〈4月16日〉 海堂尊

文字数 1,423文字

魔女か、女神か


 俺は終田千粒。売れない作家だ。ちなみに「ついた・せんりゅう」と読む。
 世はコロナ自粛のオンパレードだ。経営が苦しい版元はこれ幸いと、打ち合わせと称する接待をカットしてきた。飯ばっか食って作品を書かない食い逃げ作家を排除するいい機会だと思ったのだろう。だが自粛は真面目な作家にとっては通常運行、無問題。これからは俺みたいに本道に邁進する、真の作家の時代がくるのだ、ふははは。
 なんて思っていた。ついさっきまでは。
 すると、作家の鑑である俺の目の前に、白髭の老人が煙のように現れた。
「余は神ぢゃ。余は横暴な人類を滅ぼそうと決意した。ぢゃがその前に、作家の本道に専心しているお主にラスト・チャンスをやろう。一度しか言わんからよく聞け。コロナが蔓延した今も、安保首相は三千億円の追加を払ってでも五輪開催に執着しておる。ぢゃが、いのちかカネかの選択で、カネを選ぶなら余が人類に鉄槌を下す。頼みの綱は小日向美湖・東京都知事の造反じゃが、これは五分五分ぢゃ。彼女には幼稚な安保宰三と同じ、自分の欲しか考えない魔女の顔と、人々を愛する女神の顔という、ふたつの顔がある。厄介ぢゃが最終決定をするとき彼女がどちらの顔になるかわからぬが、見分ける方法がひとつだけある。七月の都知事選で公約に『五輪中止』を掲げれば女神、『五輪実施』と言えば魔女の決断ぢゃ。お前はその前にそれを仄めかした作品を書いて大ベストセラーにして、事前に魔女を駆逐するのぢゃ。急げ。都知事選前の五月に出版せねば効力は切れるぞよ」
 白髭の老人は、現れた時と同じように、煙のように姿を消した。
 夢か? だが脳裏には老人の言葉がくっきり残っている。カレンダーの日付は四月十六日。五月中に刊行するには二週間で執筆せねば。やれるのか、俺? 大丈夫、俺はネタさえ思いつけば一日百枚は書ける。やろう。人類のためだ。こんなのサララのラーで書き上げてみせる。
 だが高揚した俺は次の瞬間、頭を抱えた。忖度検閲国家の今の日本で、こんな作品を出してくれる版元があるはずがない。加えて先日俺は帝国経済新聞系列の健康サイトの連載エッセイでちくりと厚労省を批判し、「該当不遜箇所ヲ削除セヨ。サモナクバ掲載不可」と警告されたが、従わずボツにされた。今頃は大手新聞社や大手版元に、俺の作家破門状が回っているはずだ。
 どうすればいいのだ。このままでは人類が滅亡してしまう。
 ああ、この世には神も仏もないのか。


海堂尊(かいどう・たける) 
1961年生まれ。医師、作家。2006年『チーム・バチスタの栄光』で第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞、作家デビュー。桜宮サーガ・シリーズは累計1000万部を超える。Ai(死亡時画像診断)の概念提唱者で、関連書に『死因不明社会2018』(講談社)がある。『ブラックペアン1988』(講談社)、『ジーン・ワルツ』(新潮社)、『螺鈿迷宮』(KADOKAWA)等、映像化作品多数。現在、キューバ革命を描く「ポーラースター」シリーズ(文藝春秋)を刊行中で7月末に最新作『フィデル出陣 ポーラースター』を刊行予定。最新刊は『氷獄』(KADOKAWA)。近刊は7月刊、本SSの続編にあたる桜宮サーガ・シリーズ最新刊『コロナ黙示録』(宝島社)。

【近著】

 

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