山本寛光 「運命の糸が赤いのは」

文字数 2,203文字



先日、四歳になる甥っ子がわたしの似顔絵を描いてくれた。オレンジ色のクレヨン一本を使って、目も鼻も髪の毛も明るい夕陽のような色。クレヨンの箱の中にはほかの色もあったのだが、そんなものには目もくれず、彼はオレンジ色に執着した。

とても斬新だ。感想に困ったが、頭をなで「似ている」と誉めた。

もちろん彼の目にわたしがオレンジ色に見えたわけではない。髪の毛の色は?と質問すると「黒」という答えが返ってきたので間違いない。では、どうしてオレンジ色なのか。おそらく、私に対する印象がオレンジ色だったのだろう。

人は、人間の印象にも色をつける。想像力が豊かだ。

色彩からは様々な印象や感情を受け取ることができる。白色からは潔白や清純、緑色からは平穏や優しさ、青色からは誠実や孤独、茶色からは暖かさや広量などなど。受け取り方はその時の状況によっていろいろだろうが、そんなところか。そのような色彩の持つ特性を活かし、それぞれのニーズに合ったイメージを調整するカラーコーディネーターという資格もあるようで、色彩心理学やカラーセラピーというのもあるそうだ。風水も色を重要視している。

引越し業者の段ボールに白が多いのは同じ重さの白い箱と黒い箱では、黒は白より二倍近く重く感じるかららしいし、青い車は赤い車に比べて事故遭遇率が高いらしい。離婚届の文字が緑色なのは、緑を見て冷静になることを期待しているから、という都市伝説に近いような話を聞いたこともある。

気にしてみると、色彩は意外にも生活に密接しているのだ。

そこではっと思い出したのが、音楽を絵画化した抽象絵画で有名なロシア出身のワシリー・カンディンスキーのこと。音色という日本語を知っていたのかどうかは定かでないが、彼は特定の楽器の音と色を対応させた。共感覚の持ち主であったとの話も聞く。

トランペットなら黄色、フルートなら空色、コントラバスなら群青色、バグパイプなら紫色、そしてヴィオラはオレンジ色といった具合。

ヴィオラの音とわたしの間に共通点があるとは思えないし、カンディンスキーと甥っ子の色に対する感覚が同じとは思えないが、親近感を持った。オレンジ色仲間というわけだ。古着屋の店長をやっていた頃は奇抜な色遣いの洋服を好み、オレンジ色のダウンジャケットも気に入っていた。その色からは明るさや新鮮さという印象が受け取れ、不満もない。

で、余談が長くなってしまったが、ここからが運命の糸についての話。お待たせしました。

何といってもその糸の色は赤だろう。小指に絡まった細く長い糸が、誰かの小指の先に繋がっている。「高校教師」というドラマのラストシーンを思い出すが、若い人は知らないかもしれない。まあ、とにかくその赤い糸に繋がった人物が運命の人というわけだ。恋に落ちる。

赤色というと、勇気や情熱といったプラスの感情と同時に、憤怒や嫉妬というマイナスの感情も受け取ることができる。どちらにしてもそこには激しさが存在し、カンディンスキーはドラムの音色が赤(深紅)だと表現している。勢いのあるスティックさばきが連想でき、納得できるものだった。それに、情熱にしろ、嫉妬にしろ、どちらも恋にはつきものの感情ではないか。

結論を出しそうになるが、ふとわたしの頭に「真っ赤な嘘」という言葉が浮かんだ。色のつく言葉は多い。青春、白々しい、腹黒い、黄色い声などなど。赤だけで固めると、赤貧、赤裸々、赤恥、赤ん坊などがあるか。

そこで気づくのが、赤ん坊という言葉をのぞけば、ここで使われる赤は「完全なる」と言い換えてもよさそうだ、ということ。否定的表現を伴い、否定的な気持ちを強める赤というわけだ。つまりこの場合の赤は、嘘、貧、裸、恥という否定的な言葉をあとに伴い、それを強める。

そういう観点から赤い糸という言葉を眺めれば、糸という言葉も否定的に見えてくる。小指から伸びる糸が不吉なものに感じられる。すぐに切れてしまう脆い繋がり、ということを赤色で表現しているように感じられはしないだろうか。運命の糸などそんなものだ、という皮肉のように。

しかし、待ってほしい。救いはある。

赤ん坊だ。これは「完全なる坊や」というわけではないようで、赤ん坊の赤には「穢れのない」という意味があるらしい。「穢れのない坊や」というわけだ。

こちらの意味で解釈するなら、赤い糸は「穢れのない糸」ということになる。とてもしっくりとくる。運命の恋にぴったりじゃないか。わたしはこちらのほうを支持したい。

運命の糸が赤いのは、激しい感情と穢れのない想いを表したもの。そう結論づける。

それでは、あなたも自分の小指から伸びる赤い糸を慎重に手繰り寄せてみてはどうだろうか。ただ気をつけてほしいのは、その色が本当に赤色なのか、ということ。恋は盲目という言葉があるように、その色をろくに確認もせず手繰ってしまうと、とんでもない目に遭うことがある。

かく言うわたしも何度、見誤ったことか。顔を近づけてよく見ると、絶望を暗示する黒色だった、ということも。思い出すと、ふざけるな、と叫びたくなるが、まあいい。

わたしの小指からは赤い糸が伸びている。今度は間違いない。と思う。

山本寛光


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