田中芳樹×篠原悠希「霊獣紀」シリーズ開幕記念対談

文字数 6,116文字

講談社文庫「霊獣紀」シリーズ開幕記念対談

田中芳樹×篠原悠希

司会 細谷正充(文芸評論家)

篠原悠希さんの『霊獣紀 獲麟の書』刊行を記念して、『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』『創竜伝』など数々の名作を世に送り出してきた田中芳樹さんと、三国志のこと、五胡十六国時代のこと、そして資料のあたり方など、多岐にわたって語りあっていただきました! 

田中芳樹さんの作品を携えニュージーランドへ!


細谷 本日は、篠原さんの新作『霊獣紀 獲麟の書』を中心に、田中さんの作品や中国の歴史など、幅広い話をしていただこうと思っています。


篠原 緊張しています。


細谷 田中さんとの対談だからですか?


篠原 田中先生の作品は十代のときから読んでいます。『銀河英雄伝説』は全部持っていますし、『創竜伝』も日本を離れるまではずっと読んでいましたし、『アルスラーン戦記』も。それからニュージーランドにちょっと行ってくるってときに持っていったのが、長江の……。


田中 『長江落日賦』のことですか。あんな地味なものを(笑)。


篠原 あれ1冊が、それこそ10年も日本に帰れない自分の宝物でした。あの作品で胡旋舞(こせんぶ)というものを知りまして、それで西域に対する憧れが植え付けられたというか。


細谷 ニュージーランドに行った理由は。


篠原 ワーキングホリデーというものを知ったのが、ぎりぎり30歳の誕生日の前で、ちょっと行ってきますっていう感じです。それきり10年、帰ってこなかった。


田中 居心地が良かったんですかね。


篠原 そうなんです。あっちで結婚しちゃったこともありまして。すぐにパートで働き、主婦になって、子どもができてという感じです。インターネットがだんだん普及してきて、ウェブ小説が地味にはやっていたときで、あの時代はみんなホームページで自分の小説を発表していました。ネット上に文芸部みたいなサークルがあったんですね。そこで感想を言い合っているうちに、巨大な、何もかもがそろっていて編集がとても楽な「小説家になろう」とか、自分でホームページ管理する手間もなく小説を発表したり、批評し合える場がいっぱいできたんです。それが2010年前後のことです。そして公募への投稿も続けて、2013年に野生時代フロンティア文学賞を受賞してデビューしました。


細谷 古代日本史のものですよね。


篠原 そうです。もともと書くのが好きだったので、二十代のときも投稿はしていました。出雲、松江市の出身ということもあり神話と古代史にこだわっていて、二十代のときに初めて投稿したものが、ヤマタノオロチ関係のファンタジーでした。


細谷 でも田中さんの中国物をニュージーランドに持っていったということは、昔からそういう中国物も好きだったのでしょうか。


「三国志」マニアの篠原さん


篠原 『三国志』のマニアというのでしょうか。本棚の一つが何種類もの『三国志』で、吉川(英治)先生はもちろん陳舜臣先生の『秘本三国志』とか、あと何種類かあったんですね。みんな親に処分されちゃったんですけど。あと司馬遼太郎先生の『項羽と劉邦』とか、あの時代はとても好きで揃えていました。それから田中先生の作品を読んで、他の時代もちょこちょこ読むようにはなりました。


田中 私、最初に帯の文句を書くか対談をやってくれということをお聞きしたときに、どこの時代? 五胡十六国。あんなややこしい時代をよく書く人がいるもんだな(笑)と、失礼なことを思いました。何しろもう覚えられないですからね、人名が。それに拝読しながら思ったんですけど、私の書くネタ元は漢文資料になってしまいますので、『霊獣紀』にベイラとカタカナで出てきても、最初、これは誰だろうと思ったんです。だんだん、もしかしてあいつかなと思ったんですけど。上巻の最後で、石勒(せきろく)ということがはっきり分かって膝をたたきましたが、同時に石勒を主人公にするのかという。正直呆然としたというか。


篠原 そうでしょうか。


田中 考えてみれば、十分に主人公になり得る器ではあるんです。ただ私の知る限り、これを正面から書いた人は、日本人にはいませんね。この時代については、小前亮さんが苻堅と王猛について、何年か前に長編をお出しになりました。それからもう50年以上も昔ですけども、石原慎太郎が西域から来た坊さんの仏図澄。あの人を主人公にした短編をどこかの小説誌に載せてたんですよ。それ以外、全く覚えがない。だから宝の山なんだろうけど、その宝に行き着くまでにどれだけの瓦礫を掘り返さなきゃならないかと思って、私はもう少し落ち着いて南北朝になったあたりを書いております。


田中さんは南朝びいき、篠原さんは北びいき


細谷 でも、田中さんの短編『宛城の少女』も、五胡十六国時代ですよね。


田中 はい、でもほんの一部で、それに私が書くとなると、どうしても南朝のほうになりますね。そっちびいきに。


篠原 私は北びいきなので。


田中 それはちょうど良かったです。でも本当に良く言えばヒーロー乱立、悪く言えばもう四分五裂の時代を、よくもこれだけおまとめになったなと感嘆しております。


篠原 できるだけ簡単にって思いながら、個人から物語を始めていく感じです。やっぱり身の回りのところから見えていくのがいいかなと。特に、若い人に読んでもらおうと思うと、手の届くところからやっていかないとすぐに投げ棄てられてしまう。4世紀の中華大陸は現代人とは全く価値観とか生き方が違うので、主人公を現代のほうに引き寄せていかないと感情移入もしてもらえないので、まず個人の立場から。


田中 全くそのとおりなんですよ。『三国志』に限ってはいまさら何を書く余地もないんですけども、そこをちょっと外れるとなかなか興味をもってもらえませんから。とにかく読者の興味を本筋まで惹きつけておけるかというのが勝負ですね。


篠原 『金椛国春秋』もそうですけど、中学生の方からお手紙をいただいたこともあるので、とにかく分かりやすく、なるべく漢字を使わなくて済むなら済ませよう。使うときはいっぱい振り仮名を振ってもらう。なので、逆にこういう異民族が多い時代はみんなカタカナにしちゃえ、みたいな感じ。読みやすさが大事です。


田中 それはもう、なんとしても読んでもらわなければ、評価もしてもらえません。


細谷 私は、本書のタイトルとか粗筋を見て、ファンタジー色が強いと思ったんですよ。一角という麒麟も出てきますし。


篠原 その予定だったんですが、石勒という人物が非常に魅力的で、だんだんそっちに引き寄せられていってしまいました。担当編集者さんが「そっちいっちゃ駄目」とか言いながら、私がどんどん「いやもう書きたくて、書きたくて」みたいな。


田中 中国物ってそういう魔力がありますから。それに抵抗しながら、なんとか日本人に分かりやすくという葛藤ですね。いわゆる倭の五王の使者が来たというようなあたりになって、南朝の文化がどんどん日本に入っていく。例えば呉服なんていうのは呉の服ですから、もろに南朝の衣服なんですよ。そういうあたりを蘊蓄というほどじゃないですけども、ちょこちょこっと挟んでいくと、そうだったのかと思ってもらえるかなと。今でもそうですが、もうこわごわ書いてます。ただ亡くなった陳舜臣先生が「そんなの自分も同じだ」とおっしゃったんですね。「間違いがないようにと怖がってたら、一生、書けませんよ」と、「もう思い切って書きなさい」と言ってくださったのが、僕のいわば正当性の口実になっているんです。


▲田中芳樹さん

『アルスラーン戦記』の影響


篠原 ですからファンタジーの存在である麒麟が石勒に、「なんでそんなにすぐ殺すんだ」みたいなことを言う。そういう現代人の価値観を一生懸命、訴え続けていく感じです。でも、石勒としてはそうしないと天下を統一できないじゃないかっていう、絶対に折り合わない平行線の中で話が進んでいく。そういう時代があったし、そんなふうに生きなきゃいけない時代があったんだなっていうことが伝わるといいなと思うんです。


細谷 そういう思想の対立みたいなものは、田中さんの『銀河英雄伝説』でもよく感じました。あと、『アルスラーン戦記』の影響を受けているんじゃないかと。


篠原 それはもう、もちろんです。『アルスラーン戦記』があったから、『シャー・ナーメ』(ペルシアの叙事詩)も読みました。抄訳本しか出てないってことが分かったので、英語版を取り寄せてみたりとか。先生によって、そういう“沼“に沈められてしまった読者の一人なのです。


田中 恐れ入ります。僕は、日本語で読めるペルシア関係の資料が、日本中探してこれぐらいだよなと思ったあたりで、もう居直っちゃうんですね。実物を見た人はいないんだから。何ページのここの場面でこの人物がこういうセリフを言ったはずはないなんて、言われる恐れはないので(笑)。


中国語資料をどうするか


細谷 篠原さんは、中国語の資料をどうしていますか。


篠原 友人の妹さんが北京に留学しておられて、旦那さんが中国人なので、ここの意味って聞くと教えてくれるんですね。『晋書』なんかは、取りあえず中文Wikiに全文が載っている。そこで漢文で読み下せるところは何とか自分で頑張って、分からないとネットの翻訳にかけたりしています。日本語訳はめちゃくちゃなんですけど、英語にするとまだ意味が通じるんです。それでも分からないと中国語の読めるお友達に、分かりませんって泣きつくんです。そんな感じですごい時間がかかりました。あるとき幸運にもネットに『晋書』の和訳を載せたサイトを見つけまして、答え合わせ的な感じで読んでいきました。『魏書』『十六国春秋』からもどんどん情報を入れている翻訳サイトも昔はあったんですけど、(執筆に取りかかったころには)消えてしまったんですね。プリントアウトしたのしか残ってなくて、その内容や逸話には出典が分からないものがいっぱいあるんです。訳者の創作ではないという確認のために、『魏書』も取り寄せたんですが、『魏書』のほうが『晋書』よりもダイジェストでした。『十六国春秋』に至ってはデータすら中国Wikiに載ってないので、何が書いてあるのか謎に包まれたままなんです。だからネットにあった邦訳版で『晋書』に書かれていない逸話とか記録は、一体どこからきたものなんだろうという感じです。


田中 そういうの、ありますね。(持ってきた本を手に取り)一応、中国で『三国志』の続編として出されたやつの日本語訳が、多分、これ以外にないんですけども、読んでいくとここが違う、ここも違うという感じで。それで、石虎が石季龍という字(あざな)で、割と最初から出てきて、いい役をやっているんです。主役は劉淵です。


篠原 そうなんですか。


田中 『三国演義』の続編ということで、劉備の孫かなんかが匈奴に逃げ延びて、そこで育って、晋を討って敵を討つという。


篠原 まるで義経がチンギス・カンになったような。なんでもありですね。


▲篠原悠希さん

『霊獣紀』は女っけがない⁉


田中 ここまで書いていいのかと思いながら、本場の中国の人たちがこれを受け入れているなら、日本人だっていいだろうという。本当に、どこかでずうずうしく割り切らないと、とても書けません。小説としては行きすぎがない限り、空想にのせて話をつくっていっていいと思います。ところで僕が『霊獣紀』の上巻をほとんど読んだ時点で、一つ余計な心配をしたのは、女っ気がないなということです(笑)。


篠原 私もそれが心配でした。女の子が出てこない、どうしてって(笑)。


田中 ちゃんと石勒にお嫁さんが来てくれたので、安心しました。


篠原 この方も素晴らしいエピソードがあるんですけど、出典が分からなかったのとページ数が足りなかったので、あまり下巻でも活躍できなかったんです。


田中 それはちょっと残念ですね。


篠原 石勒、なんでこんなに誤解されているのかなって思います。一生を丹念に読んでいくと、気が短くてすぐ人を殺すんですけど、それ以外はめちゃくちゃいい人なんですよ。まず、この時代の権力者には珍しく奥さんが三人しかいない。そして最初の奥さんを、とても大切にしているんです。しかも、この時代の漢族の王弥でさえどんどん略奪しまくってるのに、石勒だけは早い時期から略奪を禁止しているんですね。晋朝を滅ぼした「永嘉の乱」では洛陽の略奪にも加わってない。差別問題の解消策とか、流民や窮民の救済も正面から取り組んでいます。


まだまだ続く『霊獣紀』!


細谷 もうひとりの主人公である、一角についてもお聞きします。結局、一角の天命とは何だったのでしょう。

篠原 一応、守護獣なので、石勒が皇帝になるまで死なないようにお世話するのが仕事なんですけど、それを言っちゃうと身もふたもないので、明確にはしていません。(続巻以降に)引き続き出てくる霊獣にもそれぞれ天命がありますが、相手にする人間も時代も違います。天命も少しずつ変わっていくと思うので、あまり決めつけないほうがいいかなと思いました。


細谷 石勒の話はこれで終わっていますけど、『霊獣紀』は続くのですね。そして別の霊獣が出てくると。


篠原 四種類います。


田中 これはぜひ続きを読ませていただきたいです。


篠原 ありがとうございます。大変、光栄でございます。


(10月29日講談社応接室にて)

※完全版は「現代ビジネス」でお読みください!


田中 芳樹(たなか・よしき)

1952年熊本県生まれ。学習院大学大学院修了。’77年『緑の草原に……』で第3回幻影城新人賞、’88年『銀河英雄伝説』で第19回星雲賞、2006年『ラインの虜囚』で第22回うつのみやこども賞を受賞。壮大なスケールと緻密な構成で、SFロマンから中国歴史小説まで幅広く執筆を行う。著書に『創竜伝』、『銀河英雄伝説』、『タイタニア』、『薬師寺涼子の怪奇事件簿』、『岳飛伝』、『アルスラーン戦記』の各シリーズなど多数。近著に『創竜伝15<旅立つ日まで>』などがある。

篠原悠希(しのはら・ゆうき)

島根県松江市出身。ニュージーランド在住。神田外語学院卒業。2013年「天涯の果て 波濤の彼方をゆく翼」で第4回野生時代フロンティア文学賞を受賞。同作を改題・改稿した『天涯の楽土』で小説家デビュー。中華ファンタジー「金椛国春秋」シリーズ(全10巻)が人気を博す。著書には他に「親王殿下のパティシエール」シリーズ『マッサゲダイの戦女王』『狩猟家族』などがある。


『霊獣紀 獲麟の書(上)』


戦乱の「五胡十六国時代」、人界に降りたった幼き霊獣・一角と少数民族出身の若者・ベイラの果てしなき戦い、そして友情


少年に変化する能力を身につけた幼き霊獣・一角麒。天命を果たし”神獣”へと成長すべく、戦乱の中原に降り立つ。内乱の足音近づく晋の都・洛陽で、一角は天への光輝を放つ少年ベイラと知り合う。人界に囚われた霊獣と奴隷から盗賊に身を転じた若者の、戦いと友情を描く中華ファンタジー堂々開幕!

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