第25話 トップアイドルの大スキャンダルだが、編集長は――

文字数 3,439文字

「編集長……これ、ヤバくないですか? アイミーと所属事務所社長の不倫スキャンダルは大スクープですが、『ニュースタープロ』は『帝都プロ』の系列ですよね? 大河内社長が、黙っていませんよ。よく、立浪ちゃんにゴーサインを出しましたね」
 いつもは陽気で飄々(ひょうひょう)としている編集長代理の近田(ちかだ)が、珍しく硬い表情で福島に言った。
「俺はゴーサインなんて出してないっ」
 福島が強い口調で否定した。
「ちゃんと、承諾は得ましたよ」
 立浪は涼しい顔で言った。
「承諾を得たって……立浪ちゃんは一方的に喋(しゃべ)って、俺になにも言わせないままミーティングルームを出て行ったんだろう?」
 福島が呆れた顔を立浪に向けた。
「まあ、とにかく、こんな大魚が釣れたんですよ。もっと、喜んでくださいよ」
 立浪は、タブレットPCに転送した画像……広瀬が愛美の腰を抱き寄せて歩く画像を指差した。
「その大魚を釣り上げたらさ、尾びれに食らいついたサメまでついてくるんだよ~」
 近田が、両手でサメの顎(あご)を開くまねをしながら言った。
「そしたら、サメも釣り上げればいいじゃないですか」
 立浪は、本気とも冗談ともつかぬ口調で切り返した。
「それじゃあ、こっちまで喰われちゃうって。しかし、アイミーが脂(あぶら)ぎったおやじ社長と不倫なんてショックだな。実はマザーテレサが幼児虐待してたって言われたみたいな衝撃だよ」
 近田が画像を見ながら大きなため息を吐いた。
「くだらない冗談を言ってる場合じゃないぞ」
 福島が近田を窘(たしな)めた。
「だって、あのアイミーが四十代のおっさんとセックス……」
「四十代のおっさんだろうが七十代のじいさんだろうが、そんなのはどうだっていい! なあ、立浪ちゃん、悪いがやっぱりこのネタは無理だ。ここは黙って、引いてくれないか? もちろん今回の働きは評価するし、記事が掲載されたときと同等の臨時ボーナスを支払うからさ」
 福島が、無理に浮かべた微笑みを立浪に向けた。
「金の問題じゃありませんから」
「立浪ちゃんが金で動く気性じゃないのはわかっているさ。俺だって、こんな大スクープをみすみす逃すのは腹立たしいよ。だがな、俺には編集部の社員と社員の家族を守る責任がある。この記事を掲載したら、大河内が黙っていない。大河内が怖いのは、政治家、ヤクザ、右翼……全方位に顔が利(き)くことだ。厄介(やっかい)なのは、単なる金の繫(つな)がりではないということだ。大河内の伯父(おじ)は『信民党(しんみんとう)』の幹事長の大河内晋三郎(しんざぶろう)だ。大河内晋三郎はただの幹事長じゃない。時の総理を選出し、意のままにコントロールするキングメーカーだ。それだけじゃない。関東最大手の広域組織『大東(だいとう)連合会』の会長の神山五郎(かみやまごろう)は、大河内が総長をやっていた暴走族の伝説的OBだ。大河内は政治のトップと暴力団のトップの両方と兄弟以上の絆で繫(つな)がっている。その上、双方に莫大な金を渡しているから、大河内晋三郎も神山五郎も大河内の頼みなら全力で動く。彼らは大河内のためなら殺人も厭(いと)わない」
 福島が言葉を切り、クールダウンするかのようにペットボトルのミネラルウォーターを一気に半分ほど流し込んだ。
 聞くまでもなく、福島が口にする情報はすべて立浪も知っていた。
「ウチがアイミーの記事を出せば、大河内はほかの出版社に『スラッシュ』包囲網を敷かせるだろう。我々編集部全員の個人情報を調べ上げ、あることないこと書き立てて攻撃する。立浪ちゃんも知っての通り、記事になっていることが真実かどうかは重要じゃない。読者が記事の内容を信じれば、それが真実になる。人海戦術はお手の物だろうから、大々的に不買運動を起こされたりしたら『スラッシュ』は休刊に追い込まれてしまうし、廃刊になるのも時間の問題だ。同業誌の『マッチ』が七年前に大河内と闇社会のスキャンダルを暴こうとして、逆に編集長が十五歳少女淫行(いんこう)スキャンダルを捏造(ねつぞう)されて廃刊に追い込まれたことを覚えているだろう?」
 福島が、立浪を見据えた。

 あなたは、五年前に「帝都プロ」の看板タレントのスキャンダルをすっぱ抜いた一人の新聞記者が消された事実を知っていますか?

 立浪は、心で福島に問いかけた。
「もちろん、覚えていますよ」
「だったら、わかってくれ。大スクープを報じたいのは山々だが、社員と家族を路頭に迷わせるわけにはいかないんだよ」
 福島が、苦渋の表情で訴えた。
「立浪ちゃん、今回ばかりは僕も編集長の意見に賛成だよ。獲物にするには、あまりにもリスクが高過ぎる相手だ。カマキリだって、自分より大きな獲物は狙わないそうだよ。百獣の王ライオンも、アフリカ象を襲わないだろう? 僕が、赤羽(あかばね)のスナックでママを口説いても銀座(ぎんざ)のクラブのママを口説こうとは思わないのと同じで、勝ち目がないってわかっているからだよ」
 近田が冗談めかして言った。
 少しでも場の空気を軽くしようとする、近田らしい気遣いだ。
「口説いてみたらいいんですよ」
 立浪は、近田に顔を向けた。
「え?」
「銀座のクラブのママも赤羽のスナックのママも、同じ女です。口説く前から無理だと諦めているのは近田さんで、口説いてみたらあっさり落ちるかもしれない。銀座のクラブのママなんて絶対にモノにできないと、近田さんが勝手に幻影を作り上げているんですよ。大河内も同じです」
 立浪は、近田から福島に視線を移した。
「どういう意味だ?」
 福島が怪訝(けげん)な表情で訊ねてきた。
「大河内は怖い、大河内に楯突(たてつ)くな。たしかに彼はいくつもの悪行を働いてきた。彼の悪逆無道な行いに尾ひれがつき、いつの間にか悪魔のように恐れられるようになった。でも、大河内は悪魔じゃない。刺せば赤い血が流れる、俺らと同じ人間です。怯(ひる)まずに立ち向かえば、倒せない相手ではありませんよ」
 立浪は、己に言い聞かせるように言った。
「それは机上の空論だ。尾ひれをつけなくても、大河内が表と裏の世界で絶大な力を持っているのは事実だ。その事実だけで、自主規制するには十分な理由になる。とにかく、編集長命令だ。アイミーのスキャンダルは、お蔵入りだ。もう、この話は終わりだ」
 福島は早口で言うと、一方的に話を終わらせた。
「わかりました。なら、『スラッシュ』に迷惑はかけません。俺が個人のサイトで公表しますよ」
 立浪はさらりと言った。
 福島のリアクションは想定内だった。
 ハッタリではない。
 最悪、福島からストップがかかった場合はそうしようと決めていた。
 国民的アイドルグループの絶対エースと所属事務所社長の不倫スキャンダル――これだけのネタなら、「スラッシュ」の金看板がなくても十分に話題になる。
「立浪ちゃん、俺を困らせないでくれよ! 個人のサイトで公表しても、君は『スラッシュ』の編集部員だ。だからといって、立浪ちゃんがウチを辞めても状況は変わらない。頼む! この通りだ!」
 唐突に福島が、立浪の足元に土下座した。
「おいおい、立浪ちゃん、編集長がここまでして頼んでいるんだ。気持ちはわかるが、顔を立ててやろうじゃないさ。な? な?」
 近田があたふたとし、懸命に立浪を説得してきた。
 立浪は無言で立ち上がり、福島の前で腰を屈(かが)めた。
「編集長、頭を上げてください」
「じゃあ、引いてくれるのか?」
 福島が顔を上げ、瞳を輝かせた。
「いいえ、スキャンダルを取り下げることはしません」
 立浪は、にべもなく答えた。
「立浪ちゃ……」
「その代り、負け戦(いくさ)はしません。必ず大河内を黙らせますから、俺に乗って貰えませんか?」
 立浪は、決意を宿した瞳で福島を見据えた。
「大河内を黙らせるなんて、無理に決まっているだろう!」
 福島が立ち上がり、強い口調で反論した。
「どう思うかは編集長の自由です。でも、俺がアイミーの不倫スキャンダルを記事にする以上、編集長は俺に乗るしかないんですよ。進むも地獄、退くも地獄なら背を向けずに戦うしかありません。では、記事とWEBの準備に取りかかりますから」
 立浪は抑揚のない口調で言い残し、会議室をあとにした。
(第26話につづく)

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