第51話 大河内からの次の指令は、花巻をハメることだった

文字数 2,637文字

「次の案件だ」
 立浪の前にタブレットPCが滑ってきた。
「申し訳ありませんが、牧野さんの件は谷進次郎のスキャンダルを掲載したことで……」
「勘違いするな。これは頼み事じゃなくて命令だ」
 大河内が立浪を遮り言った。
「命令? 私は大河内社長の部下になった覚えはありませんが」
 立浪は平静を装い言った。
「おい、てめえ……」
「口を挟むな」
 気色(けしき)ばむポニーテイルの大男を、大河内が制した。
「たしかに部下じゃねえ。お前は俺の奴隷だ。俺に牙を剝(む)いたお前を、そう簡単に許すとでも思ったか? あ? 本来ならお前はもちろん、お前の周囲の奴らにも罰を与えるところだが、俺の利益のために働くことで見逃してやってるんだからありがたく思え」
 大河内が片側の口角を吊り上げた。
 立浪は奥歯を嚙み締め、激憤を飲み下した。
 ここで牙を剝けば、時間稼ぎのために谷進次郎の記事を掲載したことがフイになる。
 耐えろ、耐えろ、耐えろ……。
 立浪は呪文のように心で繰り返し、己に言い聞かせた。
「わかりました。すみませんでした」
 屈辱に声が震えないように気をつけ、立浪は詫(わ)びの言葉を口にした。
「無条件に奴隷でいられると思うな。俺に利益を運ばない奴隷は即刻処分する。わかったなら、案件を見てみろ」
 大河内は言うとソファにふんぞり返り、ワインボトルに口をつけた。
 立浪は暗くなったタブレットPCのディスプレイをタップした。
 ディスプレイにライトが点った瞬間、立浪は息を吞んだ。

 花巻道三(どうさん) 六十五歳 「リアルジャーナル」代表

 なにかのインタビューに答えている花巻の写真とともに、プロフィールが添付されていた。
「この人は有名なブラックジャーナリストですよね?」
 立浪は動揺を顔に出さないように訊ねた。
「会ったことあるのか?」
大河内が立浪を見据えた。
 純粋な質問か?
 それともトラップか?
 トラップなら花巻とのシナリオか?
それとも大河内の単独のシナリオか?
立浪は目まぐるしく思考を巡らせた。
 答えを一つ間違えれば、大変なことになる。
「何度かあります。表と裏ですが、同じジャーナリストですから」
 立浪は表情を変えずに言った。
「関係は深いのか?」
 大河内が立浪の眼を見据えたまま質問を重ねた。
 噓を吐くべきか?
 だが、大河内が知っていた場合は一巻の終わりだ。
「個人的な交流はありません。同僚の編集者がブラックジャーナリストを題材にした本を作っているので取材に付き合っただけです」
 立浪はいま考えつく中で最善の答えを口にした。
 個人的交流がないのも鈴村が花巻を取材したのも、立浪が付き合ったということ以外は本当の話だ。
「大河内社長は、花巻さんと知り合いなんですか?」
 手探り状態で、立浪は質問した。
「何度かネタを売り買いしたことがある」
 大河内が涼しい顔で言うと、大盛りのキャビアを載せたクラッカーをバリバリと食らい始めた。
「ネタの売り買いですか?」
「ああ。潰したい野郎のネタを売ったり買ったりな。あのタヌキジジイには、ずいぶん役に立って貰ったぜ」
 大河内がキャビアを瓶ごと鷲摑みにし、口の中に放り込んだ。
 大河内のでたらめでなければ、花巻がボディガードを連れて「帝都プロ」に足を運んでも不自然ではない。
 だが、疑問も生じる。
 どうして花巻は、大河内と仕事上の付き合いがあったことを隠したのか?
 どうして花巻は、大河内をターゲットにしたのか?
 逆もまた然(しか)りだ。
「なら、どうして花巻さんをターゲットにするんですか?」
 立浪は最大の疑問を口にした。
 大河内の話が本当ならば、花巻とは持ちつ持たれつの関係のはずだ。
 それなのになぜ、花巻のスキャンダルを暴(あば)いて潰そうというのか?
 花巻もまた、立浪と組んで大河内から大金を巻き上げようとしている。
 仲間割れか?
 そもそも大河内がネタのやり取りを花巻としていたという話は本当なのか?
 立浪を嵌めるための罠ではないのか?
 立浪の心を疑念が支配した。
「タヌキジジイのネタでずいぶんおいしい思いをしたが、奴は俺について深く知り過ぎた。いつ豹変して俺を的にかけるかわからねえ。しょせん人の弱みでぶくぶくと太る寄生虫みてえなクズ野郎だ。殺(や)られる前に殺らねえとな」
 大河内が鼻で笑い、吐き捨てた。
 お前も同じだ。
 立浪は心で毒づいた。
「あの、質問してもいいですか?」
「なんだ?」
「大河内社長ほどの実力者なら、ウチの雑誌で花巻さんのスキャンダルを暴かなくても潰せるはずです。いままでなら、そうしてきましたよね?」
 立浪は核心に切り込んだ。
 大河内が本心を語るとはかぎらないが、少しでも情報がほしかった。
「完全に潰すならな。奴はピラニアと恐れられているらしいが、俺から言わせりゃ小川のメダカだ。潰そうと思えば一捻(ひね)りだ。今回はタヌキジジイに変な気を起こさせないように、警告の意味で痛めつけて弱らせるだけだ」
 大河内の表情からは、本心かでたらめか読み取ることができなかった。
 もしでたらめだとすれば、なにが目的なのだ?
 立浪にたいする踏み絵か?
 それとも、立浪と花巻を仲違(なかたが)いさせるためか?
「どうした? タヌキジジイを攻撃するのは気が引けるか?」
 大河内がワインボトルを口元に運ぶ手を止め、立浪を見据えた。
 試しているのか?
「いえ、そんなことはありません」
 危惧(きぐ)の声を打ち消し、立浪は即答した。
 少しでも逡巡(しゅんじゅん)すれば、大河内に疑念を抱かせてしまう。
「ところで、花巻さんのネタをなにか摑んでいるんですか?」
 ここは大河内に従った振りをして、情報を集めるべきだ。
 場合によっては二人の関係を壊すために、花巻に情報を流すという選択肢もある。
 もっとも、大河内の作り話でないことが前提だ。
「脱税だ」
「脱税?」
 立浪は鸚鵡(おうむ)返しに訊ねた。
「奴は都内に借りてる五ヵ所のアパートに、申告してねえ金を分散して隠してる。およそ五億の脱税だ。まあ、強制捜査が入ればブタ箱行きだろうな」
 障害物を排除するためなら殺人さえも厭(いと)わない大河内にすれば、花巻に臭い飯を食わせるのは痛めつける程度のことなのだろう。

(第52話につづく)

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