第30回

文字数 2,733文字

「北風と共に勢いが増しているコロナの感染状況は、

“第三波”との報道もあり、またまたひきこもり圧が高まりそうな日本列島。


街にイルミネーションが灯ろうと、気が早いクリスマスソングが流れようと、

トレンドは間違いなく“ひきこもり”!


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!」

現在11月9日アメリカの大統領選挙の開票が始まってから数日経っているのだが、未だに結果が出ていないようである。


誇張ではなく開票1秒で結果が出てしまう、超保守大国の我が村とはエラい違いだ。さすが米国、選挙への関心も桁が違う。


ただし選挙への関心がが高まりすぎて、「投票率126%」など比喩ではなく桁が違ってしまっているようである。


さすが、戦勝国は何をやるにもスケールがでかい。



私としては、どちらになろうと、これ以上私の証券口座のマイナスが増えない結果になってくれればと思う。もはやプラスなどとは言わない。


このように、不労所得でひきこもり生活を実現できるのかという試みは、今のところ完全に無理であり、むしろ不労で得たマイナスを労で補っているという状態だ。常人なら狂っていると思う。



このように、ひきこもりは心が弱いというイメージがあるかもしれないが、実は強いのだ。逆に無職のひきこもりでありながら同窓会に出席するぐらいのハートの強さがなければとてもひきこもりなど正気ではやっていられない。


ともかく、外に出ず、他人と関わらず生活できるだけの収入を得つつ、社会との繋がりも保つというのはできなくはないが非常に難しいということである。


それよりも、外に出て働き、収入と外部との関わりを得る方がよほど簡単であるし、なによりシンプルだ。


それにもかかわらず何故「ひきこもり」として生きるという、いばらの道を自ら目指すのかというと、そのシンプルで簡単なことが簡単ではないからである。



ひきこもりになるのは集団になじめないタイプが多いため、外に出ると強い孤独感とストレスを感じてしまう。


また、協調性がないので組織の中では無能の烙印を押されがちなため、社会的地位も低いままの場合が多い。


ついでに、他人にも迷惑をかけるので、本人にも周りにとってもあまり良いことがないのである。


よって自分はストレスから逃れられ、他人に迷惑をかけずに済む「ひきこもり」になる道を選ぶのだ。



つまり社会の害とみなされがちなひきこもりだが、ひきこもり的にはそれが一番社会にとって有益だと思っていたりするのである。


この認識の差があるせいで、ひきこもりは「社会にでて働こう」と言われても「用水路に毒を流そうぜ」と提案されたが如く、拒否反応を示すのだ。



このように、ひきこもりになる人間はハートは強いが、もともとコミュ力は低く、人間関係のトラブルが決定打になりひきこもってしまうケースが多いのだ。



コミュ症はひきこもりになりやすいのは確かであり、ひきこもり自身もコミュ症の自覚がある。そして私もその一人だ。


しかし「コミュ症」とは一体何なのか理解しているのかは怪しい。


むしろ、「自分は何故コミュ症で周囲になじめないのか」という原因認識が周囲とズレていることこそが、コミュ症たる最大の理由な気がしてきた。



前に「ひきこもりになってさらにコミュ力が下がっているので、何らかのコミュニティに入って、会話の訓練をする必要があるかもしれない」ということを書いた気がする。



つまりコミュ力とは「会話能力」であると思っているわけだが、それがそもそも誤りなのかもしれない。



まず、コミュ症というのは、人との交流や会話を「恐れている」ケースが多い。


「プリン4個を間違って千個発注してしまいました」というような5億パーセント怒られる報告だけではなく、普通に話しかけるだけで「怒られるのでは」「不快感を示されるのでは」という恐怖があるのだ。



だがこれは、「自分は常に傷つけられる側」と思っているということでもある。



コミュ症のひきこもりは、「オデ…ニンゲンコワイ…」と森に棲む気弱なモンスターぶっているが、モンスターに出会った人間だって怖いに決まっているのだ。



だが、自分が相手を怖がらせるかもしれない、傷つけるかもしれないという発想が露ほどもないため、相手を傷つけないようにしようと配慮をすることがないし、実際傷つけても全く気づかず笑顔で殴り続けたりするのだ。


そんな恐ろしい生き物をコミュニティの中に入れておけるか、という話である。



つまり会話能力というのはあるに越したことはないが、コミュ力の本質ではなく、大切なのは「いかに相手の気持ちを想像できるか」なのだ。想像しようとして的外れになっているならまだマシなほうで、そもそも相手に「気持ち」があるということすら想像できていなかったりするのがコミュ症だ。



自分は相手の気持ちを考えすぎて何も言えなくなるコミュ症だ、という人もいると思う。私もそのタイプである。



しかし相手の気持ちを考えていると言っても、それは「相手が自分のことをどう思うか」の一点のみだったりするのだ。


他人のお気持ちというのはそれ以外にも3億種類ぐらいはあるはずだが、自分に関係ないことは考えないのである。



つまりコミュ症というのは、自分に興味全振りで他人に興味がないのだ。



人間というのは興味があるもののことは良く気がつくが、ないものに対しては極めて鈍感であり、さらに扱いが雑になりがちだ。



つまり、ひきこもりは自分が周りに雑に扱われるからひきこもったかのように思っているが、実は自分が周りを雑に扱った結果だったりするのである。



それを考えると、ひきこもりというのは、モンスターが自ら檻に入ってくれているような状態なのである。


無理に外に出してまた無自覚な殺戮をさせるよりは、周りもモンスターがいかに檻からでず生きて行くかを考えた方が良い場合もあるのだ。

★次回更新は11月28日(金)です

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中。

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