第48回

文字数 2,667文字

あったかくなってきた! 春のうららかな陽光にもマケズ、ひきこもりを続けるぞ。


どんな季節も自室に籠城、

インターネットが私たちの庭なんです。


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!

「ひきこもり」というのは「社会」という外の世界で苦痛と難を感じた人が、とりあえず家の中に避難したまま出る機会を逸したことで発生するケースが多い。


逆に言えば、「社会」の方にコミュ症とか「ひきこもりになりやすい傾向にある人」を受け入れ、活躍できる場を与える度量があれば、社会的ひきこもりはそんなに発生しないのではないだろうか。


「学生時代は優秀だったが、社会に出てからつまづいてひきこもりになってしまった」という話は珍しくない。

そういう話になると「やっぱり勉強だけじゃダメなんですよ、サークル活動とかして『はじめて出来た彼女が急に冷たくなって、別れた三日後にパイセンとつきあってたけど何も言わなかった』みたいな、地味なNTRと微妙な上下関係による辛抱ぐらい、学んでおかないと」という結論に行きがちだが、逆に言えば「優秀な人材を狭量な社会が生かせず殺した」とも言える。


「能力はあるが社会性がない」なら「能力がある」の部分が生きる場に置けばいいのに、何故か「社会性がない」の方に注目して、「あいつはダメだ」と社会からはじいてしまっている気がする。


社会がもっといろんなタイプの人間を受け入れ、タイプによって様々な学び方や働き方、それこそ「ひきこもり」も生き方の一つと認めれば、逆に社会的なひきこもりは減るのではないだろうか。


などと「ひきこもり」の正当化、そして責任を「社会」という巨大なもののせいにするために今まで頑張ってきたのだが、ひきこもりがただの「クソ面倒くさがり野郎」であることも否定はできない。


私に「何故ひきこもりなのか」と聞けば、「社会が…」などと2000字ぐらいもっともらしいことを書くし、今まで書き続けてきた。

ちなみに口頭で聞くと「ファッ」と言ったきり黙り、相手が沈黙に耐え切れず別の話題をはじめるまで籠城戦に入る。


しかし、今まで私がろくろに回されながら語ってきた「私がひきこもりという生き方を選んだ理由」というのは要約すると「仏滅だから」程度のことであり、核心ではない。


一番の理由を言えと言われたら、「面倒くさいから」と答えざるをえないのだ。

この「面倒くさい」というのは、ただ単に「外に出るのが面倒くさい」という物理的なことを指しているわけではない。


外の世界には「他人」がおり、そこで生きていこうと思ったら他人とのコミュニケーションが不可欠になってくる、それが面倒なのだ。

コミュ症タイプのひきこもりは、コミュニケーションが「苦手」以前に「面倒」と思っているタイプが多い気がする。

他人とつきあうのが面倒と思っているがゆえに「他人の扱いが雑」であり、結果上手く人間関係が築けないのだ。


そして映画「デビルマン」に「細胞が細胞を呼ぶ感じで」という名台詞があるが、それと同じように「人間関係は人間関係を呼ぶ感じ」なのだ。

「人脈」と言うように人間関係というのは、どんどん広がっていくものなのである。


だが、他人とのコミュニケーションを「面倒」と思っている人間には、「面倒が面倒を呼ぶ感じ」にしか見えないのだ。

顔が広い人というのは、色んな人間から色んな話を持って来られるため「孤独」とは無縁そうである。

その姿を、羨ましいと感じることもあるが、正直「うわ面倒くせえ」とも思う。

「いつも多くの人に囲まれている」と言えば聞こえはいいが、逆に言うと「自分1人の時間がない」とも言え、孤独よりもそちらが耐えきれない人間も多いのだ。


そういう面倒臭さを一切排し、時間を自分のみに全振りしたライフスタイルこそが「ひきこもり」なのである。


私の生活は、他人から見れば「誰からも何の誘いもない寂しい生活」に見えるかもしれないが、私にとっては、時間を全て自由に使える快適な生活なのである。


しかしもちろん良いことだけではない。

何故なら「面倒くさい」という感情は時に生命を危険にさらすからだ。


去年、全国民に10万円が給付されたが「申請が面倒くさい」という理由で受給しなかった人が結構いるのだという。

それも、セレブが「10万ぐらいのはした金のために申請するのが面倒くさいザマス」といっているわけではなく、むしろ仕事のみならず住居までがフリーな状態になっている人が申請していないのだそうだ。

その10万があればかなり助かるはずである。

しかしそれよりも「面倒くさい」の方が勝ってしまっているのだ。


むしろこの「面倒くさい」という気持ちが強すぎる結果が、あらゆるものからフリーな状態なのかもしれない。

かくいう私も、今、税理士から電話があって「あれも経費計上したほうが税金が安くなるので書類を送ってください」と言われたが、早速「面倒くさい」と思っている。


このように、「面倒くさい」という感情は困窮に繋がりやすく、適切なところに助けを求めれば助かったのに「助けを求める気力がない」つまり「面倒くさい」という理由で、そのまま死んだ人間も少なくないはずだ。


そして「ひきこもり生活」ほど、この「面倒くさい」という感情を育てられる環境はない。


人と会わないことにより、化粧をする意義、服を着る意義、風呂に入る意義、など「面倒なことをする意義」が次々と失われていくため、そのうち生きるのも面倒になってしまうのだ。


孤独死をする人は、そのような「セルフネグレクト」状態になっているケースが多いという。


面倒が少ないのが「ひきこもり」の良いところだが、少しは面倒に抗う力を残しておかないと、いつの間にかライフスタイルではなく「ゆるやかな自殺」になるのである。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

★次回更新は4月2日(金)です。
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