第4話

文字数 3,244文字

私の背中はとても毛深く、病院で医師に相談したところ、男性ホルモンが多いのかも、ということだった。この背中には、女らしさがない。


 女らしいという言葉を、無邪気に使ったり受け止めたりできるほどウブではないが、どうも最近、悪い言葉とは思えない。滑らかな背中や、赤くツヤのある唇は、女らしくて素敵だと思う心を止められない。女らしさに対する私の屈託は、ストリップのステージに投げるリボンのように、軽やかに飛んで消え去りつつある。ポーズを決めた踊り子の、女らしさを祝福することに使いきりたい。


 リボンは踊り子に当たってはいけないし、ステージに残してもいけない。投げることを許された職人のような客だけが、ポーズのタイミングに合わせて投げ、ステージに届く一瞬手前で、するりと回収する。届きそうで届かない。触れられそうで触れられない。


 ステージの上と客席とを、そうやってくっきり分け、観客を思いのままに操るのが、踊り子の腕だ。ふっさりとした黒髪ロングに肌の白さが映える、友坂麗。彼女がステージに立てば、こちらは全員「生徒」に区別される。


 その演目は、「グレート・ティーチャー・レイ(GTR)」。歩くたびにずり上がるタイトスカートに、エナメルのハイヒール。黒縁眼鏡に出席簿を抱え、ひとりひとりの生徒をねっとりと見つめては、伸ばした銀の指し棒でさしていく。仕事中にもかかわらずエッチな気分が盛り上がった先生は、出席簿に顔を向けながら、ちらちらと生徒たちに上目遣いの視線を送る。


 実際に目が合えば、カーッと体が熱くなるのだった。やがて先生は床で体をくねらせ、自らパンストを引き破る。指を入れた穴からは、尻や腿に向かってびびびと伝線が這い、その生命のような動きを生徒に見せつけるのだ。腰を高く上げたり、突き出したりすればもう、大変なエロさである。パンストの残骸が残る足を客に突きつけ、脱がせる様に喉が鳴る。彼女に強烈な女らしさを感じていた。


 女らしさは誰が為にあるのか。先生が我を取り戻し、身だしなみを整えた上で、指し棒を肩に担ぐ。その「GTO」的決めポーズをとるまでがステージだった。会場が子供みたいに興奮している。


 その日、かぶりの席には大柄の外国人男性がひとり座っていた。一切拍手もしなければ、楽しそうな表情を見せることもない。ふらりと入ってその場所を確保するのは難しいから、一見の観光客でもなさそうだ。言葉を理解するかもわからない男に、周囲の観客も距離を置いていた。


 しかしレイ先生は、どんな生徒にも分け隔てなく接する。膝を折り、微動だにしない彼と視線を合わせて、生徒のひとりとしてカウントしていた。何を考えているのかわからない怖そうな男の前など、見えないふりで通り過ぎることだってできたはずだが、そうしないところに彼女の信念が窺えた。


 「GTR」が終わったあとのオープンショーで、その男性は初めて動きを見せる。見様見真似で札を折り、彼女にチップとして渡したのだ。友坂麗は右の口角だけを上げてそれを受け取り、頭を深々と下げた。



 ほんの一昔前、ストリップ劇場に女性客が入り込めば、嫌な顔をする男性客もいたという。わからなくもない。おじさんが女性の下着売場に迷い込んできたら、一体何が目的なのかと警戒されて当然だ。それの逆バージョンみたいな、得体の知れない異物感だったのだろう。


 私がストリップに行き始めたのはもう平成の終わりで、女性客が少しずつ増えている頃だ。劇場側も常連客も、基本的には歓迎モードであった。それは連れ歩いてくれた師匠が、丁寧に人間関係を作ってきたおかげもあるだろう。ストリップを作品に描くことで、古い常連客からも信頼を得ていた。


 だが、踊り子はどうだろう。客席に同性が混ざり込んでいたら、我に返ってしまうのではないか。師匠に誘われて、初めて小屋に潜入したとき、私はそれがいちばん心配だった。女性には、男性にしか見せない顔がある。扇情的な顔で腰をくねらせる姿は、男性が喜ぶからかろうじてできるのであって、同性に見せたいものではないだろう。


 しかし、踊り子はみな、懐が深かった。会場中が固唾を呑む見事な演技の後、再びオープンショーでステージに現れた踊り子が「女の子だー!」と手を振っている。私はここにいても、いいらしい。師匠に促され、及び腰でポラの列に並べば、汗だくの体でぎゅうと抱きつかれる。女になど、来て欲しくないのでは? そんな疑心は、踊り子の体から伝わる体温で歓迎され、吹き飛ばされてしまったのである。


 たいていの劇場は、女性のほうが入場料金が安い。なぜだ、と思う。男性の付き添いで来ているわけではない。ひとりで足を運び、ともすれば男性客に席を譲ってもらって、かぶりで観ることだってある。私が女性だからといって、スケベ心がないとでも思っているのか。しかし受付の人が3500円でいいと言うのに、自分本当はおじさんなんで5000円払います、と言い出したら、面倒なことになるだろう。差額分はありがたく、ポラで使いきるようにしている。


 後ろめたい気持ちは3枚の写真に換えて、得した気持ちだけを持ち帰るのだ。ポラを撮れば、踊り子はすごく喜んでくれるし、女性だからと、特別におっぱいを触らせてくれたりもする。どこもかしこも恥じらうようなピンク色で、柔らかいレースを纏えば、羽根を生やした天使と見紛う、そんな踊り子の中谷ののかに、剥き出しの股間で頭の上に乗っかられたときほど、女で得をしたと思ったことはない。ポラの順番を待つののかファンたちの、アーッという顔よ。劇場は平和だ。お前は何者だ。


 百貨店の中にある書店で働いていたときのことだ。バックヤードに着ぐるみのクマがいた。写真を撮るタイミングを見計っていると、スタッフにジッパーを下ろしてもらい、トランクス一丁のおじさんがホカホカになって出てきたのだが、つまり私はああいう状態なのだった。そりゃ背中の毛も生えている。



 先日迎えた39回目の誕生日、私はストリップ仲間と温泉旅行に出掛けていた。長距離の運転はもちろん、荷物を運び込むのも男性陣の仕事で、気にしないで寝ててもいいよ、クーラーは寒くないか、と女性陣は完全にお姫様扱いであった。あくまでも私の知っている限りだが、ストリップ界隈の男性は、不器用だが根は優しく、紳士的だ。そんな仲間との旅が、よほど楽しかったのだろう。


 連載4回目にして、心境とともに作風まで変わっている。今までどれだけ鬱々としていたのかと思うだろうが、鬱が私の通常運転であるので、放っておけばじきに戻るだろう。


 男湯と女湯。男らしさと女らしさ。わかりやすく区別するための性別は、その人間が生きるにあたって不利に働くこともあるが、その逆もある。私はそれを、なかったことにしたくなかった。こんなに受け取って持ちきれないほどなのだ。不当に扱われ、排除されたことは声高に言うのに、優先され、気遣われたことをなかったことにするなんて変だ。私は女性なのでいい思いをしたこともありました、と大声で言わないと、フェアではないような気がする。


 少なくとも私の人生は、女性として扱われて、おおむねしあわせだった。たとえスケベ心からだとしても、私は良くしてもらえたことを嘘だとは思わない。私にだってスケベ心はあるからだ。良心とそれを、きっぱり区別することは難しい。


 今の私の力量では、誤解を生むかもしれないことを書いた。書けないことを書いておきたかった。私の心がめずらしく柔らかいうちに。


 先の旅行では、男性が男性にも、女性が女性にも優しかった。


 あまりにも私らしくないことを言うが、人は優しくされると、たとえ一時でも、優しくなることができる。それは、優しくされるよりうれしいことだ。私のように鍋底に大穴が開いているような人間でも、あれほどすごい勢いで流し込まれれば、一瞬鍋肌が潤うのである。だから書いた。乾いてしまうその前に、急いで。

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