第66話 大河内の苛烈な力に、立浪は敗れてしまうのか!?

文字数 2,933文字

 大河内が眼を閉じた。
 沈黙が室内を支配した。
 一分、二分……沈黙が続いた。

 食いつけ……食いつけ……。

 立浪は心で念じた。
 大河内(メインディッシュ)は、花巻(オードブル)を片づけてから食えばいい。
 大河内がカッと眼を見開きソファから立ち上がると、物凄い形相(ぎょうそう)で立浪に歩み寄ってきた。
 右の前蹴り――顔面に衝撃が走り、視界が暗くなった。
 懐柔失敗か……。
 考える間もなく大河内の爪先がみぞおちを抉り、拳(こぶし)が頬に食い込んだ。
 息が詰まり、頭がくらくらした。
 背後から大男に押さえられているので、衝撃を逃がすことができなかった。
「てめえごとき野良犬が!」
 下腹を蹴り上げられ、口から嘔吐物(おうとぶつ)が迸(ほとばし)った。
「俺様に歯向かいやがって!」
 鬼の形相で大河内が、爪先で睾丸(こうがん)を抉った。
 想像を絶する激痛――額に噴き出す脂汗(あぶらあせ)。
 食い縛った奥歯が砕け、口内に鉄の味が広がった。
「野良犬が! 野良犬が! 野良犬が! 野良犬が! 野良犬が!」
 まるでパンチングマシンに打ち込むように、大河内の左右の拳が立浪の顔面を襲った。
頭蓋(ずがい)内で揺れる脳みそ――遠のく意識。
 呆気(あっけ)ない結末だ。
 立浪の誤算は、手負いの獣に損得を考える冷静な思考力がないことに気づかなかったことだ。
 視界が歪(ゆが)み、やがて闇に覆われた。
                   ☆
 身体(からだ)が揺れた。
 声が聞こえる。
 身体の揺れが激しくなった。
 声が大きくなった。
 激痛――立浪は、眼を開けた。
 青黒く霞(かす)む視界に映る人影が、次第にクリアになった。
 大男の平手が、頬に当たる寸前で止まった。
「どんだけ寝てんだよ?」
 正面――ソファに座った大河内が、血塗(ちまみ)れの拳に包帯を巻きながら言った。
 生きている……。
 立浪はソファに座っていた。
 ぼんやりした頭がクリアになり、状況を理解するとともに頭痛に襲われた。
 顔も身体も熱く、あちこちがズキズキと痛んだ。
「一回だけチャンスを与えてやる。お前のシナリオってやつを話してみろ。内容次第によっちゃ、牧野(まきの)の件はチャラにして呉越同舟してやってもいい。だが、くだらないシナリオなら殺す」
 大河内が傍(かたわ)らに置いていた短刀を手に取り、鞘(さや)から抜いた。
「……俺を殺したら……明日のこの時間には……息子の動画がネットに出回るのを……忘れたのか?」
 言葉を発するたびに、頬骨が痛んだ。
 顎(あご)がズレているのか、思うように口を動かせなかった。
「だから、チャンスをくれてやるんじゃねえか。だが、俺に得のねえ話だったらぶっ殺す。親子そろって刑務所(ムショ)行きになるが、てめえに事務所潰された上に脅されて従うなんざ冗談じゃねえ! そんな屈辱を味わうくらいなら、刑務所に入ったほうがましだ!」
 大河内の狂気に血走る眼が、ハッタリではないと代弁していた。
「気が変わる前に、話してみろ!」
 大河内が、短刀の切っ先を立浪の顔に向けた。
「単純な……話だ。花巻をおとなしくさせれば……俺は息子の動画を……公開しない」
 立浪は、荒い呼吸を吐きながら言った。
「そんな口約束、俺に信じろってか?」
「約束を破れば……殺すといい。あんたなら本当にそうするって……さっき……わかったよ……」
 立浪は腫(は)れ上がり細くなった眼で、大河内を見据えた。
「まあ、たしかにそうだな。約束を破れば即刻殺すまでだ。で、つまりお前は、ジジイをどうしてほしいんだ?」
 大河内が、ナイフをゆらゆらさせながら訊ねてきた。
 瞬間、罪悪感に襲われた。 
 罪悪感は、すぐに嫌悪感へと変わった。
 罪悪感――大河内を使い花巻を潰そうとしていることにたいして。
 嫌悪感――いつの間にか、大河内と同類の人間になったことにたいして。
「あんたのやりかたに任せるよ。ただし、殺人以外の方法だ」
 立浪は即答し、念を押した。
 大河内なら、呼吸をするように花巻を殺しかねない。
「じゃあ、監禁して半殺しはいいってことだな?」
 大河内が、ニヤニヤしながら言った。
「好きにすればいい」
 罪悪感と嫌悪感から眼を逸らし、立浪は吐き捨てた。
「で、俺のメリットは?」
 大河内が、ニヤついたまま訊ねてきた。
「息子の動画を晒(さら)されなくて済む」
 噓――花巻が片付いたら、大河内を仕留めるつもりだった。
 大河内は刑務所に入るとなれば、立浪を殺すために血眼(ちまなこ)になって探すに違いない。
 立浪に報復する前に大河内が警察に捕まるかもしれないし、その逆かもしれない。
 どちらでも、構わなかった。
 真実を知り大河内への復讐を決意したときから、立浪は人生を捨てていた。
 自分の犠牲もなしに葬れるほど、大河内は甘い敵ではなかった。
 それに、大河内に辿(たど)り着くために……大河内を倒すために数々の人間のスキャンダルを暴き、地獄に叩(たた)き落してきた。
 自分だけ、何事もなかったように日常生活に戻れるはずなどなかった。
「じゃあ、保険をかけさせて貰(もら)うぜ」
 大河内が言いながら、テーブルにスマートフォンを置いた。
「保険?」
「ああ。ジジイを潰した罪まで被せられたら、たまったもんじゃねえからな。お前が俺に交換条件としてジジイを潰してほしいと依頼する会話を残させて貰うぜ」
 大河内が、片側の口角を吊り上げた。
 凶暴なだけではなく、抜け目のない男だ。
 立浪は眼を閉じた。
 証拠を残すのが、怖いのではない。
 本当に、これでいいのか?
 大河内を倒すために、大河内と同類になってしまっても……。
「なんだ? 嫌なのか? だったら俺は別に……」
「スイッチを入れてくれ」
 立浪は眼を開け、悪魔の誘いに応じた。
                     ☆
 中目黒(なかめぐろ)――目黒川沿いのビルの地下へと続く階段を、立浪は奥歯を嚙(か)み締めながら下りた。
 一歩下りるたびに、身体中に激痛が走った。
 タクシーを降りてまだ数メートルしか歩いていないというのに、ジャケットの下のポロシャツは汗でぐっしょりと濡れていた。
「帝都プロ」を出て、五時間以上が経っていた。
 時間が経つほどに痛みは増し、顔の腫れもひどくなり痣(あざ)も色濃くなった。
 キャップを被りサングラスをかけているので通行人には気づかれなかったが、奥歯が何本か折れ、口の中もズタズタに切れていた。
 病院や歯医者に行くレベルの怪我(けが)を負っていたが、先にやらなければならないことがあった。
 僅(わず)か十段ほどの階段を五分以上かけて、ようやく下りた。
「予約している立浪ですが」
 立浪は、カウンターの中でグラスを磨いていたバーテンダーに声をかけた。
「お連れのお客様は、個室でお待ちになっております。こちらへどうぞ」
 カウンターから出てきたバーテンダーに促され、立浪はフロアの奥へと進んだ。

(第67話につづく)

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