第17話 杏奈の相談相手だったセイラの協力で・・・・・・

文字数 2,955文字

 八割がた席は埋まっており、ほとんどが女性客だった。
 窓際の最奥の四人席で、杏奈とセイラが向かい合っていた。
 背を向けている杏奈の肩越しに、セイラと目が合った。
 立浪と相良が歩み寄ると、立ち上がったセイラが杏奈の隣の席に座った。
「なになに? どうしたの? 恥ずかしいじゃない」
 立浪達に気づいていない杏奈が、セイラに言った。
「早く自分の席に戻って……」
 立浪と相良を認めた杏奈の表情が強張った。
 通路側にセイラが遮るように座っているので、座ることもできない。
「この前は、どうも。アガサ・クリスティーも真っ青の大どんでん返しでしたよ」
 立浪は、皮肉っぽく言いながら杏奈の正面に腰を下ろした。
 杏奈はモンブラン、セイラはチーズケーキを頼んでいた。
「どうしてここに……セイラ?」
杏奈が強張った顔をセイラに向けた。
「ごめんね、黙ってて」
 セイラが、バツが悪そうに言った。
「ごめんねって……いったい、どういうつもりなの!?
気色(けしき)ばんだ杏奈が、セイラを問い詰めた。
「私が、無理を言って頼んだんです。セイラさんは、悪くありません」
 すかさず、立浪はセイラに助け船を出した。
「私には、なにも話すことはありませんから」
 杏奈は、取り付く島もなかった。
「杏奈、柏木保にDVを受けていたことを記事にするのをやめたんですって? 相良さんから聞いたけど、準ヒロインをくれるなんて噓に決まっているわ。ううん、本当だったとしても、また暴力を振るわれるようになるからそんな取り引きをしたらだめよ」
 セイラが、諭(さと)すように言った。
「あなたにはわからないことだから、黙ってて」
 杏奈は、にべもなく言った。
「ご注文は、お決まりになりましたでしょうか?」
女性店員が、注文を取りにきた。
「アイスコーヒーをください」
「僕も同じで」
 立浪に、相良が続いた。
「話さなくていいですよ。これを聴いて頂ければ」
 女性店員が注文を繰り返しテーブルを離れたタイミングで、立浪はスマートフォンをテーブルに置いた。
「なんですか?」
 杏奈が、眉を顰(ひそ)めた。
 立浪は、無言でボイスレコーダーアプリの再生ボタンをタップした。
『守ってくれるんでしょうね?』
スマートフォンから流れてくる己の声に、杏奈の顔が強張った。
「これは……盗聴したんですか?」
 震える声音で、杏奈が訊ねてきた。
『お前がこんな馬鹿な真似をしなければな』
『しないわ。来クールのドラマの準ヒロインにキャスティングするって約束を守ってくれればね。約束を破ったり、また、暴力を振るったりしたら立浪って人に暴露するから』
「相良と外に出たときに、取材用のICボイスレコーダーを車内に忘れていたんです。このボイスレコーダーは、音声を検知すると自動的に録音されるシステムになっていまして。上司に報告するために取材内容を確認しようとしたら、いきなり聞き覚えのない会話が入っていたので私も驚きました」
 立浪は、涼しい顔で言った。
「そんな言い訳を、私が信用すると思っているんですか!?
 声を荒らげる杏奈に、周囲の客の視線が集まった。
「信用して貰おうとは思っていません。あなたが来クールの連ドラの準ヒロインのキャスティングと引き換えに、柏木保さんから受けていたDVの告白を取り消すという事実が重要です。そして私は杏奈さんが柏木さんに寝返ったままだと、この音声を公開しなければなりません」
 立浪は、淡々とした口調で杏奈を追い詰めた。
「わ、私を……脅しているんですか!?
 杏奈の眉間(みけん)に刻まれた縦皺(たてじわ)が深くなり、目尻が吊(つ)り上がった。
「脅しているなんて、人聞きが悪いことを言わないでください。記事にすると約束したのに裏切ったのはあなたですよ? 被害者は、むしろ私達のほうです。本当は音声など公開したくはありませんが、杏奈さんに約束通り告白記事に協力して頂くための苦肉の策なんです」
 立浪は、苦渋に顔を歪めてみせた。
「公開したければ、どうぞ。私は加害者じゃなく、被害者です。音声の内容が暴露されたからといって、それでキャスティングが取り消しになったりしません。逆に同情票が集まって、私にとっては追い風になります」
 すぐに冷静さを取り戻した杏奈が、余裕の笑みを浮かべた。
 杏奈が、これほど肚(はら)の据わった女だとは思わなかった。
 ある意味、柏木とお似合いのカップルかもしれない。
「同情票が集まるかどうかはさておき、準ヒロインの話は百パーセント駄目になります」
「どうして駄目になるんですか!? 私は被害者だと……」
「君は、自分の目的以外は見えなくなるタイプみたいだな」
 立浪は、タメ語に切り替えた。
 もう、杏奈のご機嫌を窺う必要はない。
 この店を出る頃には、杏奈のほうから頭を下げてくるはずだ。
「どういう意味ですか!?
「君が加害者か被害者かは重要じゃない。音声が公開されたら、柏木さんは君をドラマにキャスティングするどころか降板させられるだろうな。ドラマだけでなく、芸能界にもいられなくなるだろう」
「そんな……」
 立浪の言葉に、杏奈が表情を失った。
「つまり、君が自分の野心のために柏木のスキャンダルを見逃しても意味がないということだ」
「だったら……私があなた達に協力しても同じじゃないですか!? 彼が恋人にDVしていた記事が掲載されれば、ドラマは降板させられるし芸能界にもいられなくなるし……」
杏奈が、上擦る声で言った。
「君が来クールの連ドラの準ヒロインにキャスティングされないのは同じだが、ウチに協力して悲劇のヒロインとしてDV被害を告白すれば、女優としての可能性は残される。可能性が残されるどころか、君が言ったように同情票が集まり、宣伝効果にもなってオファーが殺到するかもしれない。だが、柏木に寝返って音声を公開されたら君の印象も最悪だ。DVを受けていた彼氏に、ドラマのキャスティングを交換条件にマスコミに売らないと持ちかける女なんて、印象が悪過ぎて誰も使いたくないだろう? なにより、スポンサー的にNGだ。ウチに協力して被害者になるか? 柏木さんに協力して腹黒い女になるか? まあ、俺はどっちでもいいけど一分以内に答えを出してくれ。一分経っても君の協力が得られないなら、編集部に戻って『スラッシュ』オンラインで音声を公開する作業に入るから」
 立浪は突き放すように言うと、腕組みをして眼を閉じた。
 杏奈の荒い息遣いに、耳を澄ませた。
 
 お前は、柏木となにも変わらない人間のクズだ。
 
 脳内で、声がした。

「……わかりました。『スラッシュ』さんに、あの人から受けたDVを告白します」
 杏奈の言葉――シナリオ通りの言葉。
 驚きも喜びもなかった。
 立浪は、眼を開けた。
 氷が解けかけたアイスコーヒーを一口ストローで吸い上げると、伝票を手に席を立った。
「話の続きは編集部で」
 立浪は杏奈に一方的に言い残し、レジに向かった。

 いや、お前は、柏木以上のクズだ。

 また、立浪の脳内で声がした。 
(第18話につづく)

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