吉本隆明とねこ、最後の日々のこと ①
文字数 3,318文字
「戦後思想界の巨人」とよばれ、長年にわたって、日本人の生き方にも影響を与え続けた吉本隆明。そんな吉本さんが、老いと病に直面した人生の最後に、何を語ったのか──。
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『フランシス子へ』は、吉本隆明が相思相愛の仲だった愛猫フランシス子について語った一冊。
いいとこなんてまるでない、平凡極まりない猫なのに、自分とはまるで「うつし」のようだった。
唯一無二の存在を亡くし、とつとつと語られた言葉は、いつしか「戦後思想界最大の巨人」と言われたこの人の神髄へと迫っていく。
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「フランシス子は、まだ目もあかない子猫のときに母親に放置され、カラスにさんざん傷つけられて、わが家にやってきました。
大手術をしてどうにか生き延びた後、近所の家で「猫を飼いたいから譲ってくれないか」と言われてもらわれていったのに、どういうわけか、すぐ帰ってきちゃう。
人がうちの猫を見て「くれませんか」と言うときは、僕は素直に差し上げることにしているんです。
嫌だったら猫は帰ってきますからね、ひとりで。
このときもそうで、こっちはもう、よその家にあげたのだから、そういうときは猫さんも諦めてくれるのがいちばんいいと思うのに、そういう事情はおかまいなし。何が気に食わないのか、何度送り返してもどうしても戻ってきた。
強情っていうか、変わってるっていうか、たぶん人間にはよくわからない何かがあるんでしょう。向こうもしまいには嫌になって、とうとう引き取りに来なくなっちゃった。
見かねた次女が「くれ」と言うので、今度はそちらにもらわれていきました。」
──『フランシス子へ』吉本隆明・著より
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吉本隆明が亡くなったのは2012年3月16日。
フランシス子が亡くなってから9ヵ月と1週間後のことだった。
最後の肉声を閉じ込めたこの本が文庫化されることになり、長女の吉本多子さんを囲んで、故人が愛した谷中の『蟻や』に集まることに。
奇しくもそれはちょうど命日の3月16日になり、まるで故人のおはからいのようなめぐりあわせに感激しながらの座談会となった。
【座談会出席者】
吉本多子(よしもと・さわこ)…吉本家の長女。漫画家のハルノ宵子。 妹は、作家の吉本ばなな。隆明氏との共著に『開店休業』。
内藤 礼(ないとう・れい)…美術家。『母型』(豊島美術館)、『このことを』(家プロジェクトきんざ、直島)などで知られる。吉本隆明氏を敬愛している。
瀧 晴巳(たき・はるみ)…フリーライター。吉本隆明著『15歳の寺後屋 ひとり』『フランシス子へ』で語りおろしの構成を手がける。インタビュー・書評を中心に執筆。
長岡 …講談社幼児図書の編集者。『フランシス子へ』の単行本を企画。
斎藤 …講談社文庫出版部の編集者。本作の文庫化を担当。
IN★POCKET 2016年4月号より 構成・文/瀧 晴巳 撮影/関 夏子
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吉本家所縁の谷中『蟻や』で思い出の味をいただく。
長岡 『蟻や』は、吉本さんが昔からお好きだったお店なんですか。
吉本 家族で昔からよく来てましたね。
瀧 多子さんが、吉本さんと共著の注1)『開店休業』で書かれていたのも『蟻や』ですか。谷中銀座の夕やけだんだん下の、今も営業しているカツ屋さんで、よく串カツを揚げてもらって帰ったっていう。
注1) 2013年、プレジデント社刊(現在は幻冬社文庫)。「正月支度」から「最後の晩餐」まで、吉本さんが「dancyu」に連載した食エッセイを書籍化。多子さんによる書き下ろし追想文も収録されている。
吉本 そうです。当時は谷中に住んでいて、このへんはお惣菜屋さんが多いところだし、揚げ物は持ち帰りで買うことが多かったんです。5歳くらいから来てると思いますよ。あそこのカウンターの椅子で揚がるのを待ってました。
瀧 お店も当時のままですか。
吉本 だと思います。昭和30年代からやっているお店なので、店主の方は代替わりしてると思うけど。
長岡 せっかくだから吉本家でよく注文していたものをいただきたいですね。
吉本 父は、お店で食べる時はロースカツ。
長岡 頼みましょう。あとは副菜でお好きだったのって……。
吉本 いや、揚げ物ひと筋で、ほかに食べたことない(笑)。
長岡 じゃあ揚げ揚げで(笑)。チキンカツ、一口カツ、串カツ、小柱のかき揚げ……。
蟻やのおかみさん みんな、揚げ物ですけど、よろしいんですか。
吉本 今日は父を偲ぶ会なので。
長岡 お店の方に心配されるほどの揚げ物づくし……。
吉本 父には「血糖値を下げるには、まず野菜から」みたいな発想はないですからね。お医者さんとも「うまくやってますから大丈夫」と何の根拠もない会話を(苦笑)。
長岡 嫌いなものはあったんですか。
吉本 魚卵とか粒々がダメでしたね。「俺は詩人だから、粒々はダメだ」って。
長岡 詩人だから(笑)。「詩人、思想家、批評家、何と呼ばれるのが一番しっくりきますか」とうかがった時も「詩人」とおっしゃっていました。
吉本 我が家で万能手伝い人をやってくれているガンちゃん(メトロファルスのベーシスト・光永巌)のために最後は詩を、歌詞を書きたいなと言ってましたね。よく鼻歌も歌ってました。最後の頃は唱歌を。『夏は来ぬ』とか。
瀧 あ、ホトトギスの歌ですね。ホトトギスはいるかいないかを問い直すという話は『フランシス子へ』でうかがった中でも大切な瞬間として、すごく印象に残っています。
吉本 「何でも前提から疑え」ということですよね。結局はそれが父の思想の根底じゃないかと。もっと拡大していえば、原発は本当に爆発したのかとかね。テレビでそう言ってるけど、それは本当だと言えるのか。メディアや写真がそう言えば、お前は信じるのか。そうやってすべてに対して前提から疑って、自分で考えて、そこまでたどり着くという。それをやってきたから、父のすべての思想は強いのだと思います。
瀧 本当に。そうでしたか、吉本さんはホトトギスの歌を鼻歌でよく歌ってらしたんですね。
吉本 そう。寝っころがって繰り返し歌いながら、何か考えているんでしょうね。こっちはうたた寝してると思うから「そんなところで寝ないでちゃんと寝なよ」と言うんだけど「いや、寝てるわけじゃないんだ。考えてるんだ」って言うの。
瀧 考えて考えて考え続ける。吉本さんのお話の仕方がもう、そういう感じでした。
長岡 際限なく論が続いていく感じで、終わりがなかった。たぶん、ひとりでいる時も同じで、そうしているんでしょうね。
吉本 そうだと思います。
瀧 「次回は注2)武田泰淳の注3)『富士』の話をしましょう」と約束したのが最後になりました。今でもふっと思うんです、吉本さんは何をお話しされるつもりだったんだろうと。
吉本 本当に惜しかったですね。誰も今までそういうのを引っ張り出した人はいないし、あのままきっと限りなく話が続いていっただろうと思うから。
長岡 聞きたかったです。
吉本 父が考えごとをしている時のお決まりのポーズというのがあって、肘掛けに手をついて、足をこう組んで……ときどき、私、まったく同じ格好をしてるのに気がついて、ドキッとします。
注2) 1912年、東京生まれ。第一次戦後派の作家として活躍。主な作品に『司馬遷』、『蝮のすゑ』、『風媒花』、『ひかりごけ』、『富士』、『快楽』など。
注3) 1971年、中央公論社刊。悠揚たる富士に見おろされた精神病院を題材に、人間の狂気と正常の謎にいどみ、深い人間哲学をくりひろげる。武田文学の最高傑作とも評される。