【後編】『風致の島』文庫化!特別対談 黒川博行×赤松利市

文字数 3,847文字

赤松利市さんの東南アジアでのカジノコンプレックス開発を巡る謀略小説『風致の島』が文庫化!

カジノ好きで知られる黒川博行さんとの対談を特別に掲載!

特別対談【後編】

日本にカジノ? 俺たちは賛成やで


小説現代2020年12月号掲載   写真/森 清

パチンコで勝てる? 勝てない?


赤松 私が知ってたパチンコは電動やなかったです。

黒川 昔は手ではじいてたからね。

赤松 十八歳の頃、一年だけパチンコで食べてました。「文藝春秋」にパチプロの話が載っていて親指以外は動かさなければ勝てると。やってみたらそんな簡単やないんですが、一ヵ月ぐらい続けたら慣れて、それからは必ず勝てるようになりました。

黒川 台を見られるようになったから?

赤松 台もそうですけど、大事なんは指でした。テング(支柱)を挟みすぎて右手の薬指は今でも曲がってます。

黒川 玉の軌道を一定にするということやな。

赤松 そうです。当時の打ち止めが八千円でした。サパークラブの時給が三百五十円の時代に大阪の十三で一日八千円稼いでました。

黒川 俺はパチンコで勝ったことがない。打ち方はしっかりしてて玉の軌道もちゃんとしてるんやけど、相性が悪いというか向いてないんやろね。

赤松 黒川さんはカジノと麻雀ですね。私はカジノならラスベガスへ。あとはニューオーリンズ。ゴルフ場の仕事をしてたときに年に一回、展示会があったんで。それからバハマ。

黒川 バハマまで行った?

赤松 カジノに行ったわけやなくて、行ったらカジノがあったんです。着いた翌日に行ったら客は誰もいなくて、スロットマシンをやったらいきなり七万円出たんです。私としてはその七万円で滞在中遊べば負けはなしやったんですが、当時の嫁さんが「今やめたら七万円の勝ちや」と言ってそのままやめさせられました。

黒川 それは嫁さんが偉いわ。俺は日本にカジノを作ろうという話が進んでいるのは賛成です。カジノができたらパチンコホールがつぶれます。俺はその方がええと思ってます。世界にはギャンブル依存症の人が、一説では三百万人いると言われてるんです。その大半はパチンコ中毒です。

赤松 パチンコ中毒についての本を読んだんですが、対策とか支援をしているのはみんな業界ではなくて外部の団体なんですね。他の国のことを調べたら、そういう仕組みは業界内にあるものなんですが、日本にはほとんどなくて、やってるふりをしてるだけです。

黒川 そのとおりですね。だから規制がキツくなってきた。

赤松 私が昔パチンコにのめり込んでいたときに、上岡龍太郎さんがラジオで言うてたんですが、「パチンコで勝とうと思ったらいかん。一時間やって残った玉でハイライト一箱もらったら、それで得したと思えない人間はパチンコをするな」と。ええこと言うなと思いました。で、日本にカジノを作るのは私も賛成ですけど、その裏にいる政治家が面倒くさいですね。

黒川 そりゃあ、利権の巣になります。すでに収賄容疑で捕まってるのもいてるしね。カジノとパチンコが違うのは、パチンコはルールが不明なんです。カジノはバカラとかルーレットとか種目によって何パーセント取られるというテラ銭が明示されてるけど、パチンコの還元率は不明です。こんなアンフェアな博打はほかにない。

沖縄、北海道、アメリカも。転居は約五十回


赤松 予備校に行ってる体でパチンコやってた一年と、大学に通ってた四年間は大阪にいてました。卒業後はプロミスの奈良支店に配属されました。

黒川 プロミスの本社はどこでした。

赤松 当時は梅田の大阪駅前第2ビルです。奈良支店の仕事がゆるかったんで、自分から志願して、「地獄の」と言われてた岡山支店に異動しました。

黒川 なんで地獄やったんですか。

赤松 不良債権がめちゃくちゃあったんです。そこで一年ぐらい取り立てをやってたら大阪本社に呼ばれて、今度は総務でした。上はちゃんと私を育てようとしてくれてたんでしょうが、縁の下の力持ちみたいな仕事は嫌やと言うて、次は奈良店長になりました。そこからまた本社に呼ばれたときには、東京の大手町に移ってました。この前数えてみたら、これまでに転居は五十回ぐらいしてます。

黒川 同じところにおるんは落ち着かんのですか。

赤松 いや、いろんなところに住むのが好きなんで。南は沖縄の今は南城市になってる知念村から北は旭川まで住みました。

黒川 それはみんなこれからの作品に生きますね。得してる(笑)。外国はバリ島だけですか。

赤松 小学生四、五年のときに父親の仕事でワシントン州の田舎町にいました。

黒川 アメリカは面白かったですか。

赤松 そうですね。自分に影響を与えました。ひとつには愛国少年になりました。同級生のおじいさんあたりは太平洋戦争に行ってたりして、厳しい目で見られました。

黒川 敵国日本か。

赤松 はい。もうひとつは直接の人種差別に触れたことです。向こうでは白人かそれ以外でしたから。日本に戻ったら南アフリカでは日本人は名誉白人とか言ってたんで、アホかと思いました。

黒川 赤松利市は他人にない経歴をたくさんもってる。それは絶対原稿に生きるはずです。

高校生で小説雑誌五誌を定期購読


赤松 本を読むのだけは好きでした。本格的に読み出したのは中学からで、高一までは純文学です。高二のときに西村寿行に出会ってしまったんです。

黒川 寿行さんね(笑)。あの人はめちゃくちゃやってました。

赤松 作中でとにかく簡単に人を殺すし犯すし、でも、中間小説は面白いなと気付いて、「小説現代」と「オール讀物」と「小説新潮」と「問題小説」、「小説宝石」の五誌を定期購読し始めました。

黒川 高校生で、すごいな。

赤松 本を読んでたら親からは何も言われなかったです。決まった小遣いはなかったんですが、本を買うと言えばお金をもらえました。

黒川 寿行さんの兄貴の西村望さんは読んでますか。赤松さんの小説は望さんによく似てるんやけど。

赤松 お兄さんのはあまり読めてないんで、今度読んでみます。

黒川 俺は高松まで望さんに会いに行ったことがある。まだ物書きになってそんなに経ってない頃、間に入ってくれた編集者がいて、「ファンです」と望さんに言うてね。親切にしてもろたけど、何を話したかはまったく覚えてない。

赤松 ご本人を前にして言いづらいけど、私は黒川さんのファンでした。ずっと前から「疫病神」シリーズとか全部読んでました。会話が絶品です。

黒川 いやいや。俺は望さんと色川武大。つまり阿佐田哲也にはほんまに会いたくて、やっぱり編集者に頼んで会いに行きました。

赤松 作家やないけど、麻雀の小島武夫さんに会ったことがあります。ゴルフ場の仕事をしてたときにクラブハウスの宿泊のための部屋を全部麻雀部屋にして小島武夫杯をやり、勝った人間は小島さんと打てるという企画を立てたんです。でも出演料は百万円と言われて実現しませんでした。

黒川 そら高いな。

赤松 私は阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を全部読んで、すごく面白いからもっと深く読みたいと思って、それから麻雀を覚えたんです。

黒川 牌符とか牌活字が初めて使われた小説が阿佐田哲也のもので、我々麻雀ができる人間が読んだらめちゃくちゃ面白い。実は麻雀に関しては、役満の積み込みとか牌のすり替えとか不可能なことばっかりなんやけどね。でもそれを面白く読ませる筆力にびっくりしました。

赤松 麻雀のエッセイが面白かったのは福地泡介でした。

黒川 福地泡介は強かったみたいやね。いまどきの実践的なドラ麻雀をしたから。赤松さんは今は麻雀は。

赤松 もう今はやらないですね。まわりからは、特に黒川さんとはやるなと言われてるんです。めちゃくちゃ高レートやから言うて。

黒川 そんなことない。今度、サンマー(三人麻雀)をやりましょ(笑)。

南国リゾートを舞台に大藪春彦賞作家が描く「謀略」と「呪い」と「愛」の物語


巨大リゾート開発のためバリ島に赴任したスーパーゼネコン社員の青木は、計画が頓挫した後も退職して島に残り、手に入れた裏金で隠遁生活を送っていた。

カジノを中心とする新たな開発プランを耳にした青木は、その利権を狙って動き出す──。

金、酒、官能、暴力、逆転に次ぐ逆転の、すべてが”過剰”な物語!

黒川博行

1949年、愛媛県生まれ。京都市立芸術大学卒業。会社勤めの後、約10年間、大阪の府立高校で美術教師を務める。その間の1983年に『二度のお別れ』が第1回サントリーミステリー大賞佳作となり、翌年でデビュー。1986年に『キャッツアイころがった』で第4回サントリーミステリー大賞、1996年に『カウント・プラン』で第49回日本推理作家協会賞、2014年に「疫病神」シリーズの『破門』で第151回直木賞、2020年に第24回日本ミステリー文学大賞、2024年に『悪道』で第58回吉川英治文学賞を受賞。他の著書に『桃源』『後妻業』『連鎖』など多数。

赤松利市

1956年香川県生まれ。関西大学卒業。会社勤めの後、35歳でゴルフ場整備の会社を起業するが、やがて破綻。2011年の東日本大震災後は福島県で除染作業員などを経験。2018年、上京後に漫画喫茶で暮らしながら書き上げた「藻屑蟹」で第1回大藪春彦新人賞を受賞しデビュー。2020年に『犬』で第22回大藪春彦賞を受賞。他の著書に『救い難き人』『隅田川心中』『あじろ』『アウターライズ』『白蟻女』、自らの来し方を綴ったエッセイ『下級国民A』などがある。

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