『Cocoon 修羅の目覚め』/夏原エヰジ 1巻まるっと太っ腹試し読み②

文字数 5,835文字

最強の花魁×異形の鬼!

人気シリーズ「Cocoon」の第1巻『Cocoon 修羅の目覚め』をどどーんと太っ腹に1巻まるまる試し読み! 


毎日1章ずつ公開していく、「毎日コクーン」第2回めの今回は「ニ」をお届けです!


 高くのぼった日の光が、障子の内へと差しこんでくる。


 黒羽屋には他の妓楼と同じく、吉原名物の甘露梅を作る甘い香りが立ちこめていた。昼見世の準備に追われる妓たちや若い衆、出入りの行商の声で、見世の中はすでに活気づき始めている。


 二階の廊下をどすどすと歩く音がして、間もなく部屋の襖が豪快に開けられた。


「瑠璃っ、いつまで寝てんだい。朝四ツはとうに過ぎてんだよ。さっさと起きなっ」


 遣手のお勢以(せい)が、三ツ布団の上でくるまっている瑠璃に向かって大声を張った。掛布団の中からううーんと低いうなり声が聞こえてくる。


「皆もう朝飯を終えたってのに、あんただけだよ、まだなのは」


 起きろ寝坊助花魁め、とお勢以は掛布団をひっぺがす。瑠璃は布団の端をつかんで抵抗したが、夢うつつの状態では恰幅のよい遣手にかなわず、布団はあえなく奪われてしまった。


「何だよう、いいじゃないかあ。昨日は柳久(やなひさ)の旦那がゆっくり休むといいよ、って早く帰ってくれたから、夜のうちに内湯にも入ったんだしさあ」


 瑠璃は駄々っ子のように奪われた布団へ手を伸ばした。


 吉原では昼と夜とに営業がわかれている。大抵の遊女は昼見世の前に湯屋へ出かけるが、大見世である黒羽屋には内湯が設けられており、湯屋に行くのが面倒な時にはこれを使うことができる。


 お勢以は瑠璃の手の届かない位置まで掛布団を放り投げた。


「四の五の言ってないで起きなっ。まったくあんたって奴は、馴染みに贈る甘露梅作りの手伝いもしないで。そのくせ正月になりゃ、わっちが心をこめて主さまのために作りいした、とか言ってぬけぬけと他の妓が作ってくれたのを渡すんだから」


 嫌味たっぷりに口真似をしてくる遣手に、瑠璃は起き抜けでぼうっとしながら、うるさいなあ、とぼやいた。


 吉原の遊女の中でも最高級の格付けをされている瑠璃は、十二畳もの広々とした床の間つき座敷に、布団を敷く八畳間、その奥に納戸代わりの六畳間、と三間続きの部屋を与えられている。


 蓮華文様の螺鈿の煙草盆に、枝椿に松喰い鶴の蒔絵が施された硯箱、遊女の仕事道具を入れる堆朱の菓子箱、羅紗の表に緋縮緬を裏にした三ツ布団、それを囲うように着物をかける衣桁と雀型の屛風、燭台、文机、鏡台、床の間には祥瑞の花瓶が飾られ、芍薬が生けられている。


 衣裳をしまう、漆塗りの桐に飾り金具を打った越前簞笥が、異様な重厚感と存在感を放っているが、調度品はどれも見るからに高価で見事な意匠を施されたものばかりだ。長襦袢がはだけたまま寝ぼけている部屋の主の様子とは、まるで対照的である。


「もう朝飯の片づけしてるんだからね。ほら、持ってきてやったよ」


 お勢以は早口に言って、蝶脚膳に乗った朝餉をどん、と畳の上に置いた。


「わあ、アサリの味噌汁っ」


 膳を見るや、瑠璃は寝ぼけ眼を輝かせた。寝相が悪いせいで美しく結われていた髪はぼさぼさになり、四方から先端があらぬ方向に飛び出している。


「早いとこ食っちまいな。そろそろ錠吉(じょうきち)が来る時間だろ。そのぐちゃぐちゃの頭、何とかしてもらいなっ」


 お勢以は瑠璃が二度寝を決めこまないよう、仁王立ちで見張っている。


 瑠璃は乱れた格好のまま朝餉を口にした。


「はああ。やっぱ権(ごん)さんの作るアサリの味噌汁は、しみるねえ」


 目を閉じてうっとりと言うと、今度は焼き魚と白飯を口いっぱいに頰張った。


 それを見てお勢以は目を光らせた。


「あんた、間違ってもお客の前でそんな食べ方すんじゃないよ。旦那らは皆、あんたのしとやかで上品な姿を求めてんだからね」

「言われなくてもしないっての。でもしとやかにしすぎて夜はあんま食べられないんだけどさ、手水に、とか適当に言って、そのうちにこっそり丼でもかっこめるようにできんせんか?」


 お勢以の目がカッと見開かれた。


「馬鹿お言いでないっ。いきなり花魁の腹がぽっこり出てたら、格好がつかないだろうが。それに床入りで吐いたりなんかしたら折檻ものだって、わかった上で言ってんだろうねっ」


 今日一番のお勢以の雷が落ちて、部屋の外では、あらら、また花魁てばお勢以どんの逆鱗に触れちゃったのかねえ、ほんと毎日よくやるよ、などと見世の者たちが呆れ顔をしている。


 膨れっ面で朝餉をかきこむ瑠璃にため息をつきつつ、お勢以はもう一つ持ってきていた小さな膳を、布団部屋の端に置いた。


「ほら、炎(えん)の分の朝飯も持ってきてやったからね」


 瑠璃に向けられるものとは打って変わって、優しげな声である。


 豪華な三ツ布団の上、枕元に丸まっていた赤と黒色がまじった物体が、にゃあ、と声を上げた。朝餉の匂いを嗅ぎつけると、四つ足をついて布団の上で大きく伸びをした。同時に顎が外れんばかりの欠伸を一つする。


「猫はいいよねえ、猫は。昼見世の支度なんかしなくていいし、好きなだけ寝てられるんだからさ」


 瑠璃は口をもごもごさせながら、恨めしげにさび柄の猫へ視線をやった。


 炎と呼ばれたその猫は、鳴きながら鰹節とちりめんじゃこが載った猫まんまに歩み寄る。


「猫は寝るのが仕事なんだからいいんだよ。ねっ、炎ちゃん?」


 お勢以は腰を屈め、炎の食事を目を細めて見つめた。炎は注がれる視線を気にもせず、うまそうに朝餉にかぶりついている。


「おいちいでしゅか? そうかいそうかい」


 お勢以は大の猫好きらしく、瑠璃よりも遥かに生活態度がだらしない炎にもめっぽう甘い。


 赤子に向けるような言葉遣いをする四十超えの丸い背中を見て、瑠璃はうげぇと声を漏らす。少しばかり食欲が失せる思いがした。


 ひとしきり炎の食事を愛おしげに眺めてから、お勢以は瑠璃の蝶脚膳を持ち、さっさと顔を洗っちまいなよっ、と睨みをきかせて部屋を後にした。


「だりいなあ」


 頭をがしがし搔きながら、瑠璃は廊下に出た。


 二階建ての見世の中心は吹き抜けになっており、季節の趣向を凝らした池つきの中庭が広がっている。豪華な中庭をぐるりと囲むように、遊女の部屋や座敷が並んでいた。


 階段を下りて一階の水道場へ向かい、適当に顔を濡らす。肩にかけた手ぬぐいで水気をごしごし拭いていると、見世の若い衆や幼い禿、新造(しんぞう)たちが、花魁おはようございます、今日も相変わらずの乱れ頭でござんすなあ、と次々に声をかけてくる。瑠璃は、ああ、おはようさん、と気の抜けた挨拶を返しながら、のろのろと自室に戻った。


 盆に張った水で房楊枝を濡らし、まだ薄ぼんやりする頭で歯を磨いていると、廊下から自分を呼ぶ声が聞こえた。


「錠吉です。入ってもよろしいですか」

「ああ、錠さんかえ。お入んなんし」


 房楊枝をくわえたまま答えると、若い男が髪結いの道具を手に入ってきた。


 錠吉と名乗った男は、道中で瑠璃に肩を貸していた若い衆である。細身で背が高く、顔立ちは眉目秀麗、さながら二枚目役者のようだ。切れ長の目が瑠璃のぼさぼさ頭を一瞬見たが、特に気にした風でもなく、鏡台の横に腰を下ろすと髪結いの道具を畳の上に並べていく。


 瑠璃も口をすすぎ、鏡台の前にちょこんと座りこんだ。


「今日はいかように」


 錠吉は慣れた手つきで、瑠璃の爆発頭を櫛でといていく。櫛を通すたびに黒髪は艶を帯び、本来の美しさを取り戻していくようだ。


「そうだねえ。今日は天神でお願いしようか」


 瑠璃は髪を錠吉に任せ、顔と首筋に白粉を塗り始めた。素の状態でも美しい真珠肌だが、楼主の幸兵衛(こうべえ)から、旦那らは妓の白粉の香りにくらくらするんだよ、つまりは暗に化粧をしなさい、と言い含められていた。


「今夜のお客は仁蔵(にぞう)の若旦那だからね。あの人は華やかな天神が好みなんだ」


 仁蔵は深川木場にある材木問屋の若旦那である。金離れがとてもよく、見世の若い衆や遣手、幇間や芸者衆、料理人にも祝儀をぽんぽん弾む。もちろん、敵娼である瑠璃への祝儀、床花もいつも大盤振る舞いだ。


「花魁、今日の夜見世はお休みになりました」


 錠吉は艶やかな黒髪を水油で整えながら、出し抜けに言った。


「えぇっ」


 白粉を塗る手を止め、瑠璃は眉間に皺を寄せて錠吉を振り返った。片や錠吉は、動かないでください、と表情も変えず、瑠璃の頭を鏡に向けてぐきっとまわす。


「痛いっ。仁蔵の若旦那、いい香木が入ったからわっちに渡したいって、随分前から息巻いてたんだよ? ほら、このところ他の旦那の登楼が続いてたからさ。今日会えるのを楽しみにしてるって、文越しにも熱気が伝わってくるくらいだったのに」


 仁蔵は金に物を言わせて江戸中の岡場所や廓を渡り歩いていた遊び者であったが、黒羽屋で一目惚れしてからは、全身全霊で瑠璃に入れこんでいた。ただ、一晩に一人しか相手をしない高級遊女の瑠璃に会うには、相当の忍耐と羽振りのよさが必要になってくる。仁蔵は遊び慣れてはいるものの、遥かに手練れの旦那たちに負け気味で、瑠璃もつい仁蔵を後まわしにしてしまっていた。


「さすがに可哀相じゃあないか。若旦那、昨日からそわそわして寝れなかったんじゃないかと思うけど」

「今夜はあちらの仕事が入りましたので」


 錠吉は髪を結う手を止めることなく、きっぱりと答えた。


 瑠璃は鏡越しに錠吉を見た。しかし、すぐに鏡の中の自分に目を戻し、白粉を胸元に塗り始める。顔は不機嫌そのものだった。元から低い声音がさらに低くなる。


「何だい、やけに急じゃあないか。そういうのはもっと早く言ってくんなくちゃ。そりゃあ若旦那はまだ二十二だから、床入りは長いしその後のお喋りも長いしで、疲れる客ではあるけどさ。でも詫びの文を出すのだって手間なんだよ、まったく」

「お内儀さんがそうおっしゃったんですよ。俺も権三(ごんぞう)もさっき言われたことなんで、今夜やるはずだった仕事の引継ぎに大忙しです」


 錠吉も少し不満そうなことを口にしたが、整った顔は平静なままだ。


「なあんだ、錠さんらも大変だねえ」


 眉間の皺を解いて、はああ、と瑠璃は深いため息をつく。


「じゃあ髪は別に天神じゃなくていいや。立兵庫で簪少なめにして。重いのやだし」

「わかりました。今夜の委細は、昼見世の後でお内儀さんから」


 錠吉はそう言って手早く髪を仕上げていく。


「場所、どこか聞いてるかえ?」

「いえ、詳しくは。吾妻橋を越えて押上の方としか」


 その答えに瑠璃の顔は明るくなった。


「ここからそんなに遠くないんだね。早く終わったら、露葉(つゆは)たちを呼んで酒が飲めるじゃあないか」


 不機嫌な様子から一転、鼻歌まじりになった瑠璃の後ろから、声が一つ聞こえた。


「油坊の酒か?」


 声の主は、布団のある部屋から瑠璃たちのいる座敷の方へと近づいてくる。


「炎。お前、まぁた寝てたの」


 さび柄の猫、炎は、大きな欠伸をしてから鏡越しに返事をした。


「寝るのが猫の仕事だとお勢以も言っておったであろう。つまり、それが儂の仕事じゃ」

「きりっとした顔で言うことじゃないよっ。ったく、酒と聞いたら目を覚ますなんて、そりゃ普通の猫じゃないってんだよ」


 瑠璃はガミガミ言うものの、猫と会話していること自体には何の疑問も感じていないらしい。錠吉は錠吉で、手を一切止めることなく髪結いの作業を続けている。


「大体、酒も肴も誰の金だと思ってんだい。わっちが身銭を切るんだぞ」

「露葉たちへの声かけは儂に任せておくがよい」


 きりりとした顔を崩さず話す猫を、瑠璃は訝しげに見つめた。


「お前さあ、わかってるとは思うけど、早く終われば、だからね? 大引けまでに部屋に帰ってこれたら、だよ?」

「わかっておる、わかっておる。お前が戻ってくるまでは我慢しておいてやろう。油坊にもよい酒を持ってくるよう、伝えておくぞ?」


 それを聞いて瑠璃の顔は少し緩んだ。


「わかってんならいいのさ。まあ、わっちとて面倒事は早く済ませたいからね」

「花魁、できましたよ」


 黙々と手を動かしていた錠吉が静かに言った。


 烏の濡羽色の髪は左右の髷が縦に張り出た立兵庫に結い上げられ、黒檀櫛に前差し四本、翡翠の玉簪、蒔絵螺鈿の扇形簪が控えめにきらめいている。


「さすがは錠さん、綺麗だねえ。仕事も早いし、もしこの見世がなくなっても、髪結いとして十分食ってけるね」


 その美丈夫っぷりでも人気が出るだろうし、と瑠璃は意味ありげに笑った。


 通常、遊女は見世が外から呼ぶ遊女専門の髪結い師に、順番に髪を結ってもらう。しかし、瑠璃は錠吉の手先の器用さを気に入り、自分専属の髪結い師にしていた。


 錠吉は普段は黒羽屋の若い衆として見世の業務に大忙しなのだが、最上位である花魁には、楼主の幸兵衛ですら甘くならざるをえない。わがままを通した結果、錠吉が瑠璃の部屋で毎朝、髪を結うことに決まっていた。


「早く着替えて、若旦那への断りの文を書いてしまった方がいいですよ」


 錠吉はひやかしを無視して、素早く道具をしまいこんだ。


「それでは、後ほど」


 そう言って瑠璃の部屋をさっさと出ていった。瑠璃も鏡に向かったまま、あーい、と生返事をする。


「昼見世も仁蔵さまへの文も、めんどくせえなあ」


 文には風邪を引いたとでも書くか、ああ、今夜はそれよりもっと面倒くさいし、と瑠璃はまた嘆息する。


「だがその後は、いつものように気を張らずともよい酒宴じゃぞ」


 炎は瑠璃の傍らで体をひねり、器用に背中の毛繕いをしている。


 瑠璃はその姿を見て笑みをこぼした。


「それもそうさね。よし、酒のためにも全部さっさと終わらせちまおうか」


 下唇と目尻に薄く紅を差し、見目麗しい花魁が完成した。

★この続きは、明日5月22日(日)17時公開! お楽しみに!

夏原 エヰジ(ナツバラ エイジ)

1991年千葉県生まれ。上智大学法学部卒業。石川県在住。2017年に第13回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した『Cocoon-修羅の目覚め-』でいきなりシリーズ化が決定。その後、『Cocoon2-蠱惑の焔-』『Cocoon3-幽世の祈り-』『Cocoon4-宿縁の大樹-』『Cocoon5-瑠璃の浄土-』と次々に刊行し、人気を博している。コミカライズもされている。2022年5月には最新刊『Cocoon 京都・不死篇-蠢-』が刊行予定。

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