観潮楼 ~文豪激賞の散歩道を、邪推作家が歩く~
文字数 3,386文字
物書きのくせに、家にじっとしてるのが大嫌い!
よほどの大雨が降らない限り昼間は散歩に出かけるし、もっと遠くに行きたくなったら、路線バスに飛び乗る。街の風景をのんびり眺めながら徘徊するのに、これ以上の交通機関はない、と思うからだ。
その際、重宝するのが都バスの一日乗車券。PASMOなどのICカードを持っていれば、乗車する際「これ、一日券で」と頼むと運転手さんが操作してくれる。チャージしてる中から500円が差し引かれ、後はそれで1日、乗り放題になる。都バスってどっかからどっかに1回、乗るだけで運賃210円なのに、ね。
3回、乗ればもう元は取れる、どころか既に得してる。これは使わないテはない、でしょ?
今回、乗ったのは小説のロケハンのためだ。次の新作は連続放火犯を追うミステリーなんだけど、その中で犯人は現場に次の犯行場所を示す予告文を残している、という設定。しかもそこに使われてるのは、あの永井荷風の散歩エッセイ『日和下駄』からの引用文、という設定なわけです。
いえ、別にそれほどファンというわけではないんですよ。荷風は本当に東京のあちこちをウロウロしてるので、犯行現場の予告文に使うのに都合がいいな、と思いついた。ただそれだけなんです、スミマセン。
てなわけで、適当に地図を眺めて、こことここを犯行現場にしよう、と勝手に決めた。その地点が出て来る箇所を『日和下駄』の中から探し出し、予告状に書かれている文章として引用することにした。
ただ、地図とエッセイから適当に決めただけなので、ちゃんと行ってはいない。やっぱり実際に行っておかないと、小説にそのシーンは描きにくい。だから行ってみる。まぁ映像作品の撮影なんかとはニュアンスは違いますけどね。私にとってはこれが「ロケハン」なんですよ。
さて小説内における第2の現場は、文京区立の森鷗外記念館の近く、と設定した。第1は最初の犯行だから、予告文はありませんからね。そこに残された文書に、次の現場は鷗外記念館の付近、と示唆されているわけです。
我が家から最寄りの都バス路線は、渋谷駅と阿佐ヶ谷駅とを結ぶ「渋66」系統のみ。だからスタートは常にこれになる。
渋谷からは「早81」系統で、早稲田へ。これ、とっても面白いルートを辿る路線で、詳しく紹介したいんだけど今回はちょっとそのスペースがない。いずれ、ブログでも詳述しますのでその時をお楽しみに、ね。
さてさて早稲田でラーメンを食べて昼飯を済ませると、いよいよ本日の目的地へ。乗るのは「上58」系統。これまたとっても面白いルートを走るんですよ。
まず「早稲田」バス停(都電荒川線「早稲田」駅の近く)を出ると、新目白通りを江戸川橋へ。江戸川橋の交差点を左折して音羽通りに入ると、それこそ講談社の目の前を走り抜けます。故に講談社の社員さんには、この路線で通勤してる人がたくさんいるくらい。
護国寺の正門前でT字路にぶつかると、右折。不忍通りに入ります。後は延々、この不忍通り沿いに、ぐるりと回って上野を目指す、というルート。
本当は鷗外記念館に行くなら、「団子坂下」バス停で降りれば一番、近いんだけど今回はもうちょっと先まで乗った。実は荷風は鷗外の家に至るまでの路地を、「東京でこの道ほど興趣ある処はない」とまで絶賛してるんですよ。小説の中でも当然、このエピソードを使わないわけにはいかない。だから実際に、歩いてみるしかないわけです。
その道とは荷風の筆によると、「絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通じる一条の路」とある。
地図を見てみるとなるほどこれかな、という細道があった。根津神社の裏から辿って行けば鷗外の居宅、今は鷗外記念館となっている場所にぴったり至る。荷風の書いている通りだ!
なので、「根津神社入口」までバスに乗った。せっかく来たんだから地元の御鎮守様に挨拶してから行こう、というわけだ。
そしたらちょうど、ツツジの季節でした。普段だったらツツジ祭りが開催される頃で、さすがに今年はコロナでやってないみたいだったけど、人出はかなり多かった。いやそりゃこれだけ綺麗に咲いてたら、見たくもなっちゃいますよねぇ(笑)。人情、てモンでしょう。
さてさてさて参拝を済ませて、根津神社の裏手に出る。坂道を渡った先、日本医科大学付属病院の敷地の間を抜けるのが、当の路地だ。
だが入ってすぐ、「ハテナ?」と思った。
「片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危ぶまれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透かして谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。」とまで荷風は書いているのだ。足下が危なっかしい、までは昔の話だから、今は舗装されてて安全でしょうと納得はいくもののこの文章だと、道はかなりの高台を走っていなければおかしい。なのに歩いてみても、大した高さではないんですよ。
おかしいなぁ。もう一本、上の道だったんかしら?
左手の高台の方へ行ったり来たりしてみたけど、やっぱり一本延びる道はこれしかない。
そしたら途中からこの道、急な上り坂になりました。右手が見る見る「下界化」して行く。小学校と中学校が並んでいて、その敷地を見下ろすような格好になりました。
崖の縁沿いに細長い公園が整備されてて、この先が鷗外記念館であることが表示してあった。この道が「薮下通り」と呼ばれてて、鷗外の散歩道であり小説にも出て来ている旨も書かれてた。やっぱりこれで間違ってなかったんだ!
鷗外記念館はこの道と、団子坂とが交わる角に立ってるんだけど、鷗外邸の入り口はこっちを向いてたらしい。そして、その入り口の前から坂の方を見下ろすとーー
急な階段が設けられてました。表示によると「しろへび坂」というらしい。いやまぁ確かにこれは、高いわ。鷗外邸の2階からは海が見えたそうで、「観潮楼」と自ら呼んでいた、という。
今は建物が立ち並び、海なんか望めるわけもないけど昔はなるほどそうだったんだろうなぁ、と納得。まぁ今は海の代わりに、東京スカイツリーが見えてますわね。
ただねぇ荷風先生、「左手には上野谷中に連る森黒く、右手には神田下谷浅草へかけての市街が一目に身晴され」とまで書いて、ヴェルレエヌ(ポール・ヴェルレーヌ)の詩にまでなぞらえているんですよ。ちょっとそれ、大げさじゃないんですかねぇ(笑)?
確かにまぁそこそこの高台だけどこのくらい、東京には他にもいくつもあるんじゃないんですか!?
よもや荷風先生、大先輩の鷗外がご自宅お気に入りだからって、ちょっとヨイショしたんじゃないんですかね(笑)。何だか、邪推までしちゃいましたよ。
もちろん、実際に道を辿った率直な感想は、小説にそのまま活かすつもり。別に荷風先生がエッセイにつづった感想を、現地で実証するのが目的でも何でもないんですから、ね。これで充分、私の目的は果たせたわけです。
てなわけで不忍通りに戻って、第3の犯行現場のロケハンに向かいますか。
次は、「こんにゃく閻魔」です。
1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。
西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅を連載中!
『激震』(講談社)
『目撃』(講談社文庫)