第52話 花巻の脱税容疑を世にさらせ――立浪は焦る

文字数 2,418文字

「証拠はありますか?」
「五ヵ所のアパートの住所は把握している」
「え? 誰からそんな情報を得ているんですか?」
 立浪は演技ではなく、本当に驚いていた。
「タヌキジジイのところに鼠を忍ばせているのさ」
 大河内は平然と言った。
「スパイということですか?」
「ああ、そういうことだ」
「それはいったい誰ですか?」
 立浪は思わず身を乗り出していた。
「馬鹿が! 教えたらスパイにならねえだろうが! とにかくタヌキジジイの信頼が厚い鼠からの報告だ」
 大河内が立浪を一喝した。
 花巻の信頼の厚い内通者――立浪の脳内に真っ先に浮かんだのは黒木の顔だ。
 いや、さすがにそれはない。
 花巻からの信頼が厚いだけでなく、黒木はボスに心酔(しんすい)している。
 大河内に寝返り花巻の寝首を掻くとは思えなかった。
 ならば「リアルジャーナル」の編集者か?
 思考を止めた。
 スパイ探しをしても意味はない。
 重要なことは大河内の指示通りに花巻のスキャンダルを暴くかどうかだ。
 考えるまでもなく、怨敵(おんてき)の命に従い呉越同舟の花巻に矢を向けることはできない。
 問題はどうやって大河内の命令を躱(かわ)すかだ。
「『スラッシュ』の記事に掲載するよりも、国税庁に直接通報したほうが効果的じゃないですか?」
 立浪は大河内の腹を探るために小石を投げた。
 純粋に邪魔者を攻撃したいだけか?
 ほかに目論見(もくろみ)があるのか?
 一つだけわかっていることは、大河内の肚(はら)がどうであろうと、立浪が攻撃する相手は花巻ではないということだ。
「単にタヌキジジイを脱税でブタ箱にぶち込むだけならな。俺はそれだけじゃ満足できねえ。日本中に花巻の醜態(しゅうたい)を晒(さら)して俺の力を見せつける。俺からすればメダカでも、政財界ではピラニアと恐れられてるジジイだ。恐れられるのは俺一人で十分だ」
 大河内が酷薄な笑みを浮かべつつ言った。 
「つまり『スラッシュ』を利用して大河内社長が花巻さんを公開処刑することで、政財界や裏社会にたいする影響力を強めたいという目的ですね?」
 立浪は大河内を見据えた。
「不服そうだな? 俺の命令に従いたくねえってことか?」
 大河内が威圧するように押し殺した声で言うと、吊り上がった三白眼(さんぱくがん)で立浪を睨んだ。
「いいえ。納得できました」
 立浪は腹の中で燃え立つ炎を鎮火した――感情を殺した。
「納得? 谷進次郎の件を成し遂げたからって勘違いするな。奴隷はご主人様の命令に従うだけの生き物だ。お前には反対はおろか、賛成する権利もねえ」
 追い討ちをかける屈辱――堪えた。
「申し訳ありませんでした。花巻さんの件、従います。ただ、脱税の裏付け的なものがなければ掲載したくても……」
「心配するな。タヌキジジイのとこの鼠に証言させるからよ。顔出しも立場の公開もOKだ。おい、シャンパン持ってこい」
 大河内が勝ち誇ったように言うと、ポニーテイルの大男に命じた。
「顔出しで証言……」
 立浪は驚きを隠せなかった。
 花巻ほどの実力者のもとにいながら大河内に内通しているだけでも命懸けなのに、正体を明かして証言すれば命を失うかもしれない。
 内通者にとっては、アマゾン川でピラニアに命を狙われてもワニの陰に隠れればいいという選択なのか?
 どちらにしても、ハッタリでも踏み絵でもないことがわかった。
 大河内は真剣に花巻を脱税の罪で刑務所送りにしようとしている。
「なんだ? そんなに驚くことか? 俺は狙った獲物を仕留め損なったことはない。それは、大事な身内を失ったお前が一番知ってることだろう? あ、これは禁句だったか?」
 大河内がニヤニヤしながら言った。
 瞬間、立浪の頭は真っ白に染まった。
 ワイングラスを持つ手が怒りに震えた。
「ムカついたか? 歯向かってもいいんだぞ? 牙を剝いてくれたほうがこっちも遠慮なしに、お前の周りの奴らを潰せるってもんだ」
 大河内が挑発的に言った。
 立浪は三十五年の人生で、これほど誰かを殺したい衝動に駆られたことはなかった。
 鈴村や記者の身に危害が及ぶ心配がなければ、残りの人生を棒に振ってでも大河内を殺したことだろう。
 立浪はワイングラスを傾けた――赤ワインとともに、激憤と屈辱を飲み下した。
「大河内社長に歯向かうなんて、とんでもないです。言われた通り、花巻さんの脱税スキャンダルを記事にします」
「ずいぶん素直になったな。牙を抜かれたリカオンは、くたばりかけた老犬と同じだな」
 大河内が高笑いした。
「お願いがあります」
 大河内の挑発を受け流し、立浪は切り出した。
「言ってみろ」
 ポニーテイルの大男が栓を抜いたシャンパンのボトルを受け取り、大河内が促した。
「花巻さんには頼んでいるネタがあるので、それを貰ってからでもいいですか?」
立浪は一か八かの賭けに出た。
 駄目だと言われたら、花巻の脱税スキャンダルを記事にするのを先延ばしにする理由がなくなる。
「長くは待てねえ。一ヵ月以内に記事にしろ。ほら」
 大河内は一方的に言うとシャンパンのボトルを立浪に差し出した。
「タヌキジジイの刑務所行きの壮行会だ」
 大河内が片頬に冷笑を貼りつけた。
 とりあえずここは大河内に従ったほうが得策だ。
 一ヵ月以内に花巻の脱税スキャンダルを記事にしろと命じられた件は厄介だが、いますぐに報じろと言われなかっただけましだ。
 いまを乗り越えることが先決だ。
 立浪は忠誠を誓う盃(グラス)を差し出した。
 大河内が立ち上がった。
「シャンパンファイトで前祝いだ」
 大河内の笑い声に続き、黄金色の液体を頭上から浴びせられた。
 シャンパンが眼に入り、きつく眼を閉じた。
 立浪の頬を、シャンパン以外の液体が濡らした。

(第53話につづく)

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