第13回 台湾の秘湯へいたる道は北アルプスより険しい

文字数 1,265文字

 台湾には古道が多い。それは日本同様、山がちな地形が影響しているように思う。長い時代を経て、世界には大都市が生まれた。そしてその多くが海に面している。交易や居住性を考えれば、海に面した平地の利点は多い。

 山から平地へ。その流れのなかで山の道は廃れ、やがて古道になったという構図である。

 台湾の山。そこはもともと先住民が暮らすエリアだった。タイヤル族、アミ族、ブヌン族……。台湾の古道を調べながら、

「あの世界か……」

と僕は呟いていた。


 つらい経験がある。台湾の秘湯をめぐる旅だった。台湾は日本同様、火山活動でできた山が多いから温泉がかなりある。そのなかでも秘湯……。その言葉にそそられてしまったが、そこへの道は、日本の北アルプスより険しいような山道だったのだ。

 台湾の秘湯は露天風呂系で、山のなかの谷底に多かった。そこまで山道をくだることになる。最初は穏やかで、階段がつくられるなど整備されているが、30分もくだると、傾斜はしだいに急になっていく。やがて崖が現れ、そこに設置された鎖やロープを伝っていくことになる。谷底にある秘湯までそんな山道を1時間以上……。温泉を見たときは膝が笑うほどだった。この道を整備し、管理しているのは先住民だった。

 僕は谷底の露天風呂に浸かるつもりでいたが、みごとな温泉の前で萎えてしまっていた。

 温泉というものは、のんびり湯に浸かり、風呂あがりにビールでも……というイメージがある。しかし台湾の秘湯はそれを許してくれない。湯に浸かるのはいいが、そこから戻る道筋は崖登りや急な登山道だった。台湾は暑いから、山道を登るだけで汗まみれになる。温泉の後に、そんな道が待っているのだ。

 僕はつらい山道を鎖やロープを伝っておりてきたが、結局、秘湯には浸からなかった。その後の山道を考えたとき、とても温泉に入る気にはなれなかった。


 その道を歩いて知ったことは、台湾の山道の荒さのようなものだった。日本の登山道のように整備されていない。道にはしばしば巨岩が現れ、それをさけることなく道がつくられている。よくこれで事故が起きないものだと思った。先住民の山道感覚では、これで問題がないらしい。彼らは、僕らが考えている以上に「山の民」である。

『日本ときどきアジア 古道歩き』では、馬胎古道を選んだ。先住民が下界の客家や福建人の街に物資を売り、街で買った生活物資を山の上の村に届ける道だ。

 この道も登るにつれ、厳しい道になった。ときにむき出しの岩を越える。やはり先住民の道だった。

下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』(平凡社新書)、『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)など著書多数。

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