力を読んでいくうちに、小説の雰囲気が変わってくるのを感じる。
そもそも人類とゴリラの違いは何だろうか、ということについて考えさせられるのだ。
もちろん、見た目が決定的に違うのだが、人間の言葉を理解し、ゴリラ自身も喋ることができるようになり、知能も人類並みにある、となってくると、両者の違いはほとんどないように思えてくる。
人間に人権があるように、ゴリラにも「ゴリラ権」(?)があるはずなのだ。
人類の方が圧倒的に強者なのは、変なのではなかろうか。ローズの描写から、そんな気持ちが沸きあがってくる。
それはまるで、同じ人間同士で現在でも繰り広げられる差別問題や分断を連想せずにはおれないのだ。
後半では、事件・裁判のあとのローズの身に起こる数奇な物語が展開する。ある団体の興行主に出会ってからの展開には度肝を抜かれた。
そしてローズは、再び裁判の舞台に立つことになる。
その結果は、そしてローズの運命は?
ぜひ『ゴリラ裁判の日』で、確認して欲しい。