第8回/京都でお茶漬けを出されておかわりする鈍感力がほしい

文字数 2,311文字

稀代にして奇態、現代を生きる伝説の漫画家・カレー沢薫の tree 新連載がスタート!

ひきこもり、そして金(カネ)と語り倒したジェダイ・マスターの新しいテーマは…


格差!


熱くなりがちなこのテーマに、戦など起こさず、肩の力をぬいてゆるりと冷静に挑む──!

そういえば私はいつ「格差」というものがこの世に存在すると実感したのだろうか。


他人の興味がない私でも物心つくころには「こいつ私と違う顔をしているな」など、生まれながらに人間には「差」があるのは理解できていたし、「どうやら自分にキンタマが生えることはないらしい」など、性差にも気づいていたような気がする。


しかし、「格差」に関しては、何らかの実体験がないと存在に気づけないような気がする。


逆に言えば、自分がどれだけ格差社会ピラミッドの底辺より下の菌類に属していたとしても、周囲から受ける差別に「気づかない」ことにより、自分の世界から格差や差別は消え失せるとも言える。


同じ条件下にあったとしても、本人の「感じる力」の差によって、生きやすさは大きくかわるということだ。


「鈍感力」という言葉があるように、おそらく鈍感な方がこの複雑な世の中は生きやすいのだろう。


世界はまだまだ差別に溢れているが、誰もが銀座のディオーノレ店員のようにわかりやすく襟を見て態度を変えてくれるわけではない。


むしろ些細な態度の違いというのは、やっている本人ですら気づいてない。だが繊細であれば、それに気づいてイチイチ傷ついてしまうのだ。


片や鈍感であれば、京都でお茶漬けを出されたとしても、おかわりまでして「今日は楽しかった!」とデカい屁をこいて朝まで爆睡するだろう。


もはや「死ねドス」と言われない限り悪意に気づかないだろうが、それすら「ネットで見た奴だ!」というサービスだと受け取って帰る可能性がある。


もちろん繊細が同じことをされたら、その日は眠れないし、その場限りではなく「京都に二度と行けなくなる」「お茶漬けを見ると吐く」などのトラウマを生涯かかえてどんどん生きづらくなる。


最近では、生きづらいレベルで繊細な人を「HPS」と呼ぶそうだ。


ちなみに私は発達障害の診断を受けているが、発達障害と名乗ることで良いこともあるが、偏見を持たれることもある。


だが実際、突然地べたに座りこんで、カバンの中で神隠しにあったスマホを探し始めるなど、偏見通りのスタイリッシュADHDアクションを見せつけてしまうことも多い。


しかし、最近は言動が少し多様化しすぎている人がいると、すぐ「あいつは発達障害だ」など、差別用語としても使われつつあるような気もする。


もちろん、このような特性を持って生まれるか否かも、大きな差の一つである。


しかし、発達障害以上にHPSに対しては風当りの強さを感じる。


何故なら、HPSは今のところ、医学的に診断されるものではないらしい。よってXなどに「HPSです」と名乗った瞬間、「自分で自分を繊細だと言える奴が繊細なはずがない」と浴びせ蹴りされているのを良く見かける。


しかし問題はHPSか否かではない。生まれ持った性質により生きづらさを感じている、というのが問題であり、そういう人がいるのは紛れもない事実なのだ。


それを否定するというのは「とてもつらい」という横山三国志霊帝のコピぺに、そんなつらさは存在しないとばかりに、関羽の「そんなものはない」コピペでレスするようなものだ。


つまりXは優しくない差別主義者の集まりであり、格差や差別を実感したくなければ、Xを今すぐアンインストールしてミクシィに戻るべきかというとそんなことはない。


Xは誰にも優しくないからだ。


映画フルメタルジャケットのハートマン軍曹に「俺は厳しいが公平だ!人種差別は許さん!黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん!すべて―—平等に――価値がない!」という名言があるが、XはそういうフルメタルSNSと言って良い。


女も叩かれば男も叩かれるし、富裕層がひがみで叩かれる一方で貧困層が自己責任だと叩かれる世界である。


辛うじて、子猫を保護した人にはちょっと優しいが、それすらバズると「猫を安易に保護するなど無責任」と叩く徹底ぶりである。


子キャット様を拾ってもダメなら、もはや何をしてもダメであり、些細な差など気にならなくなるという意味では、Xは世界一清々しいSNSだ。


先日Xで「情緒が安定している人間がいい」という話が話題になっていたが、それに対し「ずっと怒ったり泣き叫んでいる奴もある意味情緒が安定しているのでは」というコメントがあった。


それと同じように、全てに差別的なら逆に平等と言えるのかもしれない。


ちなみに私は鈍感か繊細かというと両方である。


自分に対する悪意に対しては非常に繊細であり、むしろ存在しない悪意にさえ「今俺のことをバカにしたな」と気づくほど敏感である。


対して、他人の気持ちに対しては非常に大らかなので、全く悪気なく罵詈雑言を吐くし、それで相手が傷ついたことにすら気づかない鈍感さを持っている。


もちろんそのせいで嫌われるが、何せ自分への悪意には繊細だが、他人の気持ちには鈍感なため「何もしてないのに嫌われた」と感じるのだ。


鈍感にしても繊細にしても名乗るなら徹底した方がよい。人を傷つけて無痛だが、自分が焼きゴテを押しあてられてもノーリアクションなのが本当の鈍感である。

カレー沢薫

山口県在住の漫画家・コラムニスト。最新作に『ひとりでしにたい』原作(講談社)など。

Twitterはこちら:@rosia29

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