インタビュー「書いたのは私です」田中慎弥

文字数 2,952文字

一人の女性との出会いから蘇ってくる若き日の恋。

切なくも淡い三角関係を描いた、自身初の恋愛小説『完全犯罪の恋』について

語っていただきました。

撮影/森 清
田中慎弥(たなか・しんや)
1972年山口県生まれ。山口県立下関中央工業高校卒業。2005年、「冷たい水の羊」で第37回新潮新人賞受賞。2008年、「蛹」で第34回川端康成文学賞受賞。同年、「蛹」を収録した作品集『切れた鎖』で第21回三島由紀夫賞受賞。2012年、「共喰い」で第146回(平成23年度下半期)芥川龍之介賞受賞。同作は2013年9月、映画化された。2019年、『ひよこ太陽』で第47回泉鏡花文学賞受賞。他の著書に、『燃える家』『宰相A』『地に這うものの記録』などがある。

──本作は田中さんにとって初となる恋愛小説です。主人公は40代後半の独身。恋愛経験は4度で、それもここ数年途切れているという男性作家「田中」ですが、田中さんご自身ではない、と、冒頭に書かれています。


 作家になったからには、恋愛小説をひとつくらい書きたい。そういう野望がありました。でも、いざ恋愛を書くとなると、どうしても自分からかけ離れた登場人物を出すことはできなかった。自分発の感情、自分が持っているヤワな感情を基に書いてみたいと思ったので、主人公は同じ名前、同じ職業にしちゃえと。ただしこれは完全な創作ですよということを、枕に置きました。いわば口上ですね。読者がどう捉えるかは、もちろん自由です。


──田中は新宿で、大学生の静(しずか)と出会います。静は、田中が下関の高校時代に恋をした真木山(まきやま)緑(みどり)の娘でした。母との関係を知りたくて田中に近づいてきた静の言動は時に攻撃的ですが、田中は反撥しながらも惹かれていきます。


 実は若い女性をどう書けばいいかがわからなくて悩んでいたとき、ふと浮かんだのが女優の小松菜奈さんだったんです。映画『渇き。』を見て以来、あの印象的な眼はどこを見ているんだろうと気になっていたんです。尖っていて、ノスタルジックでもある目線の先で何が起きているのかを辿ってみたくなった。静と緑、母娘のビジュアルイメージとして小松菜奈さんを拝借し、書いているときはずっとその存在を意識していました。

 彼女たちの言動や立ち居振る舞いに関して言えば、僕自身が女性は強いものだと思っているんです。そういう芯の強い女性が好きだし、そういう女性とばかり出会ってきたんでしょうね。


──なぜ母と田中は別れたのか。静の問いに答えるため、物語は現在と過去、東京と下関を往還しながら進みます。高校時代、川端康成が好きな田中は緑と「文学」によって結びつきますが、三島由紀夫を愛読する森(もり)戸(と)英(えい)一(いち)の出現によって、三角関係に陥っていきます。


 私も本を読むのが好きだったので、三人が文学に傾倒していく辺りは自分の経験を織り交ぜながら書きました。ただ三角関係は、例えば漱石の『こころ』のように、完全に意識したわけではないんです。よく恋愛小説を構成するのは「奇数」だと言われます。この小説は、田中、緑、森戸の三角関係もあるけれど、同時に田中、静、緑という三人で話が進んでいく側面もあります。


──田中は強く美しい緑に翻弄され、天国にも昇れば、地獄にも落ちる。甘くて苦い初恋を思い出す読者は多いと思います。


 青春時代の恋愛って、結局は一人相撲です。自分の中にいる相手に恋をしていて、どこまでいっても自分の殻から出られない。自己が肥大化していくだけ。

 田中もそうだったんだろうと思います。私には高校時代に付き合っていた人はいなかったので、こういう経験をしたかった、こういう人と出会えていたらな、という願いを投影していました。


──田中、緑、森戸の間に何が起きたのか。物語の終盤、田中は衝撃的な事実を突きつけられます。その内容はネタバレになるので言えませんが、その引き金となったのは、田中が発した、ある「言葉」でした。


この小説では、ダークな形で言葉の魔法が働いてしまった。出てはいけないカードが出てしまった。でも、不用意なことを言って誰かを深く傷つけてしまったという記憶は、誰にでもあるでしょう。言ってしまったことは取り返しがつかない。どれだけ謝罪しようが、その後和解しようが、どこか相手の深い部分に傷は残ると思います。

 実は、物語のラストは当初考えていた筋書きを最後にまるっきりひっくり返したんです。それが主人公の田中にとって望ましい形だったかはわからない。でも、この小説にとってはふさわしい着地点だったと思います。


──田中、緑、森戸、そして静も、少しずつ嘘をついています。それは相手を思いやる嘘でもあるのですが、恋愛においては、時に罪にさえなる。


 誰が誰にどこまで言うか、言わないか。いろんなパターンを考えているうちに、タイトルを思いつきました。田中は自分が発した言葉によって罪の意識を抱えています。ですが、果たして本当の悪人や罪を犯した人間とは、どんな人のことを指すのだろうか。そして「完全犯罪」とは何かを、読者に考えてもらえたらと思っています。


──高校生の田中と緑にとって大切な作家だった三島由紀夫と川端康成の死について、作家になった田中が思いめぐらす場面が出てきます。ご自身は作家の死について、どうお考えですか。


 デビューして15年くらい経ち、作家の耐用年数は何年くらいだろうと考えるようになりました。もうすぐ48歳になりますが、三島さんはもう亡くなっていた歳です。これから自分がどうなっていくのかを考えると、ちょっと怖くもなりますね。

 ただ、三島さんみたいにダイナミックに自己演出して、花火のように散ってしまうよりは、長く執筆できればいいなと思っています。川端さんは幸せな生い立ちではなかったけれど、したたかに生き残ってノーベル賞をもらった。最終的には自死をするわけですが、晩年までいい小説を書いていた。私も、あいつも歳を取ったよねといわれながらも、いつまでも書いていたいというのが、率直な気持ちです。


                    (「週刊現代」11/30号より  取材・文/砂田明子)

私のいちばん

Q1.いちばん気になるニュースは?



コロナ禍でGAFAが大儲けしていること



Q2.いちばん集中できる執筆時間、場所は?



夕方、自宅の仕事部屋



Q3.いちばん好きな映画は?



『柳生一族の陰謀』(深作欣二監督)。



映画の無茶苦茶さが好きです



Q4.いちばん好きな音楽は?



音楽はあまり聞かないのですが、



『仁義なき戦い』のテーマ



Q5.いちばん行きたい場所は?



映画館 



Q6.いちばん会いたい人は?



三島由紀夫さん



Q7.いちばん一日で楽しみにしている時間は?



夜、お酒を呑む時間。



ビール、日本酒、ワイン、何でも呑みます 



Q8.いちばん気になる作家は?



田中慎弥。



いつも自分が気になってなければいけない



Q9.人生のターニングポイントは?



新人賞に一度落選したけど、諦めなかったこと。



二回目で受賞できました



Q10.いちばんの宝物は?



こういうご時勢の中、変わらず仕事ができていること

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