〈新連載〉 第1話 ようやく好感度を再浮上させた男性タレントの苦悩
文字数 3,042文字
プロローグ
四畳半はありそうな大理石の玄関に置いたミニベンチに座り、藤城(ふじしろ)がタブレットPCのディスプレイを凝視し始めて十五分が経つ。
ディスプレイに映っているのは、藤城邸の周辺に設置された四台の防犯カメラから転送された映像だった。
藤城はサイドテーブルに手を伸ばし、コーヒーカップを口元に運んだ。
防犯カメラの映像をチェックするのは、外出前の藤城のルーティンになっていた。
十分、十五分はあたりまえで、長いときは三十分以上もディスプレイをチェックしているときもあるのでミニベンチとサイドテーブルを置いたのだ。
尤(もっと)も、長時間のチェックになるのは女性がいるときだけだ。
三年前のあの事件が起こるまでは、藤城はここまで警戒心が強くはなかった。
妻の
いい夫ランキング一位の人気俳優、三十歳下の新進女優をつまみ食い
父親の介護をするために実家に帰省中の妻不在の愛の巣に、二十歳の愛人を連れ込む下種不倫
父親にしたい俳優一位のロリコン癖
その年の八月、妻が実家の福岡に帰省中にスクープされたスキャンダルで、藤城が数十年かけて築き上げた好感度は一気に崩壊した。
魔が差した突発的な不倫と違い、妻が父親を介護している最中の不貞……妻との愛の巣での不貞というダブルパンチは印象が悪過ぎた。
写真誌にスキャンダルが報じられた半年後に、下積み時代から二十年以上連れ添った糟糠(そうこう)の妻に離婚届を突きつけられた。
妻との離婚は、藤城には致命的だった。
タレントにとって好感度は演技力より大事だ。
スキャンダル以降、出演していた七本のCMは全滅した。
熱血タイプの刑事役や誠実タイプの夫役が多かった藤城だったが、スキャンダル発覚以降は女子高生と淫行する教師、妻を裏切る不倫夫、女性をカモにする結婚詐欺師……女の敵のような役ばかりが舞い込むようになった。
しかも、それまでは主役ばかりだったが脇役のオファーしかこなくなった。
CMがなくなったことで収入も三分の一ほどに激減した。
一夜にして……いや、一瞬にして天国から地獄に叩き落されてしまった。
「ねえ、まだ? 誰もいないんでしょ?」
藤城の隣に座ったカナンが、焦(じ)れたように訊(たず)ねてきた。
カナンは日本人の父親とブラジル人の母親の間に生まれ、若い女子に人気のファッション誌のモデルだ。
カナンとの出会いは、三ヵ月前に放映されたドラマだった。
藤城はドラマで塾講師を演じ、出会い系アプリで出会った女子高生のカナンと援助交際するという役だった。
カナンは十代とは思えない日本人離れした肉感的な身体(からだ)つきで、弾力性に富んだヒップラインを目にした藤城は、クランクインの日にLINE交換をしていた。
ロリコンで尻フェチの藤城には、カナンは理想のタイプだった。
「待てよ。駐車している車もチェックしとかないと。あいつらハイエナは、スクープを撮るためなら手段を選ばないからな」
藤城は吐き捨て、ディスプレイを四等分する映像を順番にチェックした。
左上の一番カメラは正面玄関右手周辺の映像、左下の二番カメラは正面玄関左手周辺の映像、右上の三番カメラは裏口右手周辺の映像、右下四番カメラは裏口左手周辺の映像だった。
平日の午前十時――渋谷区松濤(しょうとう)の住宅街は出勤時間も通学時間も過ぎ、人通りはほとんどなかった。
泊めた女を返すには、一番リスクの低い時間帯だ。
人の往来が激しい時間帯は人込みに紛(まぎ)れて記者を発見しづらく、一般人に見られるリスクもある。
逆に夜は安全のように思われがちだが、記者が張り込む確率の高い時間帯だ。
それも二、三時間の短い張り込みではなく、十九時から翌朝の八時くらいまで交代制で張り込みスクープを狙うのはハイエナ達の定石だ。
――編集者と記者は、昼前に企画会議をしますから。十時から十二時くらいが一番の盲点ですよ。
出版社で勤務経験のあるテレビ局のADから、藤城は事あるごとに情報収集していた。
「そんなに心配なら、地下駐車場から車で送ってよ。車ならバレないでしょ?」
カナンが藤城の腕に腕を絡めて言った。
弾力のある豊満な乳房の感触を頭から打ち消し、藤城はディスプレイに集中した。
「馬鹿。お前は、なにもわかってないな。車に乗っているところを写されたら、それだけでなんの言い訳もできなくなるんだぞ!」
「それなら、一緒に歩いているところを撮られても同じじゃん」
「違うよ。家から出るところさえ写されなきゃ、離れて歩けばなんとでも言い訳できるしな。まあ、どっちにしても写されないのが一番だ」
もう、三年前の二の舞はごめんだった。
不倫スキャンダルから二年が経った頃、気晴らしに出演したバラエティ番組がきっかけで藤城はセカンドブレイクに成功した。
それまではドラマや映画の番宣でバラエティ番組に出ても、二枚目役者のイメージを崩さないように澄ましていた。
いまは、自ら過去のスキャンダルを持ち出し自虐ネタで笑いを取り、人間味に溢(あふ)れた愛嬌(あいきょう)のあるキャラクターが女子中高生の間でかわいいと受け、オファーが殺到するようになった。
バラエティ番組で好感度を再浮上させた藤城は、本業の役者としても輝きを取り戻し、スキャンダル前と同じくらいに仕事量も増えた。
次に写真誌に撮られれば、今度こそ完全に藤城の芸能人生は終わってしまう。
「もし撮られてもさ、藤城ちゃんは独身だしカナンとつき合っても問題ないじゃん」
呑気(のんき)な口調で、カナンが言った。
「未成年のモデルと交際してるなんてすっぱ抜かれたら、淫行だなんだと叩(たた)かれるに決まってるだろう? せっかく馬鹿な視聴者の好感度を取り戻したのに、二度とあんな屈辱はごめんだ」
藤城はふたたび吐き捨てた。
「ふ~ん、売れっ子も大変だね。誰もいないから、ここから出ようよ」
他人事(ひとごと)のように言いながら、カナンが裏口のカメラ映像を指差した。
「だめだ。この白いバンが気になる」
藤城は、建物の裏口から数メートル離れた位置に駐車してあるハイエースを指先で叩いた。
「ただの駐車中の車じゃん」
「いや、普通の乗用車よりバンタイプのほうが機材や人数も載せられるし、なにより長時間の張り込みに向いている。でも、エルグランドやアルファードだと目立つから敢(あ)えて庶民的なハイエースを選んだ可能性がある」
これも、元出版社勤務のADから教えて貰(もら)ったパパラッチ豆知識だ。
「よし。表から行くぞ」
藤城は言うと、ミニベンチから立ち上がった。
「え? 誰かいるよ!?」
カナンがディスプレイの一番カメラの映像を指差し、素頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。
ディスプレイには、老婆の座る車椅子を押す男性の姿が映っていた。
「これはデイサービスだから大丈夫だ」
「デイサービスってなに?」
「身体の不自由な人や老人の介護をする、出張サービスのスタッフのことだよ」
「ああ、だから、お婆ちゃんの車椅子を押してるんだ」
「そういうことだ。さ、早く行けよ」
藤城は言いながら、内鍵とチェーンロックを開けた。
(第2話につづく)
四畳半はありそうな大理石の玄関に置いたミニベンチに座り、藤城(ふじしろ)がタブレットPCのディスプレイを凝視し始めて十五分が経つ。
ディスプレイに映っているのは、藤城邸の周辺に設置された四台の防犯カメラから転送された映像だった。
藤城はサイドテーブルに手を伸ばし、コーヒーカップを口元に運んだ。
防犯カメラの映像をチェックするのは、外出前の藤城のルーティンになっていた。
十分、十五分はあたりまえで、長いときは三十分以上もディスプレイをチェックしているときもあるのでミニベンチとサイドテーブルを置いたのだ。
尤(もっと)も、長時間のチェックになるのは女性がいるときだけだ。
三年前のあの事件が起こるまでは、藤城はここまで警戒心が強くはなかった。
妻の
いぬ
間に愛人のイヌ
と深夜の散歩デート中に路上で熱いキスいい夫ランキング一位の人気俳優、三十歳下の新進女優をつまみ食い
父親の介護をするために実家に帰省中の妻不在の愛の巣に、二十歳の愛人を連れ込む下種不倫
父親にしたい俳優一位のロリコン癖
その年の八月、妻が実家の福岡に帰省中にスクープされたスキャンダルで、藤城が数十年かけて築き上げた好感度は一気に崩壊した。
魔が差した突発的な不倫と違い、妻が父親を介護している最中の不貞……妻との愛の巣での不貞というダブルパンチは印象が悪過ぎた。
写真誌にスキャンダルが報じられた半年後に、下積み時代から二十年以上連れ添った糟糠(そうこう)の妻に離婚届を突きつけられた。
妻との離婚は、藤城には致命的だった。
タレントにとって好感度は演技力より大事だ。
スキャンダル以降、出演していた七本のCMは全滅した。
熱血タイプの刑事役や誠実タイプの夫役が多かった藤城だったが、スキャンダル発覚以降は女子高生と淫行する教師、妻を裏切る不倫夫、女性をカモにする結婚詐欺師……女の敵のような役ばかりが舞い込むようになった。
しかも、それまでは主役ばかりだったが脇役のオファーしかこなくなった。
CMがなくなったことで収入も三分の一ほどに激減した。
一夜にして……いや、一瞬にして天国から地獄に叩き落されてしまった。
「ねえ、まだ? 誰もいないんでしょ?」
藤城の隣に座ったカナンが、焦(じ)れたように訊(たず)ねてきた。
カナンは日本人の父親とブラジル人の母親の間に生まれ、若い女子に人気のファッション誌のモデルだ。
カナンとの出会いは、三ヵ月前に放映されたドラマだった。
藤城はドラマで塾講師を演じ、出会い系アプリで出会った女子高生のカナンと援助交際するという役だった。
カナンは十代とは思えない日本人離れした肉感的な身体(からだ)つきで、弾力性に富んだヒップラインを目にした藤城は、クランクインの日にLINE交換をしていた。
ロリコンで尻フェチの藤城には、カナンは理想のタイプだった。
「待てよ。駐車している車もチェックしとかないと。あいつらハイエナは、スクープを撮るためなら手段を選ばないからな」
藤城は吐き捨て、ディスプレイを四等分する映像を順番にチェックした。
左上の一番カメラは正面玄関右手周辺の映像、左下の二番カメラは正面玄関左手周辺の映像、右上の三番カメラは裏口右手周辺の映像、右下四番カメラは裏口左手周辺の映像だった。
平日の午前十時――渋谷区松濤(しょうとう)の住宅街は出勤時間も通学時間も過ぎ、人通りはほとんどなかった。
泊めた女を返すには、一番リスクの低い時間帯だ。
人の往来が激しい時間帯は人込みに紛(まぎ)れて記者を発見しづらく、一般人に見られるリスクもある。
逆に夜は安全のように思われがちだが、記者が張り込む確率の高い時間帯だ。
それも二、三時間の短い張り込みではなく、十九時から翌朝の八時くらいまで交代制で張り込みスクープを狙うのはハイエナ達の定石だ。
――編集者と記者は、昼前に企画会議をしますから。十時から十二時くらいが一番の盲点ですよ。
出版社で勤務経験のあるテレビ局のADから、藤城は事あるごとに情報収集していた。
「そんなに心配なら、地下駐車場から車で送ってよ。車ならバレないでしょ?」
カナンが藤城の腕に腕を絡めて言った。
弾力のある豊満な乳房の感触を頭から打ち消し、藤城はディスプレイに集中した。
「馬鹿。お前は、なにもわかってないな。車に乗っているところを写されたら、それだけでなんの言い訳もできなくなるんだぞ!」
「それなら、一緒に歩いているところを撮られても同じじゃん」
「違うよ。家から出るところさえ写されなきゃ、離れて歩けばなんとでも言い訳できるしな。まあ、どっちにしても写されないのが一番だ」
もう、三年前の二の舞はごめんだった。
不倫スキャンダルから二年が経った頃、気晴らしに出演したバラエティ番組がきっかけで藤城はセカンドブレイクに成功した。
それまではドラマや映画の番宣でバラエティ番組に出ても、二枚目役者のイメージを崩さないように澄ましていた。
いまは、自ら過去のスキャンダルを持ち出し自虐ネタで笑いを取り、人間味に溢(あふ)れた愛嬌(あいきょう)のあるキャラクターが女子中高生の間でかわいいと受け、オファーが殺到するようになった。
バラエティ番組で好感度を再浮上させた藤城は、本業の役者としても輝きを取り戻し、スキャンダル前と同じくらいに仕事量も増えた。
次に写真誌に撮られれば、今度こそ完全に藤城の芸能人生は終わってしまう。
「もし撮られてもさ、藤城ちゃんは独身だしカナンとつき合っても問題ないじゃん」
呑気(のんき)な口調で、カナンが言った。
「未成年のモデルと交際してるなんてすっぱ抜かれたら、淫行だなんだと叩(たた)かれるに決まってるだろう? せっかく馬鹿な視聴者の好感度を取り戻したのに、二度とあんな屈辱はごめんだ」
藤城はふたたび吐き捨てた。
「ふ~ん、売れっ子も大変だね。誰もいないから、ここから出ようよ」
他人事(ひとごと)のように言いながら、カナンが裏口のカメラ映像を指差した。
「だめだ。この白いバンが気になる」
藤城は、建物の裏口から数メートル離れた位置に駐車してあるハイエースを指先で叩いた。
「ただの駐車中の車じゃん」
「いや、普通の乗用車よりバンタイプのほうが機材や人数も載せられるし、なにより長時間の張り込みに向いている。でも、エルグランドやアルファードだと目立つから敢(あ)えて庶民的なハイエースを選んだ可能性がある」
これも、元出版社勤務のADから教えて貰(もら)ったパパラッチ豆知識だ。
「よし。表から行くぞ」
藤城は言うと、ミニベンチから立ち上がった。
「え? 誰かいるよ!?」
カナンがディスプレイの一番カメラの映像を指差し、素頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。
ディスプレイには、老婆の座る車椅子を押す男性の姿が映っていた。
「これはデイサービスだから大丈夫だ」
「デイサービスってなに?」
「身体の不自由な人や老人の介護をする、出張サービスのスタッフのことだよ」
「ああ、だから、お婆ちゃんの車椅子を押してるんだ」
「そういうことだ。さ、早く行けよ」
藤城は言いながら、内鍵とチェーンロックを開けた。
(第2話につづく)